#とは
【architecture】住吉の長屋①|安藤忠雄
建築家安藤忠雄氏の名目的なデビュー作が『住吉の長屋』である
1976年に完成したこの『住吉の長屋』を武器にこれまで世界中で闘ってきたと言っても過言ではない
安藤忠雄氏の建築の精神は、先日取り上げた『表参道ヒルズ』もすべて、遡れば『住吉の長屋』に繋がっている
『住吉の長屋』はその名の通り、大阪の住吉大社のすぐ近くに位置する
私は今から18年前の学生時代に『住吉』という地名だけを頼りに探し回り実
【architect】コンペ②|ヨーン・ウッツォン
シドニーのランドマークと言えば1973年に完成した『オペラハウス』であろう
白い帆船を思わせる建築が軽快に海に浮かぶ様はシドニーの海の豊かさを象徴しているようである
この『オペラハウス』であるが、1956年に催された国際コンペでデンマーク出身の建築家ヨーン・ウッツォンによってデザインされたものである
実はウッツォンの案は、一次選考ですでに落選案となっていたのを、審査員の一人であるエーロ・サー
【architect】コンペ①|ザハ・ハディド
東京オリンピックのメイン会場となる新国立競技場
2012年に行われた国際設計コンペでザハ・ハディド氏設計の流線形の先進的なデザインが選ばれるも予算の超過を理由に2015年に白紙撤回されたことは多くの方がご存知だろう
ザハ・ハディド氏は若い時からアンビルドの女王と言われるほど先進的なデザインでコンペを戦ってきたが技術がデザインに追いつかず実際に建築されることは少なかった
しかし技術が進歩するとザ
【architect】サッカー×建築
私が小学生の頃、Jリーグが開幕して空前のサッカーブームが到来した
あの頃はJリーグの試合が普通にテレビのゴールデンタイムに放送されていた
Jリーグチップスというポテトチップスには選手のカードが付いていてよく集めたものだ
その後ドーハの悲劇があった
アメリカワールドカップをかけた試合でロスタイムに失点してワールドカップ初出場は幻となった
あの頃現日本代表監督の森保一氏も選手として活躍されていた
三
【architect】プロジェクトマネージャー①
建築家は建築を設計する人
というイメージが強いかもしれない
これは間違っていないのだが
さらに細かく分けると
・デザインを設計する意匠設計
・構造を設計する構造設計
・設備を設計する設備設計
となる
医療の分野で内科や外科などと分かれているのと似たようなものだろうか
小規模の住宅などは特に分ける必要はない
街のお医者さんが色々な患者さんを診てくれるのと同じように重度の場合は専門のお医者さんに
【architect】隈研吾氏に学ぶ
この写真は1991年に完成した隈研吾氏設計の建築『M2』である
時はバブル真っ只中
東京に無秩序にバブルのように、つくられては壊される建築を揶揄するような建築で建築家隈研吾氏はデビューした
『M2』は「第2のMAZDA」の意味で、自動車メーカー・マツダが新商品企画開発の拠点としてつくったビルであるは
世田谷区の環八沿いに堂々と建つこの建築は、古代ギリシャのイオニア式オーダーという柱頭をパロディ
【architecture】南向き信仰の日本人
戦後昭和30年に日本住宅公団が設立され、日本中にコンクリートの団地が大量に建設された
これは昭和50年頃まで続いた
全国には板チョコのような団地が綺麗に南を向いて並行配置され、それぞれの間隔も等間隔にならべられている
これには全ての住戸に平等に日照を確保することが求められた為である
冬至の日照を元に南側の棟の高さから棟間の距離が決まっているのだ
その様はまるで行進をする兵隊さんのように綺麗
【architect】世界に愛される日本人建築家
昨日の新聞で、星野源さんと新垣結衣さんの結婚の記事の脇にひっそりと、建築家の安藤忠雄氏の記事が掲載されていた。
フランスはパリのルーブル美術館からほど近い場所にある旧商品取引所の建物の内部を改修した美術館『ブルス・ドゥ・コメルス』の開館に関する記事である
18世紀の歴史的建造物に、外観は手をつけずに、内部にコンクリートの円筒を挿入し、歴史に対して新しい建築を挿入することで刺激を与え未来へ繋いで
【architect】建築家とは…三宅一生に学ぶ
デザイナーの三宅一生
文字通り日本を代表するデザイナーISSEY MIYAKEである
人間と衣服の関係を探求していた三宅は、1970年代に「一枚の布」という衣服の根源的な発想に至った
日本の着物やインドのサリーのように、一枚の布をまとう美しさに普遍性を見出し、身体の布の間に生まれるゆとり、『間』が、着る人の心も身体も自由にすることに着目した。
『肉体と布の間に自分自身がつくる空間というのがあ