yuriko5986

🌻医者のモラハラDV夫から解放されるまでの日々 🌻子供3人連れて家出 🌻調停1年離婚 …

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🌻医者のモラハラDV夫から解放されるまでの日々 🌻子供3人連れて家出 🌻調停1年離婚 🌻経験から思う事、今後一人でも同じような思いをする人が減るように願う

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  • 医者のDV夫との離婚までの実話~記憶をたどりながら振り返る~

    離婚すると思って結婚する人ってそうそういない でしょう。医者でDV暴力男、これは意外と世に多いことを警察や支援団体と関わる中で知った。こんな思いをする女性が一人でも少なくなってほしい。私の体験を知って今のパートナーとの関係について、何か考えるきっかけになってくれたらと思う。

記事一覧

22、マンション母子生活の初日、ガス開栓せずの一夜

今でも子供達との思い出となっている。仕事をしつつ、実家で引っ越し先の手続きやガス・水道・電気の手続き、冷蔵庫や引っ越し用品の搬入の準備を一人でやっていた。しかし…

yuriko5986
7時間前

21、夫が出勤した時に家出を決行 

月日は流れ、子供達が小学生になった頃、逃げるくらいの貯金と子供の父親へ対する気持ちも口で聞くことが出来て、連鎖を断ち切り、平和で自由で穏やかな生活のために子供と…

yuriko5986
1日前

20、我が子でも男しか価値は無い夫とその両親

夫の昔話をした時のこと。夫には女兄弟がいる。そして、小さい頃の親の不満を延々と話していた。「俺の親はだいぶん変わってる。俺が生まれる時父は仕事をそっちのけで病院…

yuriko5986
2日前
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19、孫の世話をするなら月々10万円出せという実家

子供が少しずつ大きくなり、保育所へ預けて仕事もフルで働くと、残業で遅くなったり熱が出たので早く迎えに来てくださいとの連絡の時は職場の方も赤ちゃんの頃ほどの融通が…

yuriko5986
3日前
1

18,離婚話の仲裁人は警察官

親が離婚話の仲裁に入ってくれた結果は、二度と暴力を振るわないという誓約書を書くことだった。そんなことでDVは無くなるわけがない。そう思いながらの生活は、私が予想し…

yuriko5986
4日前
1

17,離婚話をすると包丁を取り出す

振り返ると、別れ話をするとストライキを起こして自室に閉じこもったり、自殺予告の電話を警察にしたり、想像を超える周りを巻き込んで大事にする夫。しかし、黙って家を出…

yuriko5986
5日前
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16,高熱の妊婦を引きずり回す夫、それでも医者?

2人目がお腹にいた時の事。1人目の子供の育児と家事もしながらお腹は臨月手前の時期だった。インフルエンザの流行時期、38度超えで咳をするだけでも胃液が上がってくるよう…

yuriko5986
6日前

15,夫が警察へ自殺予告の電話した

子供達が言葉を発し、自我が芽生え、私もそろそろ仕事を起動にのせて夫に離れる話をそれとなくした日の事。あの日は日曜日だったと思う。お昼間の話し合い。夫は雰囲気を察…

yuriko5986
7日前
2

14、私が仕事を始めた時の夫の暴言

育児は専門外の夫との生活は、保育所へ入れる状態になるタイミングで私は周りに黙って仕事の面接へ行き採用されることとなった。実家へ多くを求めると毎月10万円の手渡し…

yuriko5986
8日前
5

13,夫にとって育児は専門外!

ある日のこと、夕方家事に追われバタバタしていたところ、夕飯づくりのさなかにリビングに寝かせていた子供が大泣きしだした。なんだかオムツかな?と思い、料理の真っただ…

yuriko5986
9日前
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12,儀父母の学歴脳はさらに続く

孫へひらがなが書けるかどうかの時期から算数を教えるという義父。それに拒絶反応を示していた矢先、夫の姉の結婚式に招かれた。夫と子供と全員で行き、どんな式になるのだ…

yuriko5986
9日前
2

11.儀父母の学歴脳は孫にまで強要

私の実家が近くである生活は、波乱もありながらも、何とか派手なトラブルが無い程度の生活を過ごすことは数年続きました。その間に、貯金や仕事の事を考え、いざという時に…

yuriko5986
10日前
1

10,夫が近寄りたくない程の実家と生い立ち

これは、あくまでも夫から聞いた話なので聞いたままを言うと…。両親は教師をしていた。そして、小さい頃に夫のIQを調べた儀父母は夫のIQが平均以上であることを知ると幼少…

yuriko5986
10日前

9,両親の目がある環境での夫は

地元へ引っ越すと、同時に私の両親が孫に会うために家へ来ることが増えた。孫の顔を見にくる事と,少しでも預かって孫の世話をすることとは全く別で、孫を見るには必ず条件…

yuriko5986
11日前
5

8,つかの間の安定期

女優を演じて、夫が不在の時に本来の自分に戻る自分は、心身にはよくなかった。いくら食べてもゆっくり過ごしているつもりでも、体重は増えず、立ちくらみが時々起きたりと…

yuriko5986
11日前
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7,DVから逃れる自分なりの手段

