yuriko5986

🌻医者のモラハラDV夫から解放されるまでの日々 🌻子供3人連れて家出 🌻調停1年離婚 …

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🌻医者のモラハラDV夫から解放されるまでの日々 🌻子供3人連れて家出 🌻調停1年離婚 🌻経験から思う事、今後一人でも同じような思いをする人が減るように願う

マガジン

  • 医者のDV夫との離婚までの実話~記憶をたどりながら振り返る~

    離婚すると思って結婚する人ってそうそういない でしょう。医者でDV暴力男、これは意外と世に多いことを警察や支援団体と関わる中で知った。こんな思いをする女性が一人でも少なくなってほしい。私の体験を知って今のパートナーとの関係について、何か考えるきっかけになってくれたらと思う。

最近の記事

19、孫の世話をするなら月々10万円出せという実家

子供が少しずつ大きくなり、保育所へ預けて仕事もフルで働くと、残業で遅くなったり熱が出たので早く迎えに来てくださいとの連絡の時は職場の方も赤ちゃんの頃ほどの融通がきかなくなってきた。仕方が無かった。夫は私が働くことは大反対で自立することも反対。だから仕事をしている私を助ける気はさらさらなかった。そして、実家はたまに子供を休みに連れて行くときは何も言わないけど、お熱で子供を半日見ていて欲しいとお願いしたら、仕事が終わり連れに行くと、大変だったとかご飯をたべさせてやったとか、どれく

    • 18,離婚話の仲裁人は警察官

      親が離婚話の仲裁に入ってくれた結果は、二度と暴力を振るわないという誓約書を書くことだった。そんなことでDVは無くなるわけがない。そう思いながらの生活は、私が予想してた通りに波乱はまた起こった。ある時、夫の暴言や罵声があまりにひどく、子供も怖がっていたので、子供を連れて実家に一時避難をしようと出ていく準備をしていた。その頃は、実家にお世話になった日の度には何万円か差し出していた。逃げ場が必要だったから仕方が無かった。準備をして玄関を出ようとしたときだ。それに気づいた夫が自室から

      • 17,離婚話をすると包丁を取り出す

        振り返ると、別れ話をするとストライキを起こして自室に閉じこもったり、自殺予告の電話を警察にしたり、想像を超える周りを巻き込んで大事にする夫。しかし、黙って家を出たからと言ってそれで事が進むわけでもなく、何かちゃんと伝えなくては子供のこともあるし…と日常を過ごしながらも考えていた。毎日毎日仕事と家事と子供の保育園の送迎とフル回転で現実と向き合ってきた。土日になると、タイミングを見計らっては「少し話してもいい?」と夫に声をかけた。ある時は他人の視線のある方が良いと思い、そとに出か

        • 16,高熱の妊婦を引きずり回す夫、それでも医者?

          2人目がお腹にいた時の事。1人目の子供の育児と家事もしながらお腹は臨月手前の時期だった。インフルエンザの流行時期、38度超えで咳をするだけでも胃液が上がってくるようなしんどさがあり、数回吐いたりもしてた。あまりに辛くて夕飯時だったけどリビングで寝込んでいた。そんな時、家にいた夫は自室から出てきて、まず発した言葉は「ご飯作れよ!!」だった。「ごめん。38度あって咳するだけでも胃液上がるくらいしんどくて、冷蔵庫のものでなんとかならないかなぁ…。もう少し休ませてほしい。」と頼んだ。

        19、孫の世話をするなら月々10万円出せという実家

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        • 医者のDV夫との離婚までの実話~記憶をたどりながら振り返る~
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        記事

          15,夫が警察へ自殺予告の電話した

          子供達が言葉を発し、自我が芽生え、私もそろそろ仕事を起動にのせて夫に離れる話をそれとなくした日の事。あの日は日曜日だったと思う。お昼間の話し合い。夫は雰囲気を察したのか「離婚は嫌だ!」と話し合いをストライキしだした。平日はお互い共に働いていて話し合う時間は取れない。だからこそ、日曜日に話を少しでもしておきたかった。ストライキをした夫は、「少し休ませてほしい。」と自室へと消えた。しばらくは静かだったはずが、突然部屋から出てきて延長コードを手にもって、「俺はもう死ぬ!!どうせ俺な

