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仕事の辛さについて


唯一の世界は摂理にのっとり動いている。

摂理に外れるものはなく、全ては必然。



偶然とされるモノは、自我とされている存在が

その独立性がゆえに

全てを客観的に見ることができないゆえに

世界に不確実性があるように信じられて

ある事象をそう呼ぶものだ。




人が仕事で人間関係に苛まれるのも

うまくいかずに叱責されるのも

それらは全て必然であり




同時に、私と信じられている存在が

世界のうねりを、そのように分別した結果でもある。




世界はただ、うねり

人は、うねりを各部に分けて意味付けをする。



その結果、不幸とされることを感じたり

世界に絶望したりする。



特に、多数の人間が無数の関係性を持って峻厳に関わり合う

仕事

とされるものには、こと人間性を冷たく拒絶されると感じられる事が

多く起きるかもしれない。




それらは全て逃れようのないことだ。

それと同時に、私が世界をそのように分別して

そのように意味付けした結果でもある。



世界は私が信じたままに姿を変える。

自我がそのように分別したのだから

信じたことを受け入れざるを得ない。



でも、唯一世界の姿は

悠然として、何の分別も受けずに

ただ、そこに、あるがままに在る。



私とされる存在が信じられていることも

それが世界を分別することも

あるがまま、の内にあることも

また確か。




私は苦悶するなら、そのことを受け入れて苦しむしかない。

だが、それは妄念であり

世界があるがままで在ることも、その通りなのである。



仕事が辛いのなら、それは受け入れるしかないことだ。

それと同じく、唯一世界が

本質的に人からの分別を受けることもなく

そこに在る、それだけのことも確かなことだ。



苦しむしかない。

しかし、苦しみは想像の産物である。



あるがままの世界に気づくことができたのなら

私と信じれられている私や

苦悩とされるモノから

解き放たれる定めに導かれるかもしれない。

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