女優になったと思えば、夫の前だけは何でも従う女性で、夫がいない時は巣の自分として過ごした。これがDVから少しでも逃れる私なりの手段だった。もちろん二面性を使い分け…

yuriko5986
11日前
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22、マンション母子生活の初日、ガス開栓せずの一夜

今でも子供達との思い出となっている。仕事をしつつ、実家で引っ越し先の手続きやガス・水道・電気の手続き、冷蔵庫や引っ越し用品の搬入の準備を一人でやっていた。しかし、ガス開栓だけがどうしても間に合わなかった。あの時は初夏の少し蒸し暑い時期だった。実家から荷物も搬入され、とりあえずの寝泊り出来る環境にはなったこれからの我が家。時間はもう18時を過ぎていて、さて…夕飯どうしよう?お風呂どうする?…となった

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21、夫が出勤した時に家出を決行 

月日は流れ、子供達が小学生になった頃、逃げるくらいの貯金と子供の父親へ対する気持ちも口で聞くことが出来て、連鎖を断ち切り、平和で自由で穏やかな生活のために子供と家を出る事を決行した。目安は1カ月は実家に頭を下げてお金を出して住まわせてもらった。準備が整ったらすぐに子供とちゃんと家を見つけて住むからと…。実家にしたら10万円というお金は都合よかったと思う。お金さえ出せば実家の1室を貸してくれた。仕事

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20、我が子でも男しか価値は無い夫とその両親

夫の昔話をした時のこと。夫には女兄弟がいる。そして、小さい頃の親の不満を延々と話していた。「俺の親はだいぶん変わってる。俺が生まれる時父は仕事をそっちのけで病院まで駆けつけてくれてたらしいけど、姉貴が生まれる時は、初めての出産だったのに顔を見にすら行かなかったんだよ。」とりあえず男尊女卑な親らしい。これを聞いて、古風なのか何んなのか、やっぱりおかしな家族だなと感じた。そして案の定、夫の実家へ顔を出

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19、孫の世話をするなら月々10万円出せという実家

子供が少しずつ大きくなり、保育所へ預けて仕事もフルで働くと、残業で遅くなったり熱が出たので早く迎えに来てくださいとの連絡の時は職場の方も赤ちゃんの頃ほどの融通がきかなくなってきた。仕方が無かった。夫は私が働くことは大反対で自立することも反対。だから仕事をしている私を助ける気はさらさらなかった。そして、実家はたまに子供を休みに連れて行くときは何も言わないけど、お熱で子供を半日見ていて欲しいとお願いし

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18,離婚話の仲裁人は警察官

親が離婚話の仲裁に入ってくれた結果は、二度と暴力を振るわないという誓約書を書くことだった。そんなことでDVは無くなるわけがない。そう思いながらの生活は、私が予想してた通りに波乱はまた起こった。ある時、夫の暴言や罵声があまりにひどく、子供も怖がっていたので、子供を連れて実家に一時避難をしようと出ていく準備をしていた。その頃は、実家にお世話になった日の度には何万円か差し出していた。逃げ場が必要だったか

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17,離婚話をすると包丁を取り出す

振り返ると、別れ話をするとストライキを起こして自室に閉じこもったり、自殺予告の電話を警察にしたり、想像を超える周りを巻き込んで大事にする夫。しかし、黙って家を出たからと言ってそれで事が進むわけでもなく、何かちゃんと伝えなくては子供のこともあるし…と日常を過ごしながらも考えていた。毎日毎日仕事と家事と子供の保育園の送迎とフル回転で現実と向き合ってきた。土日になると、タイミングを見計らっては「少し話し

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16,高熱の妊婦を引きずり回す夫、それでも医者?

