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学ぶことは生きること。教師の私は、授業のたびに生まれ変わる。

私はよく、授業を終えた後

「ああ、もっとああ言えばよかった」

という思いに駆られる。

「あれも言いたかったのに」
「これも伝えようと思ってたのに」
「もっとうまく言えたんじゃないか」……

私は、ひとつの授業を組み立てるとき、できる限りの教材研究をしてのぞむ。
そしたら、言いたいことや伝えたいことがモリモリふくらんでしまう。

「これを言ったら面白そうだ!」
「ここに展開したら中身が深まる!」

ノートに書いて、付箋にメモして、webを印刷して。

でも、時間は有限で、教えるべき指針があり、そこを踏まえつつ自分のやりたいことも100%実現するのは至難の技だ。
なのでできる限り取捨選択して、事前に優先順位をつける。
そして大枠のラインをイメージして、授業に入る。

けれどこれまた、実際の授業は想定外だらけなのだ。
生徒が意外な答えを出すこともあるし、「え、ここで?」という箇所で詰まることもあるし、私自身が新たに思いつくこともある。
そしたらその場、その空気感で軌道修正し、今目の前にいる相手に最も必要だと思うことに注力して話を展開する。
ちょっと調べただけの部分で盛り上がることもある。
そうして終わってみると、着地点こそズレないように気をつけているが、中身は予定外の部分が膨らんだ状態になっているのだ。

ああー。もっとここ、言えたのに。
もっとここ、減らすべきだった。
逆にこっちを、強調しても良かった。

そうして一人、職員室の机に突っ伏してから、むくりと起き上がって引き出し奥のハイカカオチョコを食べ、提出物のハンコ押しという作業に入る。

「授業は生き物だ」と、母校の教師は言っていた。

本当にそうだ。
生き物、ナマモノ、ライブだ。
難しい、難しい、難しい……

ペンペンとハンコを押しながら、頭では次の授業の組み立てを考える。

あ、そうだ。
次、あれを調べてみたらいいかもしれない。

ひらめきを忘れぬうちに、ちょっと調べ。
もうちょっと調べ、もうちょっとだけ調べ。
結局がっつり調べ……

結果、またモリモリと言いたいことが増えていく。

「よし、次はこれでいくぞ!次こそは」

そうやって、同じことを繰り返す。

それでも、総じて楽しいと思えるのは、きっと私自身が「学び」を欲していて、学ぶことをやめられないからだ。

細胞が日々生まれ変わるように、激しい知識の入れ替えが、毎日私を生まれ変わらせる。
乾いた大地に水が染み込むように、豊かな学びが、私の心を満たす。

教師とは、生徒に勉学を教える立場にあるけれど、間違いなく一番勉強になっているのは私自身だ。
生徒の答えに気づきと新たな学びをもらう。

私はどこまで学べるだろうか。
心身の健康が続く限り、きっと一生、学ぶのだろう。

毎日重ねる激しい後悔も、その先にまた、学びがあると信じているから。

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