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好きな小説

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お気に入りの小説コレクション 複数話あるものは、そのうちひとつを収録させて頂いております
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#短編小説

『東京23区最後の日』1

『東京23区最後の日』1

1 東京じゃないから

 ナオコは毎日トオルとのメッセージのやり取りを欠かさない。
 昨年、地元の高校を卒業して、東京の大学に入学した。いくつかの志望校はあったものの、東京の大学ならどこでもよかった。
 地元にも大学はあった。しかし、ネットで流れてくる若い女性タレントの東京での私生活に憧れないわけにはいかなかった。
「今日は久しぶりのオフ。表参道の新しいカフェでランチでーす」
 しかも、そのアイド

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【短編SF小説】ニュー・シネマ・インフェルノ

【短編SF小説】ニュー・シネマ・インフェルノ

 多分僕は、映画をあまり愛していないのだと思う。
 学校では映画研究部に所属し、月に二、三本は必ずロードショーを観ていた。いや、そもそもそのペース自体、あまり熱心な映画ファンとは言えないだろう。部員仲間には、週に一本どころか、毎日のように映画館に通いつめる者もいた。一体、どこからそんな金を捻出していたのやら…
 そう、例え食うものを食わずとも、映画を観るための金は捻り出す。
 それが真のシネフィル

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短篇小説|ギはギルティのギ

短篇小説|ギはギルティのギ

 ギルがゆるやかにハンドルを切ると、目の前に青い海が広がった。ネモフィラの花畑を思い出す色彩。セリは息を呑み、わずかな時間、苦悩を忘れた。
「ほんとうに、私の頼みもきいてくれるの」
「もちろん」
 約束だからねと、彼は前方を見たまま答えた。車内にはミントの香りが漂っている。
「どこへ行くの。そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
「もうすぐ着くよ。それに」
「私は知る必要がない、でしょ」
 セリ

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掌編 ライカ

掌編 ライカ

 中学に入るまで、父の仕事でわたしは日本各地を転々とした。同じ日本語なのに少しずつ違う言葉、違うブーム(引越し前の小学校ではポケモンがものすごく流行っていたのに、翌週次の場所に行くとカービィが流行っていたりした)、そして総入れ替えされるクラスメイト。わたしは、おそらくまたそう遠くないうちに別れることになるだろう子供たちの顔を、一瞬で覚えて未練なく忘れるという特技を身に付けた。顔は覚えても、一定の距

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ダブルコスモス 【ピリカ文庫(2021) ショートショート】

ダブルコスモス 【ピリカ文庫(2021) ショートショート】

 納屋を片付けていたら、手金庫が出てきた。
 金庫とは、ちと大仰かもしれない。両手で包み込めるほどの箱に、南京錠がちんまりとしている。
 おそるおそる、四桁の数字をあわせてみる。
 おいそれと、カチリ、とはいわないのであった。

 祖母の手にかかると、あっけなく開いた。
「ばあちゃん、じいちゃん、父さん、母さん、私、誕生日は全部やったけど」
 ふふふふ、と祖母は声を立てずに笑う。
「宝の地図?」

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赤と黒 〜僕らが決別した理由

赤と黒 〜僕らが決別した理由

 編集者の中にはベストセラー作家よりも有名なものがいる。いわゆるカリスマ編集者と言われている連中だ。彼らは本を売るために作家の原稿に手を入れ、時としてベストセラー作家に対してさえ書き直させる。そしてそういう連中の編集した本は話題となり、連中はベストセラー本の編集者として本の著者よりも持て囃された。だが、作家としては自分の原稿に手を入れられ、また直接ダメ出しされるのはかなり屈辱的なものだろう。しかし

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知冬のからだ

知冬のからだ

短編小説

◇◇◇

 1

 そして知冬は、ぼくが見ている前でチャコールグレーの手袋を脱いだのだった。ぼくはこのとき、どんな表情をしていたのだろう。自分のことながら、今もって思い出すことができない。ぼくは、手袋の下から現れた彼女の手を見ていた。現れるはずだった手を見ていた。現れるべきところに現れているはずの手を。見えていないのに見ようとしていた。

 2

 知冬が手袋を脱ぐその三十分前、ぼくら

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救世主

電車に揺られ、イヤホンから聞こえるお気に入りのプレイリストに意識がふわふわと溶けていく。
今日も一日、社会生活をよく頑張った。会いたくない人とも会い、話したくもないのに話し、笑いたくもないのに笑った一日だった。
18時になったと同時に誰よりも早く学校という小さな社会から抜け出し、こうして一人で電車に揺られている時間が好きだ。
心地よい揺れに意識を手放そうとした、その時。大きな衝撃音とともに、鼓膜を

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【短編小説】涙くんと涙ちゃん

【短編小説】涙くんと涙ちゃん

「見ててな」

藤野は上目で俺を見ながら、人差し指で自分の目頭を差した。そこから、ツー、と涙が溢れ出す。鼻筋を通って、口元まで垂れてきたところで、涙を手で拭う。

俺は、急に泣き出した友人をまじまじと見る。

「まあ、びっくりするよね。これが俺の特技というか、特殊能力」

藤野はテーブルの紙ナプキンで涙を拭き取っている。

「自在に涙を流せる・・ってこと?」

藤野は頷く。

テレビで見るような、

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Vanillaトレイル

Vanillaトレイル

 楓のくるぶしは、ちいさく尖っている。
 靴下からはみ出たそれはわたしをふやけさせるには充分で、きっとこの笑顔ははしたなく溶けているにちがいない。
 プレゼントしたばかりのスニーカーに楓の足がおさまる。ネイビー✕白の巻き上げソールが、昨夜の名残りを健康的な彩りで上書きするのを見て、うれしいようなさみしいような気持ちになる。
 行かなければいいのにと思いながら、楓の首に鼻をうずめる。ほんのり温まった

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