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117km先のトンカツを食べに

大学に入学したての頃に一度だけホームシックになったことがある。
ホームシック、というよりは、家庭の味シック、というほうがしっくりくるかもしれない。あの日のことは、今でもはっきりと覚えている。



はじめて一人暮らしをした5年前、すべてが新鮮だった。あの頃は家賃や公共料金などを両親に負担してもらっていたとはいえ、初めて1人で暮らしはじめた家は自分の城だと思った。決して広いわけでも、使い勝手がいいわけでもない。それでも気に入っていた、わたしだけが暮らす場所。
それに加えて新歓、サークル、履修登録、と今まで小説や漫画でしか見たことがなかった単語が自分の生活に飛び込んできたことが嬉しかった。



けれど、「初めての一人暮らし」という魔法にかかった日々は、そう長く続かなかったのである。



今の何倍も時間がかかっていたから、自炊はだんだん億劫になった。だんだん食生活は杜撰になった。レトルト食品を買うのも、コンビニご飯で済ませるのも、友達とご飯を食べに行くのも選択するのは自分で自由だということに甘えた倒した日々を重ねた。


そんなある日、何気なく卵かけごはんを口に運んで、時が止まった。


 ___卵かけごはんって、こんな味だったっけ?





 えっ、と思わず声が出た。そこから何が何だか分からないまま涙が出た。溢れて溢れて仕方なかった。その日は平日だったから、なおさら焦った。早く泣き止まなきゃ。早く大学に行かなきゃ。
講義は今日もいつも通り8:45からある。一般教養以外はすべて必修で固められたスケジュールは、そう容易く穴を空けられるものではなく、とても焦った。
何が何やら分からないまま、それ以上卵かけご飯に手はつけず、ほとんど化粧もせぬまま顔だけ洗って家を飛び出した。

大学に行って、友達と話して、講義を受ければ忘れるだろうと思っていた今朝の衝撃は尾を引いた。我慢できずに昼休み、母に一言だけ書いたメールを送った。



「美味しいご飯が食べたい」



最近あまり自炊が出来ていなくて、とか、卵かけご飯が、とか、そんな事情は何ひとつ書かなかった。ただ、呟くように送ったそれは吐き出せたらそれでいいと思っていた。18年間、実家で当たり前のように毎日食べていた母の手作りのごはんに馴染んだ舌は、たった1ヶ月で麻痺してしまったことが、悲しくて申し訳なくて辛かった。

だから、講義終わりに開いたメールに度肝を抜かれた。



「熊本に着いた!夜ごはん一緒に食べよ。学校終わったら電話して」



にっこりした絵文字が添えられた、福岡に住む母からのメール。
え、え、と混乱するまま電話をかけて、「や〜案外近いね!」と迎えに来た車の運転席で笑う母の姿に、キョトンとした。どうするのだろうと思いながら連れられたのは、近くのトンカツ屋さんだった。


「家に行ってご飯作るのも考えたんだけどさ、帰りたさが増しても困るから。」


 そう言った母のからりとした声を、5年以上経った今でもはっきりと覚えている。
 そうして母とわたしはトンカツを食べた。

大学入試の前日に食べたのと同じそれは、変わらず美味しかった。衣がサクサクしていて、キャベツと交互に食べると食感が楽しい。熱くて、はふはふ言いながら口に運んだ。こういうときに赤だしを選ぶところはずっと前から変わっていない。ソースを選んだわたしと、おろしを選んだ母とで1切れずつ交換する。おいしい。たったそれだけでよかった。


そしてそのままスーパーに行って、一緒にあれやこれや買い物をして、わたしを家に送り届けてそのまま何事もなかったように実家に帰ったのだ。


「今日の我が家のごはん」と時折送られてくる食事の写真に「それどうやって作るの?」と返すことが増えたのも、実家から母がお醤油とお味噌、白だしを送ってくれるようになったのも、思い返せばこの日がきっかけだった。



 今年で一人暮らしは6年目に突入した。母が作ってくれていて好きだったものは、なんとなくある程度作れるようになった。今となってはトンカツも、それに合う汁物も、難なく作れる。
母も「帰ってきたところで、食べたいウチの味はほとんど作れるだろうしね」と話すようになった。
それでもやっぱり母がつくるご飯のほうが美味しい。それは「誰かが作ってくれる料理だから」ということだけではない気がする。


 あの日「帰ってきたらたくさん作るね」などと言って母がわたしのメールを読み過ごしていたら。
家に来て手料理を振る舞ってくれていたら。

もしかするとわたしは耐えきれずに実家に戻ってしまったかもしれない。もう無理だと大学を辞めてしまったかもしれない。それは分からない。

ホームシック以外の理由で大学を辞めたいことは何度かあったけれど、卵かけご飯は美味しく食べられるようになった。食べたいものを食べたいときに作れるようにはなった。

 だからこそ、トンカツを食べるだけでまた実家に帰って行ったあの日の母には、ほんとうに感謝している。あの日のことはぜったいに忘れないでいようと思うし、忘れるつもりもない。普段はこんなこと、恥ずかしくて言えないけれど。


「トンカツ美味しかったね〜!
高速道路のレーン間違えて料金所のおじさん困らせてしまった。それ以外はバッチリだったのでいつでも行けちゃう!」


 あの日の夜、そんなメールをいつも通りの絵文字と一緒に送ってきた母はわたしにとって、姉で親友でいちばん尊敬する人だ。これは間違いなく。
きっと、離れていても、歳を重ねても、ずっと。



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