yuriko5986

🌻医者のモラハラDV夫から解放されるまでの日々 🌻子供3人連れて家出 🌻調停1年離婚 …

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🌻医者のモラハラDV夫から解放されるまでの日々 🌻子供3人連れて家出 🌻調停1年離婚 🌻経験から思う事、今後一人でも同じような思いをする人が減るように願う

マガジン

  • 医者のDV夫との離婚までの実話~記憶をたどりながら振り返る~

    離婚すると思って結婚する人ってそうそういない でしょう。医者でDV暴力男、これは意外と世に多いことを警察や支援団体と関わる中で知った。こんな思いをする女性が一人でも少なくなってほしい。私の体験を知って今のパートナーとの関係について、何か考えるきっかけになってくれたらと思う。

最近の記事

27,あちこちで、おめでとうの嵐

離婚届を提出し、開放感に浸る私。生活は仕事に追われて、家事と育児に追われることは今までと変わりはなかった。しかし、もうあの異常な人とは赤の他人。子供達も小さい頃に受けた暴力を覚えていて、父親のことは大嫌いだったので、「お母さん、やっと離婚できたんだね。もうあの人とは関係ないんやね。」と言ってきた。ただ、実の父親に変わりはないから、「一応実の父親なのはずっと事実だけど、もし会う機会あったらどうする?」と聞いた。すると、「絶対会いたくない。見るだけでも嫌!」と子供達が口をそろえて

    • 26、会いたくないのに、どうしても会わないといけない手続きとは

      裁判所では、顔を合わさない様に細心の計らいをしてもらえていた。待合室もお互い離れた図面の一室での待機。それは当然のやり方だったらしい。それはもう、DV男との調停で顔を合わすとなるとろくなことが無いと想像がつく。待合室で待っていても、他の事案の人が同じ部屋で待っている。そんな時の会話が耳に入ってくる。暴力を受けただ、借金だ、事故の相手がどうだ…シビアな言葉が行きかっていた。裁判所って、本当に重い空気でいっぱいだな…と、自分の事も含めてしんどい空間だなと思った。そして、最後の調停

      • 25,調停が続くと心労で体調不良

        調停員が呆れるような言葉しか発しない夫、1回目の調停は何も進展することなく終わった。ただ、調停員が私側の考えに沿ってくれていることが救いだった。ごく当たり前の条件提示しかしていないけど、この何年も夫とは、何を話しても前に進まず、私の言っていることが間違っているとか養育費なんか絶対に払わないと自信を持って言い切っている夫に、私の思考力も消耗していっていた。調停は2回3回と続き、これ以上は出来ない。次は裁判か…とまで進んだころになると、私の心も体もダメージが大きくなってきたのか、

        • 24、調停での夫の気狂いぶり

          弁護士事務所へ問い合わせて、足を運ぶ日を決めた。電車を乗り継いで、とある高層ビルへ。流石なかなか厳しい事案を取り扱ってる弁護士事務所。オートロックで、毎回必ず一階で身元を言って約束の時間と担当弁護士を言わないと解錠してくれない。確認が取れて入ると、一室の応接間へ案内された。事情を全て説明し、契約を交わす。調停の日は、弁護士さんと裁判所で待ち合わせをして、調停に望んだ。裁判所の待合室でずっとソワソワ。順番を呼ばれて弁護士と一緒に入室。夫の言い分は先に聞かれていたようで、その言い

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        • 医者のDV夫との離婚までの実話~記憶をたどりながら振り返る~
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        記事

          23、弁護士探し開始

          母子でマンション生活をしながら、私は心の中ではシングルの気持ちで働きながら子供との生活を充実させていた。楽ではなかったけど、夫がいない事がどれだけ平和で心の負担が無いかを毎日毎日痛感していた。これが普通のはずが、いつもビクビクしながら、夫が突然怒り出さないだろうか!機嫌を損ねないだろうか…といつも本当にピリピリしていた。夫が帰宅するくらいの時間になると、玄関の鍵の音がすると、いつも飛び上がるほどドキッとして、そこから緊張が走っていた。今はそんなことはない。もうあの時には戻れな