          15,夫が警察へ自殺予告の電話した

          14、私が仕事を始めた時の夫の暴言

          育児は専門外の夫との生活は、保育所へ入れる状態になるタイミングで私は周りに黙って仕事の面接へ行き採用されることとなった。実家へ多くを求めると毎月10万円の手渡しをしないといけない。出来る事から始めようと、パートから始めた。週3から始めて、慣れてからは週5となっていった。朝から子供を保育園へ預けてから出勤し、夕方仕事帰りに保育園のお迎えをして帰宅したら座ることなく洗濯しながら料理を作る。一度でも座ってしまったら疲れてしまって何も出来なくなるのはわかるから、勢いで毎日を突っ走って

          14、私が仕事を始めた時の夫の暴言

          13,夫にとって育児は専門外!

          ある日のこと、夕方家事に追われバタバタしていたところ、夕飯づくりのさなかにリビングに寝かせていた子供が大泣きしだした。なんだかオムツかな?と思い、料理の真っただ中、手を止めづらい時だったので家にいた夫に「ごめん、ちょっと子供のオムツ見てほしいの。臭いきつかったらうんちかもしれない。手が離せたらすぐいく。」と言ったら、子供のところまでは近づいて行った夫。しかし、臭いがしたようで…「あ~、なんか臭うな。俺!オムツ交換は専門外だから!!」とその場から消えた。”何???専門外って何?

          13,夫にとって育児は専門外!

          12,儀父母の学歴脳はさらに続く

          孫へひらがなが書けるかどうかの時期から算数を教えるという義父。それに拒絶反応を示していた矢先、夫の姉の結婚式に招かれた。夫と子供と全員で行き、どんな式になるのだろうかと、ただただ静かに円卓で食事を頂き色んな人のスピーチを聞いていた。次はお父様からのスピーチ…となって、どんな話をされるのかと食事の手を止めて聞くと、姉の結婚式であるはずなのに、話し出したのは、息子の自慢話だけだった。「本日はお忙しい中…(当たり前のご挨拶)ありがとうございます。ところで、うちの子供は…息子が〇〇大

          12,儀父母の学歴脳はさらに続く

          11.儀父母の学歴脳は孫にまで強要

          私の実家が近くである生活は、波乱もありながらも、何とか派手なトラブルが無い程度の生活を過ごすことは数年続きました。その間に、貯金や仕事の事を考え、いざという時に動けるようにと心づもりはしていた。そんな生活の中での冠婚葬祭、正月のご挨拶、子供を夫の実家へ連れて行く行かないの話になった時の事。その年は夫も実家には帰りたくなかった様で、電話で年始は行けない事を伝えた。その時は私と義母が話した。その時の義母の言葉は聞いた瞬間、あっけに取られて電話を切った後に呆れて笑ってしまいました。

          11.儀父母の学歴脳は孫にまで強要

          10,夫が近寄りたくない程の実家と生い立ち

          これは、あくまでも夫から聞いた話なので聞いたままを言うと…。両親は教師をしていた。そして、小さい頃に夫のIQを調べた儀父母は夫のIQが平均以上であることを知ると幼少期から英才教育をしたそうです。寝ても覚めてもお勉強だったそうです。小学生の時には名高い名門中学受験予備校へ通わせられ、4年5年6年と学年が上がるにつれて友達もいなくなっていったと言っていました。1年間のうちの半分は予備校へ通い、2日に1回は小学校へ通ったそうです。つまり2日に一回は強制的に休まされて予備校へ缶詰だっ

