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メルエムに学べ

つい先日、研究者らから、負傷した仲間に「切断手術」をほどこすアリについての報告がなされた。

ナショナル・ジオグラフィックの記事では読めない文章を書けるように、努力してみる。


野生動物が何かしらの治療行為をするのは、そこまで珍しいことではない。

たとえば。スマトラ・オランウータンは薬草を駆使する。チンパンジーにも同様の行動が見られる。傷の手当てをするアリも、今回はじめて発見されたわけではない。

左の葉は、実際にオランウータンが使う薬草だ。

だが。この度の報告にある Camponotus floridanus (カンポノトゥス・フロリダヌス)のケースは、たしかに、特筆すべきものである。


カンポノトゥス・フロリダヌスは、負傷した仲間の足に、切断という外科的処置をしていることがわかったのだ。

背景として。このアリは近隣の他種アリとよく戦闘をするため、負傷者が後を絶たないのだ。

手術は、具体的には、他アリが負傷したアリの足を何度も噛むことで行われる。切断完了までに、数十分かかるそうだ。

平均寿命1~2年の生物にとっての数十分であることに、留意してほしい。


話の流れで必要なため、一旦、違う種類のアリの話をする。

Megaponera analis(日本ではマタベレアリと呼ばれている)というアリがいる。

ケガを負ったマタベレアリは、SOS(ある種のフェロモン)を発して、仲間に救護を求める。「衛生兵〜!」といった感じだ。

大半は、おとなしく巣まで運ばれる。しかし、暴れて救護を拒否するものもいる。

自分で救急車呼んだくせにと、あきれないであげてほしい。フェロモンは自然に出てしまうものなのだろうから。

拒否行動をとるアリは、決まって、大ケガを負っているアリなのだ。6本の足の内4本以上を負傷しているなど。

集団のリソースを無駄にしないように、つとめている可能性。ほどなくおとずれる自分の結末をよくわかっているようだ。

「死亡フラグ 先に行け」だ。


話を戻す。

カンポノトゥス・フロリダヌスは、切断手術中ずっと、おとなしくしている。

マタベレのことをあわせて考えると、おそらく、1体で2本……3本と言っておくか……以上の切断手術というものは存在しない。

ちなみに。全体的な話。昆虫が痛みを感じるか・どれくらい感じるかについては、まだハッキリとはわかっていない。


カンポノトゥス・フロリダヌスは、どうやら、重症か軽傷かの判断もしている。

腿節(たいせつ)より上を負傷したものには、切断手術をほどこす。腿節より下を負傷したものには、切断手術をほどこさない。

人間で言ったら太ももの感覚。

研究者たちは言う。その判断は感染リスクに関係していると。

太もも的な部分には、筋肉組織が豊富にある。それは、全身に血液を送り出すポンプの役割をしていて。損傷すると血流が遅くなる。細菌が全身にまわるスピードも落ちる。と。

ここをケガしているということは、細菌が全身にまわるまで、まだ時間があるな。よし、ガッツリと手術をしよう。こうなのではないかと。

そうでない場合、時間ぎれで絶命してしまう可能性が高いため、(効率的に)見捨てているということだ。

もう一度マタベレアリの例をあわせて考えると、筋が通る。

何より、まさに、アリたちがやりそうなことではある。彼ら彼女らは効率厨だ。より詳しく知りたい人は、過去回を読みにいってほしい。↓


今回の新しい発見について。より特筆すべきなのは、切断という行為自体よりも、この診断(判断)の方である。ーー的なことを書いている記事があった。

私は、その表現はちょっと違うと思う。

他力本願でお借りした。

評価するにしても、私がこんなふうに言ったら図々しいが。この方(有名な方だよね)のお話は、とてもしっかりした内容だ。

https://lab-brains.as-1.co.jp/enjoy-learn/2024/01/58526/

どんなことにも言えると思うが。

1つのことを際立たせるために、他のことをなかったかのようにあつかうのは、どうかと思う。大事な話が見えづらくなりかねない。全てを話すなんて、誰にも無理だけれど。そういう意味ではなく。