          23、弁護士探し開始

          22、マンション母子生活の初日、ガス開栓せずの一夜

          今でも子供達との思い出となっている。仕事をしつつ、実家で引っ越し先の手続きやガス・水道・電気の手続き、冷蔵庫や引っ越し用品の搬入の準備を一人でやっていた。しかし、ガス開栓だけがどうしても間に合わなかった。あの時は初夏の少し蒸し暑い時期だった。実家から荷物も搬入され、とりあえずの寝泊り出来る環境にはなったこれからの我が家。時間はもう18時を過ぎていて、さて…夕飯どうしよう?お風呂どうする?…となった。夕飯は近くのスーパーの出来合いを買ってきた。暑くてたまらないのでブロックの氷も

          22、マンション母子生活の初日、ガス開栓せずの一夜

          21、夫が出勤した時に家出を決行 

          月日は流れ、子供達が小学生になった頃、逃げるくらいの貯金と子供の父親へ対する気持ちも口で聞くことが出来て、連鎖を断ち切り、平和で自由で穏やかな生活のために子供と家を出る事を決行した。目安は1カ月は実家に頭を下げてお金を出して住まわせてもらった。準備が整ったらすぐに子供とちゃんと家を見つけて住むからと…。実家にしたら10万円というお金は都合よかったと思う。お金さえ出せば実家の1室を貸してくれた。仕事から帰った夫は、私達が家を出たのを知るともちろん携帯へ電話をかけてきて「今すぐ戻

          21、夫が出勤した時に家出を決行 

          20、我が子でも男しか価値は無い夫とその両親

          夫の昔話をした時のこと。夫には女兄弟がいる。そして、小さい頃の親の不満を延々と話していた。「俺の親はだいぶん変わってる。俺が生まれる時父は仕事をそっちのけで病院まで駆けつけてくれてたらしいけど、姉貴が生まれる時は、初めての出産だったのに顔を見にすら行かなかったんだよ。」とりあえず男尊女卑な親らしい。これを聞いて、古風なのか何んなのか、やっぱりおかしな家族だなと感じた。そして案の定、夫の実家へ顔を出しに行った時、お姉さんの家族も来ていて一緒に円卓を囲んでご飯を食べている時のこと

          20、我が子でも男しか価値は無い夫とその両親

          19、孫の世話をするなら月々10万円出せという実家

          子供が少しずつ大きくなり、保育所へ預けて仕事もフルで働くと、残業で遅くなったり熱が出たので早く迎えに来てくださいとの連絡の時は職場の方も赤ちゃんの頃ほどの融通がきかなくなってきた。仕方が無かった。夫は私が働くことは大反対で自立することも反対。だから仕事をしている私を助ける気はさらさらなかった。そして、実家はたまに子供を休みに連れて行くときは何も言わないけど、お熱で子供を半日見ていて欲しいとお願いしたら、仕事が終わり連れに行くと、大変だったとかご飯をたべさせてやったとか、どれく

          19、孫の世話をするなら月々10万円出せという実家

          18,離婚話の仲裁人は警察官

          親が離婚話の仲裁に入ってくれた結果は、二度と暴力を振るわないという誓約書を書くことだった。そんなことでDVは無くなるわけがない。そう思いながらの生活は、私が予想してた通りに波乱はまた起こった。ある時、夫の暴言や罵声があまりにひどく、子供も怖がっていたので、子供を連れて実家に一時避難をしようと出ていく準備をしていた。その頃は、実家にお世話になった日の度には何万円か差し出していた。逃げ場が必要だったから仕方が無かった。準備をして玄関を出ようとしたときだ。それに気づいた夫が自室から

          18,離婚話の仲裁人は警察官

          17,離婚話をすると包丁を取り出す

          振り返ると、別れ話をするとストライキを起こして自室に閉じこもったり、自殺予告の電話を警察にしたり、想像を超える周りを巻き込んで大事にする夫。しかし、黙って家を出たからと言ってそれで事が進むわけでもなく、何かちゃんと伝えなくては子供のこともあるし…と日常を過ごしながらも考えていた。毎日毎日仕事と家事と子供の保育園の送迎とフル回転で現実と向き合ってきた。土日になると、タイミングを見計らっては「少し話してもいい?」と夫に声をかけた。ある時は他人の視線のある方が良いと思い、そとに出か

          17,離婚話をすると包丁を取り出す

          16,高熱の妊婦を引きずり回す夫、それでも医者?

