【architect】コンペ②|ヨーン・ウッツォン
シドニーのランドマークと言えば1973年に完成した『オペラハウス』であろう
白い帆船を思わせる建築が軽快に海に浮かぶ様はシドニーの海の豊かさを象徴しているようである
この『オペラハウス』であるが、1956年に催された国際コンペでデンマーク出身の建築家ヨーン・ウッツォンによってデザインされたものである
実はウッツォンの案は、一次選考ですでに落選案となっていたのを、審査員の一人であるエーロ・サーリネンが後から拾い出し、強く推した結果採用されたものらしい
1950年代、建築界は機能主義が全盛でどのような機能を表現するかが問われていた時代にウッツォンはランドマークとしての形を表現した
形の表現には否定的な意見が多かっただけでなく、構造的にもこの建築が可能なのか…そんなことを疑問視する声が多かった
やがて激しい論争にまで及んだそうだ
しかもウッツォンはまだ無名の建築家であった
果たしてこの建築することは可能なのか…
不安を払拭するようにエーロ・サーリネンの後押しもあり設計はスタートした
この建築における最難関はどうやってこの建築をつくるか
つまり構造の問題である
そこで最大の力を発揮したのがイギリスの技術者集団オブ・アラップ・アンド・パートナーズである
彼らは建築の構造設計のプロであり、現在でも世界中でトップラスの技術者集団である
アラップによる構造設計は、安易に妥協することなく当初のデザインを守り抜くことを目標に数年間にも及んだ
その結果コンクリートのシェル構造による見事な形の表現に至ったのである
着工から14年間、総額400億円にも及ぶ大工事となったオペラハウスであるが無事に完成を迎えたのだ
しかし、このとき設計者であるヨーン・ウッツォンは政権の交代によるクライアントからの締め付けにあい辞任されてしまっていたのだ
代わりに採用された地元建築家によってデザインされた内部は、ウッツォンが計画していたものとは全く異なるものとして出来上がったのである
そしてウッツォンはその後二度とシドニーの地を踏むことはなかったそうだ
心血を注いで設計した建築を政治によって引き離され、完成を見ぬまま終わった建築家の運命は悲しいものである
コンペに翻弄され政治によって引き離された建築家の苦闘がオペラハウスには宿っているのである
さてコンペに纏わる出来事を取り上げてきたが、日本でも様々なコンペの歴史がある
次に紹介したいのが日本の首都東京のシンボルである『東京都庁舎』である
新宿副都心に建つこの建築のコンペにはこれまたいわくつきの秘話があるのだ
(つづく)
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