私的におもしろいのは、以下の話だ。

負傷した個体のアゴから分泌される化学物質を、健康な個体につけてみるという実験が、行われたことがある。前述したSOSサインのことだ。

すると、何が起こったか。この流れ、書かなくてもわかるよね。

救助活動をするアリたちは、仲間が負傷していることに「気づいていない」可能性がある。負傷していないことに気づかないのだから。

このレベルなのに。切断の必要/不必要や、感染の有無は、ハイ・レベルに判断できている。

これに関して、まとめ的な言葉などない。私にはわからない。

それでも、何か言うとすれば……。自動である部分と自動でない部分が、存在するのだろうか。繰り返す。アリは効率化の鬼だ。highly organized なのだ。


カンポノトゥス・フロリダヌスには、他種のアリの一部に見られる抗菌性化合物を生成する器官が、ないそうだ。

なめる = 消毒という話をしたし、その効果は認められているのだが。それに関して、より高い能力の種は存在するのだ。

だからこそ、切断にまでふみきるという、独自の方法を進化させたのかもしれない。

アリの多様性は、ネズミとゾウの違いに匹敵するくらいある。種が異なれば、アリの行動のレパートリーは大きく異なるということだ。


アリは「戦争」をする。

せっかくだから、今まで話に出てきたアリを例にして、見てみよう。

マタベレアリはシロアリに、頻繁に「戦争」をしかける。目的は捕食。シロアリの1コロニーを全滅させることもある。

ちなみに。反撃はするが、シロアリからマタベレアリをおそいに行くことはない。

その際も、マタベレアリは、負傷兵を巣に運んでいる。かなり軽傷のものも、前線から離脱させるらしい。

この行動は、マタベリアリのコロニーの存続を下支えしていると思われる。救出されたほとんどの個体が、再び、奇襲攻撃に参加しているのが確認されるため。

オオスズメバチがニホンミツバチの巣を襲撃し捕食しようとするのは、有名な話だろう。

無数のミツバチが一丸となるスタイルの、反撃が行われる。羽の振動で熱を発生させ、スズメバチを「蒸し殺す」。これを熱殺蜂球という。

みんなで力をあわせるんだという感じもあり
ニホンミツバチっぽく見えてきた。カッコイイね。

別々の種が一緒に暮らすこともある。

たとえば。シロアリとシロアリではないアリが、一つの巣に同居していることがある。

シロアリの塚や巣は、人気が高いのかもしれない。この回に詳しく書いた。


アリの中には、奴隷狩りをする種が存在する。

警戒を表すにおいを出す → パニックにおちいらせる → 大人を巣の外に避難させる → 巣に残された幼虫をさらう。さらわれた子らは、成長後、襲撃者に奉仕するようになる。

これを言い表す人間の適切な用語は、「奴隷」だろう。誘拐して愛でるわけではないからね。


このように。生物たちは、食物などの資源をめぐって争う時、組織的な動きを見せることがある。

アリやハチといった社会性昆虫は、真社会性と呼ばれる複雑な組織構造を示す。

コロニーの個々のメンバーは、独立した生物というよりも、全体の一部として行動する。

各個体は、生殖カースト/働きカーストのどちらに属するかにもとづいて、特定のタスクを実行する。

それは、発達の初期段階で決定される。成虫になる前から、女王蟻/働き蟻・女王蜂/働き蜂は、外見も機能も大きく異なる。

全てが別々に、真社会性を進化させたにもかかわらず。それらのほとんどが、このカーストの区別を有する。


しかし、例外はある。

「女王不在」と表現されるアリが存在する。

Diacamma(ディアカマ)は、インドやオーストラリアに生息するアリだ。沖縄にも生息している(日本では、トゲオオハリアリという名前)。細かく分類すると何十種かいる。

