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P21. 世界を認識しながら真我は実現するか?―世界が実在するという信念が消えない限り(真我は)得られないだろう―とマハリシ。俄かにこの世界が総て妄念とは思い難いが如何に看破するか。認識することと、そうであることの違いか。認識と言う動機に囚われれば二元の始まり無条件な至福はない。

2週間前

石神井公園 2024.02.25

フォロワーさんを増やす事について。今日の写真は塩パンです。

自己暗示を信念だと思っていませんか?今日の写真はナス、キャベツ、トマト、にんじん、玉ねぎ、しいたけのスープと食パンの朝食です。

人(動物)の命が消えたら無くなる不可逆なものであるという通念、この古き良き道徳は、DX:データ再現性の向上により、形骸化するだろう。 定量的で保管可能なものが命になるから 悲しむことはない。 そう、もはや悲しむことはない。 そもそも文化機序にすぎなかったのだ。 『無痛文明論』

足を触ってもらいました。

現実と妄念の間には、信念と根拠があるのです。金もない、暇もない、遊びも知らない、趣味もないけれど幸せになれるのです。今日の写真はシャケとおからと卵焼きです。

頭の中で「昔のこと」と信じているものは、今目の前で対峙しているあるがままとは全く違うものなのだ。過去も未来も思いの中にしかない。それをも含めての今ここのあるがままで、また時間の概念は高度な生存本能を満たすには必要なのだけど。だが時の概念に縛られて歩めなくなる事も多い。

1年前

我という存在自体がうつりゆく結縁の結果なのに、そこに錨を下ろして不動のものとなれば、流れの抵抗にあい苦しむことだろう。されど我がゆえに、私の根幹を成す我を手放すことはできない。その執着心すらもありのままに受け入れることだ。さすれば観察者たる真の我に至れる。

1年前

恋愛は妄念・妄想との闘い

仕事の辛さについて

2年前

中沢新一著『構造の奥』を読む・・・構造主義と仏教/二元論の超克/二辺を離れる

2週間前

人間の欲望である煩悩が108種類ある謎と意味

1年前

濁浪清風 第51回「場について」㉑