          10,夫が近寄りたくない程の実家と生い立ち

          9,両親の目がある環境での夫は

          地元へ引っ越すと、同時に私の両親が孫に会うために家へ来ることが増えた。孫の顔を見にくる事と,少しでも預かって孫の世話をすることとは全く別で、孫を見るには必ず条件をつけてくる親だった。それは今思えばひどいもので、孫達を見て欲しいなら毎月10万円渡す事だった。そんな親でも目が近くにあると夫は暴れるのが少なかった。世間体を気にする夫だったので、顔を合わすとニコニコ笑顔で優しい夫を演じていた。しかし、両親が子供へプレゼントしたおもちゃを捨てるような醜い事をする一面は本性なんだなと、夫

          9,両親の目がある環境での夫は

          8,つかの間の安定期

          女優を演じて、夫が不在の時に本来の自分に戻る自分は、心身にはよくなかった。いくら食べてもゆっくり過ごしているつもりでも、体重は増えず、立ちくらみが時々起きたりと、不健康ではあった。ただ、子供と散歩したり、笑顔が見れることは何よりも大切な事で、私に経済力が無いうちは現状を維持するしかなかった。友人には「大丈夫?やせすぎてない?頬こけてるよ」と心配されることはあったけど、今は忍耐。それしかなかった。単純な発想で、安定期のうちに夫に実家近くに家を移り住みたいことを話してみた。周りの

          8,つかの間の安定期

          7,DVから逃れる自分なりの手段

          女優になったと思えば、夫の前だけは何でも従う女性で、夫がいない時は巣の自分として過ごした。これがDVから少しでも逃れる私なりの手段だった。もちろん二面性を使い分けるのは楽ではなかった。どうしても納得いかない事や、非常識なことを強要してくる時には心がどうしても動かない時だってあった。そんな時は世間でよくある友達に愚痴るとか、知り合った支援団体の人に悩みを打ち明けたりもした。持つべきものは友人だと思った。そして支援団体の人も、とても心に寄り添ってくださる人で、苦しくて辛くて涙した

          7,DVから逃れる自分なりの手段

          6,逃げられない現実と向き合うと…

          ある時は首を絞めつけられ、ある時は背後から馬乗りになられて手足を骨折したこともあった。そして、ある時は頬を平手で何度もたたかれたときには耳の鼓膜が破れて、耳鼻科へ行くと米粒大ほどの穴が開いていると言われ、自然治癒するまで無理をするなと言われた。思い出すだけでも、まだまだ怖い思いはい数々蘇ってくる。それでも一緒に暮らしたのは、親に言われた言葉で今は逃げ場が無いんだと諦めたこと、小さい子供を抱えて生活力が無かったこと、逃げたところで、どうやって子供を育てながら現実と向き合っていっ

          6,逃げられない現実と向き合うと…

          5,相手は医者なんだから我慢しなさい

          警察に逃げ込んだこともあり、この先どうしよう…と悩んでいた時、「御両親に助けてもらえないの?」と刑事は色々と提案はしてくれた。両親、シェルター、支援団体、数日でも親しい知人などの家に逃げる事等。まだ小さい子供を連れて友人知人を頼る勇気は無かった。シェルターはとてもありがたい存在だったけど、出来るなら行きたくなかったのと後の支払いも思った以上に必要だったので、選択肢からは実家しかなかった。実家に連絡すると、父が警察署まで来てくれた。刑事と父も含めて経緯を話し、私と子供は父の車で

          5,相手は医者なんだから我慢しなさい

          4、警察に被害届を出したほうがいいと言われた

          子供が産まれ、慣れない土地での育児。その中での不定期なDVがつづき、どんな流れだったか記憶が漠然としていて警察に行ったきっかけが今となっては思い出せない。ある暴力を受けた時、警察に飛び込んだ。警察署の刑事に言われた事は「ゆりこさん、旦那さんのDVは治らないです。僕らも数多くの事件やDV事案を見てきていますが、女に手をあげる男は今後も99.99…%と言って良いほど治ることはありません。悪い事は言わない。被害届を出した方がいいです。色々な思いはあるでしょうけど…治りませんよ。」と

          4、警察に被害届を出したほうがいいと言われた