よろしくお願いします。 一人の娘を授かったサラリーマンです。 プロテスタントのクリスチャンです。 メモ帳代わりに、つぶやかせていただいてます。 私の記事へのコメントは読んでいません。

よろしくお願いします。 一人の娘を授かったサラリーマンです。 プロテスタントのクリスチャンです。 メモ帳代わりに、つぶやかせていただいてます。 私の記事へのコメントは読んでいません。

    最近の記事

    • 固定された記事

    全てはたまたまそこにあるのではない。 他の何かと関係性をもち 相互に意味を成せたモノが そこにあることができたのだ。 そこにある…ということは それは成ってるし それと縁を結ぶものも成り立たせている 意味を生じさせているということなのだ。

      • 世界から切り離された自我という存在が安寧を望むのなら、どこかでそれを超越的な存在に委ねるしかない。その道は心の内で「お救いください」とシンプルに祈れるかどうかでもひらける。

        • 人は理不尽な死に弄ばれる。神の視点から見れば全ては必然なのだろうが。この無情なる人生にどう向き合えばよいのだろうか。諦めて全てを受け入れるか、神に全てを受け入れられるように静かに祈るのか。だが「なぜ世界は理不尽で無情なのか」と神に叫んでみるのもいい。それも祈りだ。

          • 人はエゴにとらわれ、かつ狭い視野しかもたない。そんな人間同士が互いに妥当な評価をくだすことはできない。正当なる評価への期待は神にたくそう。我々は互いに的外れな批評を繰り返すのではなく、ただ共感してゆるくつながっていこう。

            人は世界を認識して、頭の中でそれら情報を構成しなおして、それを客観的世界とするため、どうしても世界の間に乖離が生じてしまう。頭の中の世界に執着して思い込むと、現実世界との乖離に深刻な悩みを抱えることになる。そうならないためにも、ただ認識する真我に立ち返ることだ。

            無常で無情なる生と死について、真剣に考えるのも、享楽で日々を埋め尽くすのも、本質は変わりはない。皆行き着くところは死だ。その選択を下すのも摂理の内であり、人は生き方を選べない。ただ認識するだけだ。悩もうとも楽しもうとも、真我は認識するだけ。その真実に気づくか否かだ。

            死にたい人を前に、私は何を言えるだろうか。何も言えない。わけのわからぬまま産まれ落ち、いたずらに右往左往して、瞬く間に自我は霧散する。その事実を前にしたら、生きたいと思う方が無理がある。そう、この世が言葉やロジックに支配されていたら、誰も生きたがらないだろう。だが、違う。

            ただひたすら沈黙する。夜、静まり返った暗闇の中での独考で沈黙する。何も語らない。すると心の奥から声ではない声が聞こえてくる。そしてそれこそが己の思いたかったことなのだと、気づく。

            己の仕事を真に評価してくれるのは、結局は神しかいないのだ。そして褒めてくれたり叱っていただいたりする。人の評価をあてにしていれば、いずれ失望することになるだろう。何が御心にかなうのか?常にこのことを考えて、仕事に取り組みたい。

            誰でも己だけの正義を抱えている。私の敵もその正義に基づき、私を悪としてくる。躊躇なく戦うといい。だが誰かの正義は変えられない。よって私は魔王でいつづけることになるが、それを恐れて戦うことをやめてないけない。

            大きな視点に立てば、個々の違いを感じられないが、視野をミクロにしていけば、違いは際立ってくる…それは当たり前だ。だが大きいデータとか、ある地域を括った事件のニュースを見ると、そこにある幾つものコミュニティを忘れて、大味な一つの感想をもってしまうものなのだ。

            私個人の話で言えば、不安や恐怖。絶望や虚しさを突き詰めた先で強くなれる気がしている。我も隣人も宇宙も、否定し尽くして絶望して、それらに何の価値も見出せず、期待を捨てた時…ただあるがままを受け入れて、ただ在ることを「これでよし」とすることができたのだ。

            人に失望する度に思い知る。「私はなんてひとりよがりな人間なのだろう」と。隣人に期待するから失望する。私も期待されたら、いつか必ずその期待を裏切るだろう。そしてそれは傲慢で甘えた性分なのだ。隣人には期待してはならない。ただ穏やかに共感するのだ。

            私が誕生してここに在るのは、宇宙の摂理にそった結果に他ならず、ただ在るだけで宇宙の意思を発露していることに他ならないのである。全ての存在がそうだ。ただ在ることをもって、胸を張ることができるし、安んじて摂理に身を委ねてもよいのである。

            何かがうまくいった時、たまたま羽を広げたら偶然に上昇気流をとらえられただけの事が多い。それを自身の実力と勘違いすると悲劇が起こる。運命に対する恭順と、自身の力に対する謙虚さが必要だが、己を「これでよし」とあるがままに受け入れる度量も大切だ。

            他者への憤りと恐れ。卑下する己と表裏一体の傲慢。無常なる宇宙と無慈悲なる人生への絶望。そんなものを褥に持ち込まないとやりきれない眠れぬ夜もある。己を生へと向かわせるのはポジティブな思いだけではない。昏き望みなき道を歩んでいる、そんな確信こそが生きる糧となることもある。