ディアカマのこの特徴を説明するのは、少し難しい。

全ての個体(働きアリ)が、生殖器をもった状態で羽化するのだが。コロニーで生殖器を保持する働きアリは1匹だけという状況に、どんどん近づいていく。

「ガーマーゲート」が、新しく羽化した働きアリの生殖器を噛み切っていくからだ。

各個体が、成虫になるまでに繁殖する可能性がある。ガーマーゲートも、非成虫女王である可能性がある。

コロニーにガーマーゲートが存在する間は、他のメスは産卵をしない。何らかの理由でガーマーゲートが失われると、他のメスがガーマーゲートになる。

生殖機能も有する他の働きアリたち。生殖機能を有し実際に受精卵を産むガーマーゲート。両者の外見には差がない。

例)ディアカマのガーマーゲートは、多くのアリの女王に共通する、3つの単眼と大きな胸部をもたない。

結局、女王アリみたいなものでしょ。働きアリと見た目の差がない女王アリなんでしょ。

そうだ。だが、このように、その結果に至るまでの流れを見ると。かなり違いがあると思わないか。

Camponotus ligniperda という種の女王と働きアリ。
より巨大な女王の場合、もっと大きさが違うと思う。
誰が女王になるかは幼虫発育初期に確定する。

ディアカマの場合。全てのアリが、成虫初期まで、生殖カーストになる可能性を秘めている。


一般的なハチでは、女王蜂になる運命の幼虫は、特別な部屋で大量のエサを与えられる。

ハリナシバチというハチでは、全ての幼虫に、大量の餌が与えらる。

ハリナシバチの幼虫では、たとえばミツバチの幼虫よりも、コロニー内対立が多い。となりの幼虫からエサを盗んだりすれば、女王蜂になれる確率が上がるからだ。

これは、必要以上に多くの女王蜂が生まれることをまねく。よぶんな(よぶんだと結果的になった)全ての “女王蜂” は、生まれた時点で殺される。

4月1日:第一王妃誕生 → 生誕祭
4月2日:第二王妃誕生 → 処刑
こんな感じ。

カースト決定を管理する方法として、正直、大変非効率だ。また、言うならば、「昆虫らしくない」。


少しは寄り道をしよう。

ハチミツに酸味があるらしい。気になる。
この店舗でマヌカハニーを買っている。
たまにだから私はここの中では高い方の商品を買っているけれど、いろいろな値段で用意されている。

UMFやMGOの認定を受けている、質のたしかなマヌカハニーの、殺菌力のすごさ。

歯みがき後に口に含んで就寝し起きた時の、口内の清涼感は、体験してみないとわからない。歯をみがいたのにハチミツを食べるの?うん、そうなんだ。


余談はおしまい。

アリの幼虫は通常、小部屋に閉じこめられていないし、自分でエサをとる。

アリのカースト決定は、ハチやスズメバチのそれと比べて、成虫の影響を受けにくいということだ。

詩的に表現すると。運命の手綱は、世話係の手ににぎられているのではない。

(今は、生殖カースト・労働カーストのことだけを話しているのではなく。働きアリの中でも、小さめで採食の仕事をするか・大きめで兵隊になるかなどの違いの話をしている)

遺伝子型や気候などの影響は受けるが。

全員を決まったサイズの子ども部屋に入れたら、子どもの大きさにバリエーションが出ない。

人間で想像してもらってもかまわない。

170cmの子と340cmの子だとか、そんな差は出るわけがない。そうではなく、多少の違いの話だ。「多少」の違い。それこそが重要なのだ。


多くの昆虫を見てみると。

個人で生殖する能力をもたないと、対立(内部抗争)が最小限におさえられる。という1つの事実がある。

昆虫の女王は、コロニー内対立を最小限におさえる上で、必然的に中心的な役割を果たしている。

多くの昆虫を見てみると。

協力を強化し・紛争を減らす最善の方法は、グループのメンバーが利用できる選択肢を制限すること。という1つの事実がある。

唯一の女王がより優れた繁殖者になるにつれて、働きアリは兄弟姉妹の子育てが上手くなる。たくさん生まれれば、たくさん世話をするのだから。


そこから、何か学べばよいのだろうか?

その理が他生物にもあてはまるとは、限らない。

ゾウアザラシのオスの「アルファ」は、ハーレム内で交尾を許された、唯一のオスである。

以下は、実際にあった話。

ある「アルファ君」がメスらと交尾をしている間に、ハーレムの境界線ギリギリにいた他オスが、自分のハーレムのメスと交尾をしようとしているのに気づいた。

そのオスを牽制しようと、交尾中に急いで離れたため、彼は生殖器を負傷してしまった。陰茎の骨折により、二度と性行為ができなくなった。「元アルファ君」になってしまった。本来あるべき、勝負の末や寿命ではなく、唐突に。

