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島風の便りと夜の海のさざ波の中で。

時々 日常のこととか忘れてゆっくりと静けさを味わいたくなる。君にもあるよね?たまに人生について深く考えてしまう僕にもあるのだから。

海のすぐそばにある温泉へ 自宅から車を走らせること20分。時間は22:00を過ぎており 行き交う車のヘッドライトはパラパラ。静けさ、静寂を味わいたいのだから その時間帯に温泉へ行く人はかなり少ないだろうと予測し その時間帯を狙ってきたのだ。 好き好んで 人がいっぱいいる時間帯を選ぶ理由はどこにもない。

海風が吹き抜ける少々肌寒い駐車場。そこに止まっている車は ポツポツ。茶色い木製のドアをガラガラと開け 恐る恐る中を見渡す。 下っ腹が角煮まんじゅうのような形状をしているおじさん 2〜3人を角煮。いや 確認。よし とりあえず予想どおりの結果に 胸の中で高らかにガッツポーズを突き上げる。

***

ちゃぽん

足の親指が 1番乗りで 肌寒さから逃れ 膝 太もも お尻 腰と いつもの定例の順番でジワッと浸かり 胸のあたりまで体を湯船に沈める。

下から上にゾワっと体の芯を抜けていくような熱さ が 「あぁ…」と声になった。

目の前に広がる海と空は その境目が分からないくらい真っ暗な夜の闇となって 僕の心を深々とさせる。息を吸うと ふわっと水面に浮き上がり 息を吐くとスーッと沈んでいく体。その度に 茶色に濁っている水面は静かにうねりながら 何層もの浮き沈みの形成を繰り返し 僕の手の届かないところで揺れて そして消えていく。

こんなに静かだと 何かに思いを馳せたくなる。そうだな 今 ここで自分の記憶にリクエストするならどんな曲がおすすめかな と想像してみる。

目をつむり 僕の頭の中のミュージックライブラリに 静寂と平成というキーワードで検索をかける。

そして あっ と手にとった 昭和生まれの僕の記憶から再生されたのは 印象的なアコースティックギターの音から始まる −

ジェイムス・ブラントの「You’re Beatiful」だった。

僕はあごまで 体を沈ませ 頭の中に響くジェイムス・ブラントの声の振動と 冷たい風にそっとゆれる湯船をじっと見つめながら 静寂したこの世界を 隅っこから潜むように聴いていく。

これだ。これのために 今日はここへ来たんだ。

湯船からはみ出した体の湯気が 延々と伸びて 空の闇に吸い込まれていく。僕は 島風の便りと夜の海のさざ波の中で 狙い通りの理想の静寂を味っていた。

波が岩肌に触れ どぽん 小さな白波をたて ざーっざーっと 遠慮気味の音を立てる。一聴すると 不規則に奏でているようだが ある一定のリズムを刻むように 僕の耳から入り 精神的な感覚に触れていく。

それはそれは静かな夜。この世界で 僕だけが取り残されているような寂しさを感じつつ 遠く離れた場所から この世界の喧騒をひっそりと ひとり刺すように見ている味気ない偏見も巡ったり。

……と

「きゃーめちゃくちゃ気持ち良いー!」「ほんとマジで気持ちよすぎる!」「あれ お湯ぬるくない?」「はぁあ?熱いってこれ!」「そっかな?でもとにかく気持ちよすぎるねー」

ビクッ?!

あご近くまであった湯船が ドドっと口の中まで入ってくる。

その静寂をいとも簡単にぶち抜いてきた甲高い声。

こちらから姿形は全く確認することはできないが 常識と性別で遮られた壁の向こう側から 聞こえてくる。一瞬 イラッとしてしまう自分の心の小ささにアホくささを感じつつ すぐさまジェイムス・ブラントの「You’re Beatiful」のコーラス部分まで巻き戻し もう一度そこから聴き直してみる。

「てかさ    ってさ  思ったより  だよね!」「えーーマジで!  だから わかんなかった!!」「すぐ     だもんなー!!」「ははははは!」

そうか。

予定通りかと思われた静寂の時間は どうやらこれで終わりらしい。僕はやむなく ジェイムス・ブラントの「You’re Beatiful」を止め 甲高い声を受け入れてみることにした。

全身の穴たる穴がスピーカーフォンにでもなっているかのように 彼女たちの声は 夜の闇を不自然にも従える。そんな状況でもあるので こちらもそれを楽しむほかないのかなと思い そっと聞く耳を立ててみた。

「  そうだね!    ってさ    じゃない?」「   そそう     のことってよくわかんないけど   嫌いじゃないかな」「でもさ   とは  なかなか    絶対だよ!」

とは言え 肝心なところが聞き取れず 内容が全く分からない。そのまま 彼女たちの甲高い声は 楽しさに満ち溢れたまま 数分間も続いた。

静寂とは程遠い状況に 疲れているのに眠れない時のような居心地の悪さを覚えたが それが恐怖に慄く悲鳴ではないことに 平穏を感じられたのは 海よりも深く 空よりも広い 僕の良心のせいか。自分で言うなという声が聞こえた気もするが それは 紛れもなく安心した世界にいることの知らせであることを 僕の心を感慨深い気持ちにさせてくれた。

そうか 僕は 銃声や悲鳴ではない 均衡が保たれた音の世界に生きている。

ざぶん。

足先から滴(したた)るお湯の湯気が 数メートルほどついてくる。ふっ とため息をつきながら 静寂の時間を終えた。

***

車のアクセルをゆっくりと踏み いつもの見慣れた道に差しかかった時 ここが僕の現実だ。そう感じた。

人類のすべてを支えている黒いアスファルト 数百メートルごとに点滅する信号 コンビニの絶え間ない光 少しの星と少しの贅沢 そんな何気ない日常が 僕の住む世界だ。

変えたくないなら変わらないし 変えたいなら変わっていく。

そんな日常に 呆れるほど 焦がれている。


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