          2人目がお腹にいた時の事。1人目の子供の育児と家事もしながらお腹は臨月手前の時期だった。インフルエンザの流行時期、38度超えで咳をするだけでも胃液が上がってくるようなしんどさがあり、数回吐いたりもしてた。あまりに辛くて夕飯時だったけどリビングで寝込んでいた。そんな時、家にいた夫は自室から出てきて、まず発した言葉は「ご飯作れよ!!」だった。「ごめん。38度あって咳するだけでも胃液上がるくらいしんどくて、冷蔵庫のものでなんとかならないかなぁ…。もう少し休ませてほしい。」と頼んだ。

          16,高熱の妊婦を引きずり回す夫、それでも医者?

          15,夫が警察へ自殺予告の電話した

          子供達が言葉を発し、自我が芽生え、私もそろそろ仕事を起動にのせて夫に離れる話をそれとなくした日の事。あの日は日曜日だったと思う。お昼間の話し合い。夫は雰囲気を察したのか「離婚は嫌だ!」と話し合いをストライキしだした。平日はお互い共に働いていて話し合う時間は取れない。だからこそ、日曜日に話を少しでもしておきたかった。ストライキをした夫は、「少し休ませてほしい。」と自室へと消えた。しばらくは静かだったはずが、突然部屋から出てきて延長コードを手にもって、「俺はもう死ぬ!!どうせ俺な

          15,夫が警察へ自殺予告の電話した

          14、私が仕事を始めた時の夫の暴言

          育児は専門外の夫との生活は、保育所へ入れる状態になるタイミングで私は周りに黙って仕事の面接へ行き採用されることとなった。実家へ多くを求めると毎月10万円の手渡しをしないといけない。出来る事から始めようと、パートから始めた。週3から始めて、慣れてからは週5となっていった。朝から子供を保育園へ預けてから出勤し、夕方仕事帰りに保育園のお迎えをして帰宅したら座ることなく洗濯しながら料理を作る。一度でも座ってしまったら疲れてしまって何も出来なくなるのはわかるから、勢いで毎日を突っ走って

          14、私が仕事を始めた時の夫の暴言

          13,夫にとって育児は専門外!

          ある日のこと、夕方家事に追われバタバタしていたところ、夕飯づくりのさなかにリビングに寝かせていた子供が大泣きしだした。なんだかオムツかな?と思い、料理の真っただ中、手を止めづらい時だったので家にいた夫に「ごめん、ちょっと子供のオムツ見てほしいの。臭いきつかったらうんちかもしれない。手が離せたらすぐいく。」と言ったら、子供のところまでは近づいて行った夫。しかし、臭いがしたようで…「あ~、なんか臭うな。俺!オムツ交換は専門外だから!!」とその場から消えた。”何???専門外って何?

          13,夫にとって育児は専門外!

          12,儀父母の学歴脳はさらに続く

          孫へひらがなが書けるかどうかの時期から算数を教えるという義父。それに拒絶反応を示していた矢先、夫の姉の結婚式に招かれた。夫と子供と全員で行き、どんな式になるのだろうかと、ただただ静かに円卓で食事を頂き色んな人のスピーチを聞いていた。次はお父様からのスピーチ…となって、どんな話をされるのかと食事の手を止めて聞くと、姉の結婚式であるはずなのに、話し出したのは、息子の自慢話だけだった。「本日はお忙しい中…(当たり前のご挨拶)ありがとうございます。ところで、うちの子供は…息子が〇〇大

          12,儀父母の学歴脳はさらに続く