その後、海岸は、阿鼻叫喚の地獄絵図になった。とてつもない怒りとやり場のない性欲のあまり、錯乱した彼が、複数のメスを殺害したのだ。

にわかには信じがたいが。ただ殺すためだけに、殺してまわった。ゾウアザラシのオスの見た目もあり、「殺戮マシーン」という言葉が浮かんでくる。

ゾウアザラシの画像には、人間の価値観からすると、けっこう見るのがきついものが多い。グロい画像は貼らないでおく。

水族館で見るアシカやオットセイは、かわいいだろうが。彼らだって野生では、ハーレムのアルファになることをめぐって、血みどろの乱闘をくり広げている。


進化における3つの段階
① 社会集団の形成
② 社会集団の維持
③ 社会集団の変容

こう主張する学者の、社会集団の定義は、こうだ。「集団が個人として考慮される可能性のある候補となるような方法で協力するあらゆる実体の安定した集団」

ごちゃごちゃとしか話せないのだろうか笑。「みんなが、努力すれば輝けるような世界になるには、安定した土台が必要」こんな感じ。

力が強ければいいというわけではない。強い者が生き残るのではなく、生き残ったものが「強い」のだ。

進化とは。遺伝子プールが、時間の経過とともにどのように変化するかを語る過程で、私たちがつくり出した言葉にすぎない。

ダーウィンは、最初、進化とは言っていなかった。世間が、進化という言い方を好んだだけだ。

人間は、解剖学的に、対面で性行為をするように最適化されている。他の霊長類では、そうではない。対面での性行為は、個人的かつロマンチックなものになり得る。


海外で最も人気のあるマンガやアニメは、Attack on Titan だ。

だが、エピソードごとなら、HUNTER × HUNTER の 蟻編だ。

最新状況はまた違うかもしれないが、少なくともいつかの時点では、こうだった。

このMADで何度泣いたことか。さすがにもう泣かないだろうと思っても、まだ泣ける。

2者が絆を育んでいったゲーム、軍儀の「儀」は、蟻のむしへんをにんべんに変えたものだとか。


彼のベースはアリだ。

全体のために活動するくせのある生物だ。

愛の何たるかも知った今、自分ならガチでイける!と思ったのは、想像にかたくない。人類を導き、地球を保護しようとした。

みんなが安心して暮らせるよう常に考え、部下たちに的確な指示を出し、1日の仕事を終えたら最愛の妻と軍儀を楽しもうーーそんな幸福なビジョンさえ、よぎっていたかもしれない。

征服よりも和平の方がずっといいではないか、と。

好きな人ができた彼に、かつての傲慢さは、見る影もなかったが。たしかに、先々までの確証はない。

結局、勝敗は最初から決まっていた。科学力による圧倒的な差。フィクションだがリアルな話だ。


メルエムが、コムギが男性だったら尊敬の念を抱かなかったなどということは、あり得ない。

けれど。ここまで深い精神的な関係でも、相手が異性(女性)であったことは、やはりキー・ポイントだった気がしてならない。

あの時の自分はわかっていなかった。わかっていなかったに違いない。 母が死んでもなんとも思わなかったのだから。自分が死ぬ間際になり、わかってきた。生命の尊さについて。生まれてこなければコムギに会えなかった。こんな幸せを得ることはなかった。自分がしてしまったことを謝りたくても、生んでくれた感謝を伝えたくても、もう会えない。

最期に彼は彼女に求めた。母性を。相手が女性である必要は、いくばくかあっただろう。


人類の恋愛はいいものだ。

昆虫やゾウアザラシと比べてみて。

生きてる内に、本当に好きな人がいたら、気持ちを伝えるといい。あなたとその相手の組みあわせは、全宇宙に二度と起こらない、奇跡なのだから。好きにさせるテクニックだとか、そんなのは。そのことに比べたら、ゴミだ。

勝負や試合はいいけれど。この中の全員(みんな能力が違っておもしろい)が、戦死などせずに生きていたら・争いあわずに協力しあえていたら、世界はもっと楽しいものになっていただろうな。

生まれてきたことに必ず意味がある。やり続けることに必ず意味がある。世界は君の輝きを待ってる。青い地球にありがとう。だってさ。

私は王道が大好きだ。