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中沢新一著『レンマ学』『精神の考古学』『構造の奥』などを読む

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中沢新一氏の著作『レンマ学』『精神の考古学』『構造の奥』『精霊の王』『アースダイバー神社編』などを読み解きます。
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#分別

法界と共鳴しつつ生きていることを知る -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(9)

法界と共鳴しつつ生きていることを知る -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(9)

中沢新一氏の『精神の考古学』を読む。

+ +

私たちの「心」は、普段、あれこれの物事を、

好き/嫌い
損/得
うまい/まずい
良い/悪い
ある/ない
うち/そと
容器/中身

などと分けては、
「あちらではなく、こちらを、絶対に選ばなければならない」
という具合に働いている。
「好きなものだけを選びたい、嫌いなものは選びたくない」、「安くてもまずいものは食べたくないが、高くて美味いものも食べ

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超-明るい部屋へ/埋蔵経典を”発掘”する神話的思考 -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(7)

超-明るい部屋へ/埋蔵経典を”発掘”する神話的思考 -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(7)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。

精神の考古学。
私たちの「心」は、いったいどうしてこのようであるのか?

私たちが日常的感覚的に経験している分別心(例えば、好き/嫌いを分別したり、自/他を分別したりすることは当たり前だと思っている心)が、発生してくる深みへと発掘を進める中沢氏の「精神の考古学」。

いよいよ第八部「暗闇の部屋」を読んでみようと思う。

ここで中沢氏は、「まったく光の

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如来蔵・曼荼羅・色即是空空即是色 -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(6)

如来蔵・曼荼羅・色即是空空即是色 -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(6)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。

精神の考古学。
私たちの「心」は、いったいどうしてこのようであるのか?

心の動きの全貌を観察するために、表層の分別心だけに依るのではなく、「セム(分別心)を包摂する(深層の)無分別のセムニー」でもって、目の前に浮かぶあれこれの事柄(諸法)を見て、その「意味」をコトバでもって説く。

+ +

表層の分別心の道具としての言葉は「あちらか、こちらか」「

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潜在眼で心の深層を「見る」/卵の殻としての言語 -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(5)

潜在眼で心の深層を「見る」/卵の殻としての言語 -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(5)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。

精神の考古学。
私たちの「心」は、いったいどうしてこのようであるのか。

私たちが日常的に経験している「心」は、よい/わるい、好き/嫌い、ある/ない、真/偽、結合している/分離している、同じ/異なる、自/他、といった二項対立を分別するようにうごいている。通常「心」というと、こういう識別、判別、判断を行うことが、その役割であるかように思われている。

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分別する眼と無分別の眼を共鳴させる -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(4)

分別する眼と無分別の眼を共鳴させる -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(4)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。今回は、第五部「跳躍(トゥガル)」を読んでみよう。「トゥガル(跳躍)」とは、「青空と太陽を見つめる光のヨーガ」である(p.175)。

「光」を「みる」、視覚のモデルこのヨーガを修することで、あるとても不思議な「光」を「みる」ことができるようになるという。



通常、「見る」といえば、感覚器官である「眼」に「外界」からの「光」が「刺激」として入力され

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執着の源である”言語”を「心の解放」のために転用する  -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(3)

執着の源である”言語”を「心の解放」のために転用する -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(3)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。

『精神の考古学』 第五部「跳躍(トゥガル)」の冒頭、中沢氏は師匠から授けられた言葉を紹介する。

ベスコープというのは映画のことである。映画を見るのはとても楽しい体験である。感情を喚起され、いろいろなことを考えさせられる貴重な機会である。

中沢氏がネパールでチベット人の先生のもとで取り組んだ修行にも、「光の運動をみる」ヨーガが含まれている。このヨー

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中沢新一著『構造の奥』を読む・・・構造主義と仏教/二元論の超克/二辺を離れる

中沢新一著『構造の奥』を読む・・・構造主義と仏教/二元論の超克/二辺を離れる

中沢新一氏の2024年の新著『構造の奥 レヴィ=ストロース論』を読む。

ところで。
しばらく前からちょうど同じ中沢氏の『精神の考古学』を読んでいる途中であった。

さらにこの2年ほど取り組んでいるレヴィ=ストロース氏の『神話論理』を深層意味論で読むのも途中である。

あれこれ途中でありますが、ぜんぶ同じところに向かって、というか、向かっているわけではなくすでに着いているというか、最初から居るとい

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”心”の表層を剥がしていくと -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(2)

”心”の表層を剥がしていくと -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(2)

ひきつづき中沢新一氏の『精神の考古学』を読みつつ、ふと、松長有慶氏による『理趣経』(中公文庫)を手に取ってみる。かの理趣経、大楽金剛不空真実三摩耶経を、かの松長有慶氏が解説してくださる一冊である。

はじめの方にある松長氏の言葉が印象深い。

苦/楽
大/小

何気なく言葉を発したり思ったりする時、「その」言葉の反対、逆、その言葉”ではない”ことを、一体全体他のどの言葉に置き換えることができるのか

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詩的言語/サンサーラの言葉とニルヴァーナのコトバの二辺を離れる -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む

詩的言語/サンサーラの言葉とニルヴァーナのコトバの二辺を離れる -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む

しばらく前のことである。

「人間は、死ぬと、どうなるの?」

小学三年生になった上の子が不意に問うてきた。

おお、そういうことを考える年齢になってきたのね〜。と思いつつ。
咄嗟に、すかさず、大真面目に応えてしまう。

生と死の二項対立を四句分別する。

念頭にあるのはもちろん空海の「生まれ生まれ生まれて、生のはじめに暗く
、死に死に死に死んで、死のおわりに冥し」である。

こういうのは子どもに

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分別心と「霊性」/中沢新一著『精神の考古学』を大拙とあわせて読む

分別心と「霊性」/中沢新一著『精神の考古学』を大拙とあわせて読む

鈴木大拙は『仏教の大意』の冒頭、次のように書いている。

私たちは感覚的経験的に、なんとなく、自分を含む自分の周囲の世界はいつも同じ、昨日と今日も一続きで、ずっとおなじ一つ世界であるような感じがしている。

しかし、実は気づいていないだけで、世界は二つである、と大拙は書いている。第一に「感性と知性の世界」、第二に「霊性の世界」。

感性と知性の世界とは、通常、素朴に実在する客観的な世界だと思われて

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中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読み終える

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読み終える

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読む。
三日間かけて最後のページまで読み終わる。

というわけで、これから二回目を読み始めよう。

前の記事にも書いた通り、わたしは中沢新一氏の著作のファンで、これまでもいろいろな著書を拝読してきたが、この『精神の考古学』も鮮烈な印象を残す一冊でありました。

最後のページから、本を閉じた後も、いろいろとめくるめく言葉たちが伸縮する様が浮かんでは消えていく。

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