ささやかだけれど、大切なこと
29歳で都内の広告代理店に勤務していた頃、私は体調を壊した。
振り返ってみると、いわゆる燃え尽き症候群みたいになっていたのだと思う。
大学を卒業し、会社員になってからの私の20代は、ほぼ全てを仕事に捧げていた。
都会で自活してやりがいのある仕事を持っている女性でありつづけることを信じてやまなかった時だ。
女子校、女子大を出たこともあってか、「女性が社会で自立し、輝いて生きていくべきだ」という刷り込みを受けて生きてきた。
自分の人生を自分で掴み取るということに躍起になることは当たり前だと思い行動しつづけていた。それに、そんな自分が結構好きだったのだ。
今この歳になると、それも含めてよくやっていたなとは思うが、それでもやはりあの時は頑張りすぎだった。
それは、あるとき急にやってきた。
気持ちは元気なのに、何故か朝になると身体が動かなくて毎日、寝ても寝ても眠くなった。
集中力がなくなり、全然仕事に手がつかなくなった。
しばらくすると、仕事に遅刻することも増え、居眠りすることも平気であった。
当時の上司がそれを見るに見かねて、病院に行った。
「疲れているからすぐに休養したほうがいい」と言われ、私はその時、初めて休職をした。
自分の体をきちんと労ってあげられなかった自分に対して申し訳ない気持ちが湧き上がり、家でわたしはひとりで思い切り泣いた。
泣くのは、久しぶりだった。
そう思うと余計泣けてきたのだ。
散々泣いた後は少し気分がスッキリして、久し振りにとてもお腹が空いた。お腹が空くうちはまだ大丈夫か、と思った。
それに、このまま泣いていても状況は変わらない。
私は、化粧をし直して、お気に入りのワンピースに着替えて、その時住んでいた家の近所にある洋食屋へ行くことにした。
それは、赤いギンガムチェックのテーブルクロスがひかれているレトロな趣の、こじんまりとしたお店だった。
髭を蓄えた寡黙な店主がたった1人で切り盛りしていた。
大事なプレゼンが終わった日や、両親が東京にくると、よく私はこのお店に洋食を食べに来た。
ハンバーグやエビフライやエビグラタンなど、定番の洋食のメニューが勢揃いしていて、それはどれもとてもおいしかった。
この日の私は野菜サラダに、オムライスとクリームコロッケを注文した。
まだ、夜の営業の開店直後にもかかわらず店内には多くのお客さんで賑わっていた。
私のように一人で食事をする女性から、若いカップル、昔からお店に通っていそうな常連の老夫婦たちなどの姿をぼんやりと眺めながら、私は料理を到着するのを待っていた。
先にサラダが到着した。
レタスとトマトときゅうりとツナの入ったシンプルなものだ。よく冷えた透明の器に丁寧に盛られ、その上には塩気が控えめなオリーブオイルの特製ドレッシングがかけられており、どれもみずみずしくて繊細だ。
空腹だった私のお腹にそれらは優しく入ってきてくれた。
この時点で私は、今日このお店に来て正解だった、と思った。
ここは私好みの「トロトロではない」タイプのこっくりとした卵で包まれたオムライスがウリだ。この日もいつも通り、つるりとした卵の上に品の良いトマトケチャップが綺麗にかけられて運ばれて来た。
中のチキンライスはシンプルながらも、バターの甘い香りがほんのりと香り食欲が進んだ。
サクサクの衣に包まれたカニクリームコロッケは、クリームの中にカニの身の存在感をしっかりと感じられ、これまた私の大好きな味である。
上にかかっているオーロラソースともよく調和していて、これをオムライスと一緒に口に含むと私は思わず笑みがこぼれた。
たった一人でニヤニヤしながらオムライスを食べていようと、誰も気にすることのないのが東京の良いところだ。
カウンター前の厨房の方に目をやると、いつもと変わらない店主の姿があった。暑い日も寒い日も、どんな時も変わらない寡黙な店主に、私はなんだか安心した。きっとここにいる多くの客にとってもそういう存在なのだろう、と私は思った。
出された料理を全て平らげると、店主が最後にサービスでアイスコーヒーを出してくれた。
寒い日でも私が「アイスコーヒー派」であることを店主が覚えていてくれたことに私はとても驚いた。
「ありがとうございます。いいんですか?」
「うん。いつもアイスだったよね。」
店主は表情を変えずに簡単な言葉で話しかけた後、すぐに厨房に戻って行った。
暖かい食事の後の冷えたアイスコーヒーが体に染み渡った。
その数ヶ月後に私は東京を離れて別の土地に暮らすことになった。
12年住んだあの土地での最後の味が、あの店で本当によかった。
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