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2020年2月の記事一覧

五感で極端に感じたものを中和するのってなかなかに難しい。辛さ>甘さになるし、痛覚>快楽になる。人間の感情と同じで、つらさの方が勝ってしまうのだ。ただ挑戦することを否定したら成長なんてできっこない。最初から極端に挑もうとしなくても、出来ることから始めるのが無難で小リスクだと思う。

僕のつぶやきが誰かの心に響いてくれたらなと思う。心に秘めておくだけだと、いつか溢れ出して自分じゃなくなっていきそうだったのもあったから。正解も不正解もない世の中で、ちょっとしたことを掻い摘んで表現しているだけ。万人受けより、1人の心に深く届いてくれることほど嬉しいことはない。

0のボーダーラインは人それぞれだ。その誰もが同じ考えを持っているとすれば、そこより下に落ちることはないということ。更地に1人おかれた状態で、どうやって家を作ろうかみたいな感じ。多くのことを0から鍛え直すことができるのは凄く大切だと考える。1-99の人間になれれば結構どうにかなる。

人って勝手にグレーゾーンを作ってしまいがちな気がする。家族でさえも認識の違いが出てしまうのに、それを世間一般に作ってもいたちごっこは止まらない。もっと悪の縛りが強くなる詰めの所まで考案すれば良いのにと思う時がある。番人も万人には勝てないのかな。今も慌てて後手に回っているけれど。

世界がこれだけ騒がしいのに、普通に生活していいのだろうか。他人まで気にする必要はないけど落ち着いてもいられない。紙一重の環境だからかな。初めての経験になると情報が錯綜して掴みにくくなってしまうのだから、健康に過ごしてきた自分を信じることが1番の薬なんじゃないかとさえ思えてくる。

また明日がやってくる。当たり前かのように目を覚まし、自動的に身支度を整える。乗り物に揺られながら働き場に赴き、仕事という任務をこなす。力を使い果たし帰れば、その先もまたベルトコンベアのようにお決まりの行動。楽しさはどこへやら。疲れたなぁ。
また明日がやってくる。

時間の使い方が超下手だなと感じる。気づけばスマホを手に持ちアプリを開く。昔のガラケーの方ができることが限られていたから、そのままでいてくれた方が良かったのにと。その時間で創作意欲を掻き立てたり、誰かと会話したり、何処かへ赴いたり。限りを拡大して捉えてあげると有意義に過ごせるのに。

誰かを思い続けられることほど幸せなことはない。思う人と結ばれ、未来の生活を楽しみにしながら心を通わせる。時に手が解けることもあるかもしれないけど、逆にそこからが人の強さを発揮できるところだと思う。だから、毎日を楽しんで笑い合って過ごしてほしいと思う。心からのおめでとうを贈ります。

憧れのままでいようと思う。マネまでしてしまったら自分じゃなくなる気がして。助言は助言として受け取ろう。そこからどう料理するのかはあなた次第。それが自分らしさというもの。正解は⚪︎年後みたいな話が大半だから、自分を信じてみればいい。ダメでも死ぬわけじゃないんだからさ。

結局、人生の成功をつかむ秘訣は遠回りをすることにあるんだと思う。近道したって何かを見落としたまま走っていれば、取りに戻るのに無駄な労力となってしまう。その過程の中において別に関係ないことでも、重要な場面で意外と役に立つことがあるかもしれない。いわゆる、RPGの鉄則みたいなヤツ。

出会った人。好きだった人。思い出した人。忘れた人。泣いていた人。酔っていた人。働いていた人。例えだしたらキリがない。世の中には多くの人があらゆる場所で行動している。その場所で、その時間しか見れない表情や感情は誰の物であっても貴重だ。その一瞬の時をかみしめて笑いながら生きたいと。

久々に贅沢食を堪能した。訪れた場所が敷居高めで緊張感があった。もちろん美味しかった。金銭感覚が低めな生活を普段送っているので、運ばれてきた料理に対してすごく手間がかかっているなと。いつもの外食だといつも通りの自分でいることができたのに、今日は別の自分を演じている気がしてしまった。

みんながみんな分かってくれなくてもいい。多様性の中で意見を飲み込めない人だっている。僕たちに考えがあるように、その人にだって自分はある。それを認めようとしないから偏見やいじめが起こる。ただ間違いなく言えるのは、誰も傷つける気なんてないということ。人が人であることの難しさが故。

ジャズミュージック。コーヒー豆の香り。向かい合わせに座る。おしゃれとワクワク感を抱えてやってきた君は今日も可愛い。別々のコーヒーをオーダーし、互いの近況を聞き合う。話したいことがありすぎて。届いたコーヒーを一口頂く。甘酸っぱい味がした、バレンタインのあの日。