2人目がお腹にいた時の事。1人目の子供の育児と家事もしながらお腹は臨月手前の時期だった。インフルエンザの流行時期、38度超えで咳をするだけでも胃液が上がってくるようなしんどさがあり、数回吐いたりもしてた。あまりに辛くて夕飯時だったけどリビングで寝込んでいた。そんな時、家にいた夫は自室から出てきて、まず発した言葉は「ご飯作れよ!!」だった。「ごめん。38度あって咳するだけでも胃液上がるくらいしんどく

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15,夫が警察へ自殺予告の電話した

子供達が言葉を発し、自我が芽生え、私もそろそろ仕事を起動にのせて夫に離れる話をそれとなくした日の事。あの日は日曜日だったと思う。お昼間の話し合い。夫は雰囲気を察したのか「離婚は嫌だ!」と話し合いをストライキしだした。平日はお互い共に働いていて話し合う時間は取れない。だからこそ、日曜日に話を少しでもしておきたかった。ストライキをした夫は、「少し休ませてほしい。」と自室へと消えた。しばらくは静かだった

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14、私が仕事を始めた時の夫の暴言

育児は専門外の夫との生活は、保育所へ入れる状態になるタイミングで私は周りに黙って仕事の面接へ行き採用されることとなった。実家へ多くを求めると毎月10万円の手渡しをしないといけない。出来る事から始めようと、パートから始めた。週3から始めて、慣れてからは週5となっていった。朝から子供を保育園へ預けてから出勤し、夕方仕事帰りに保育園のお迎えをして帰宅したら座ることなく洗濯しながら料理を作る。一度でも座っ

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13,夫にとって育児は専門外!

ある日のこと、夕方家事に追われバタバタしていたところ、夕飯づくりのさなかにリビングに寝かせていた子供が大泣きしだした。なんだかオムツかな?と思い、料理の真っただ中、手を止めづらい時だったので家にいた夫に「ごめん、ちょっと子供のオムツ見てほしいの。臭いきつかったらうんちかもしれない。手が離せたらすぐいく。」と言ったら、子供のところまでは近づいて行った夫。しかし、臭いがしたようで…「あ~、なんか臭うな

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12,儀父母の学歴脳はさらに続く

孫へひらがなが書けるかどうかの時期から算数を教えるという義父。それに拒絶反応を示していた矢先、夫の姉の結婚式に招かれた。夫と子供と全員で行き、どんな式になるのだろうかと、ただただ静かに円卓で食事を頂き色んな人のスピーチを聞いていた。次はお父様からのスピーチ…となって、どんな話をされるのかと食事の手を止めて聞くと、姉の結婚式であるはずなのに、話し出したのは、息子の自慢話だけだった。「本日はお忙しい中

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11.儀父母の学歴脳は孫にまで強要

私の実家が近くである生活は、波乱もありながらも、何とか派手なトラブルが無い程度の生活を過ごすことは数年続きました。その間に、貯金や仕事の事を考え、いざという時に動けるようにと心づもりはしていた。そんな生活の中での冠婚葬祭、正月のご挨拶、子供を夫の実家へ連れて行く行かないの話になった時の事。その年は夫も実家には帰りたくなかった様で、電話で年始は行けない事を伝えた。その時は私と義母が話した。その時の義

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10,夫が近寄りたくない程の実家と生い立ち

これは、あくまでも夫から聞いた話なので聞いたままを言うと…。両親は教師をしていた。そして、小さい頃に夫のIQを調べた儀父母は夫のIQが平均以上であることを知ると幼少期から英才教育をしたそうです。寝ても覚めてもお勉強だったそうです。小学生の時には名高い名門中学受験予備校へ通わせられ、4年5年6年と学年が上がるにつれて友達もいなくなっていったと言っていました。1年間のうちの半分は予備校へ通い、2日に1

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9,両親の目がある環境での夫は

地元へ引っ越すと、同時に私の両親が孫に会うために家へ来ることが増えた。孫の顔を見にくる事と,少しでも預かって孫の世話をすることとは全く別で、孫を見るには必ず条件をつけてくる親だった。それは今思えばひどいもので、孫達を見て欲しいなら毎月10万円渡す事だった。そんな親でも目が近くにあると夫は暴れるのが少なかった。世間体を気にする夫だったので、顔を合わすとニコニコ笑顔で優しい夫を演じていた。しかし、両親

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8,つかの間の安定期

女優を演じて、夫が不在の時に本来の自分に戻る自分は、心身にはよくなかった。いくら食べてもゆっくり過ごしているつもりでも、体重は増えず、立ちくらみが時々起きたりと、不健康ではあった。ただ、子供と散歩したり、笑顔が見れることは何よりも大切な事で、私に経済力が無いうちは現状を維持するしかなかった。友人には「大丈夫?やせすぎてない?頬こけてるよ」と心配されることはあったけど、今は忍耐。それしかなかった。単

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7,DVから逃れる自分なりの手段

女優になったと思えば、夫の前だけは何でも従う女性で、夫がいない時は巣の自分として過ごした。これがDVから少しでも逃れる私なりの手段だった。もちろん二面性を使い分けるのは楽ではなかった。どうしても納得いかない事や、非常識なことを強要してくる時には心がどうしても動かない時だってあった。そんな時は世間でよくある友達に愚痴るとか、知り合った支援団体の人に悩みを打ち明けたりもした。持つべきものは友人だと思っ

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