#人生の生き方
【エッセイ】あの日、私と京都は。その1/晴れた日の午後、『活きた時間』を語る教授。
最近、1日があっという間だ。
朝ご飯と弁当つくって、息子を送り出して娘送って、仕事して仕事してそれから仕事して、娘迎えに行って息子の宿題見て、夕飯つくってお風呂入って寝かしつけ。起きれたら早朝か夜中に仕事を少々。
気づけば「えっ、もう夕飯?」だし、何なら毎週「あれ?もうサザエさん?」を繰り返している。
そのうち「ん、もう年末?」になるのは目に見えている。
別に、この速度感自体は嫌じゃないのだ
学ぶことは生きること。教師の私は、授業のたびに生まれ変わる。
私はよく、授業を終えた後
「ああ、もっとああ言えばよかった」
という思いに駆られる。
「あれも言いたかったのに」
「これも伝えようと思ってたのに」
「もっとうまく言えたんじゃないか」……
私は、ひとつの授業を組み立てるとき、できる限りの教材研究をしてのぞむ。
そしたら、言いたいことや伝えたいことがモリモリふくらんでしまう。
「これを言ったら面白そうだ!」
「ここに展開したら中身が深まる!
もしも「今スグ、高校生に戻れますよ!」と言われたら・・・?誕生日を迎えて思うこと
平成から令和になった。
そして今日、私はひとつ、歳を取った。
30代も半ばになる。
30代って、決して若くはないけれど、諸先輩方から「まだまだ若いねぇ」と言われたりもする年代だ。
でも私が普段接するような高校生から見たら、30代なんてきっとオバサン以外の何者でもない。
あの頃は確かに、20歳までの時間が途方もなく長く思えて、それより先なんて30だろうが50だろうが一緒くたにハイ大人、というイメ