我という存在自体がうつりゆく結縁の結果なのに、そこに錨を下ろして不動のものとなれば、流れの抵抗にあい苦しむことだろう。されど我がゆえに、私の根幹を成す我を手放すことはできない。その執着心すらもありのままに受け入れることだ。さすれば観察者たる真の我に至れる。

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