認知しあえることで自我は成り立つ。誰とも関われない自我は穏やかに歯車を違えていくだろう。我らは己を「かたどる」のではない。「かたどられる」のだ。誰もが隣人との縁なしには、己を保てない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?