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山蕗で思い出す

季節の旬を味わいたく、目に付く食材に手を出してから調理法を考えることが多かったように思います。

目には青葉山ほととぎす初鰹

この季重なりの俳句がわりと早くから好きでした。
子どもの私にも故郷の風景に重ねあわせ想像の出来る描写がそこにはありました。
視覚、聴覚、味覚、そして嗅覚、触覚の五感がフルで動き出す俳句だと思いました。
故郷愛知県三河地方は山も海も近く、この時期の山々は新緑の薄い緑と常緑の濃い緑が私の目には優しく、海は穏やかで静かな内海とどこまでも続く広い海原からやって来る波の音がいつまでも途切れることのない雄々しい外海でした。
子どもの頃から季節で違う陽射しを肌や髪、両の眼で感じ、蒸れた草や土の匂いは今も私の鼻腔に残り、海岸や野山を半ズボンで歩き回りすね脹脛ふくらはぎももに風がなぜつける砂や草木の擦過から季節の多くを感じ取っていました。
四季を通じてその時々の特徴を身に沁み込ませていたように思います。
そしていつしか、その時期の味も憶えていきます。

父は友人らと山に入っての渓流釣りが好きでした。山の魚は海の魚より敏感だと言っていました。山に入ると魚よりも山菜を採って帰ることが多かったように記憶します。長野県南信地方の山あいの田舎で育った父にはそんなことは何の苦もない日常の一部だったのでしょう。まだ山の匂いが残っている山蕗を魚の入っていないクーラーボックスに詰め込み帰り、母が水にさらして綺麗に洗いザクザクと切り煮ました。その晩に山蕗は甘じょっぱい佃煮になって食卓にのぼりました。

私もスーパーで山蕗を見つけると家に連れて帰りますが、炒め煮にして食べることが多いです。指先を茶色にし手洗いして皮をむきます。ザクザク切りながら母の茶色かった指を思い出します。炒めて味付けは適当、日本酒で煮ます。日本酒が煮詰まる頃には美味しく山蕗は生まれ変わっています。春の苦みを信州の地酒とともにいただきます。

初鰹、大学に入る前に働いていた魚市場を思い出します。鰹の揚がってくるこの時期は市場の活気はいつも以上でした。高価な鰹を仲買いの親父が食わせてくれました。そんな高級品をたくさん食べさせてもらった魚市場時代でしたが、私の舌は比較できるほどそれまでの人生でいろんな魚介を食べていたわけではなかったので、「猫に小判」「豚に真珠」だったのかも知れません。でもこの時期の生の鰹は甘くて美味かったと記憶しています。

今は何を食べるにしても若い頃のようにたくさんは必要ありません。ですから初鰹は飲み屋で口にすることが多いです。難波のよく行く飲み屋での初鰹、美味かったですよ。

食にまつわる思い出には五感が導く切ない思い出もあります。父が長期の出張で不在の頃の私の思い出は忙しい母が仕事から帰って食事の支度をする温かな台所です。兄はいつもテレビにかじりつき、私はいつも「あのね、あのね」と一日あった事を話していました。そんな私の話を母は手を止めることなく「そうなの、そうなの」と言って聞いてくれました。そして、その手元から流れ出てくる匂いはその季節の香りだったのです。二度と食べることの出来ない私の記憶の中にだけあるおふくろの味、おふくろの匂いです。未来の艱難をほんの少しでさえ感じさせることのない幸せの時間だったのです。永遠などという言葉の定義はあるもののそんな存在は実際には無いのに私はいつまでもいつまでもその時間の存在を忘れることが出来ないのです。

陽の高い難波の飲み屋で初鰹 🍶

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