病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈10〉
『ペスト』の物語を読み進めていくと、印象としてリウーという人物はどうやら、たとえば「理想」などというものを、自ら強いていっさい持たない主義の人であるというのは、確かなところとして理解することができる。そればかりでなく、彼にはどうもこれといった願望や欲望というのもまた、その言動からは見受けられないようにも思えてくる。あるいはもしかするとリウーという人は、そもそも「観念そのもの」も持ち合わせていないのではないかとさえ思えてくるほどだ。ある一つの観念を強いて持たないようにしているうちに、まるで観念そのものをどこかに置き去りにしてきてしまったかのように。
しかし別に彼は、ことさら禁欲的であるとか求道的であるとかいうわけではないし(達観は少しあるのかもしれないが)、かと言って別に捨鉢とか投げやりに生きているわけではもちろんない。彼には豊かな感情も知性もあるというのは言うまでもないことだ。だが、その彼の内面にあるはずであろうとおぼしき、何というか「心の矢印」とでもいうものが、その「外の世界」のどこに対しても向いていないのではないか、そんな印象をどうしても受けてしまう。言い方を変えると、彼の心には窓もドアもなく、ゆえに誰もそこには入っていかないし、彼自身もそこから出てこない。彼に関わる人々が見るのは、彼の心の「外観」だけなのである。そういう意味で、このリウーという人物も、どこかある種の虚無というものを、抱えて生きている人のように思えるのである。
仮にもし、リウーが医師でなかったとしたら、どうだったのだろうか。もちろんコタールのようにとまでではないとしても、しかし何らか事態が我が身に直接降りかかってくるまでは、その状況からは意図して距離を置き、それを「外から」いささか冷笑的に眺めていたのではないか。そんな風にも思える。
そのためなのか、作品冒頭のリウーによるオランの町や市民の様子の描写は、いささか素っ気なく冷めた印象を受ける。どこか他人事のようであり、少なくとも自らの暮らす町や住民らに対しては、積極的な愛着やシンパシーなどといったものを、毛ほども表してはいない。逆にその筆致は、対象であるオランの町の姿を「客観的に」読者へ知らしめようという以上に、むしろ彼リウーの人となりというか、その醒めて乾いた物の見方を露わにするもののようにも思われる。
一方でそのリウーが描写するところの、一般的なオラン市民にとっての「わが町」というのも、この土地に愛着を持ち、この町において生きて暮して、それを通して自らの幸福を育んでいくことに、人生の喜びを見出していける、というような場所ではどうやらないようだ。彼らにとってのオランとは、「たまたま」この地に寄り付き、いっときの間できる限り少しでも金を稼げる仕事なり商売なりに集中して励み、そしてその用件が済んでしまえば、それ以上は大した未練もなくさっさとそこを去っていけるような、その土地と自分自身との間に、縁だの絆だのといった情緒的で煩わしい結びつきなどいささかも感じないで済むような、まさしくその気候と同様に人の心も「乾いた」風土というのが、彼らにとってのオランという町なのだ。少なくともリウーはオラン市民の気質について、そのような印象を抱いていたわけである。
またリウーは、そんなオランの気風を「死ぬことに難渋する町」だとも表現する。逆に言えば、この町で生きて生活し活動していくためには、「常に健康であること」が要求されるのだ、と。
「…病気をしているのはいかなる場合にも愉快なものではないが、しかし、病気のなかで身をささえてくれ、ある意味でのんびり羽を伸ばしていられるような、そういう町や国もある。病人というものは優しさを欲し、好んで何かによりかかりたがるというのは、きわめて自然なことである。ところが、オランは、気候の激しさ、人々の営む事業の重要さ、装飾的なものの乏しさ、夕暮れの過ぎ去る速さ、それから楽しみというものの質など、すべてが健康を要求している。病人はこの町ではまったくひとりぼっちである。暑さに弾けそうな幾百の壁の陰で穽に捕えられ、死んでいこうとしているものと、一方、その同じ瞬間に、電話口やカフェで、手形や船荷証券や割引について話し合っている全住民とをここで考えてみるがいい。死というものが、近代的な死さえも、こんな具合に無味乾燥な場所で襲った場合には、そこに快適ならざるもののありうることが理解されるであろう。…」(※1)
そのようなオランの町で、まさに「死ぬことを要求される」病、すなわちペストが発生してしまった。そして長く続いた病禍により、町は季節を失くし、人々は表情を失くし、病人と死者は名前と顔を失くして、ただ十把一絡げの「数」にまとめ上げられた。オラン市民はこのペストの日々において、ある意味それぞれが現に生きている「人間であること」を、その市民全体として丸ごと否定され、市民全員が丸ごと「まったくひとりぼっち」にされてしまったわけなのである。
〈つづく〉
◎引用・参照
※1 カミュ「ペスト」宮崎嶺雄訳