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#この経験に学べ
崎陽軒の読み方を知ったのは、新木場から帰った18の夜
TwitterあらためXの治安が悪い。
僕がはじめてTwitterに手を出したのは高校を卒業した2010年で、その頃はとてもほのぼのしているSNSだった。
たとえば、朝起きた時に「OCEANLANEの曲みたいな空だ」と呟いたら、会ったこともない人から「私もです!」とリプライが来たり、できたばかりのサッカーチームの公式アカウントをフォローしたらすぐにリフォローしてもらったり、それらが治安の良いエピ
新宿歌舞伎町の喫茶店で行われた社会人予行演習
大学生の頃、音楽雑誌を作るという名目で集まって、ひたすらダラダラするサークルに入っていた。
音楽雑誌を作るという名目で集まった割に、音楽にはあまり詳しくない大学生の集まりだった。
それっぽいサークルの形をなぞって数年連続でフジロックに行ったこともあったけれど、大御所のヘッドライナーを観てもわかるのは名前だけで、高いチケット代をドブに捨てて都内に戻ってスーパー銭湯でぬくぬくしていた。
大してライブも
事件は国分寺のマンションの一室で起きた
大学4年生の頃、就活を終えたと同時くらいのタイミングに、仲が良くて色々と面倒を見てもらっていた一個上の先輩から「久しぶりに会おうぜ」という連絡をもらった。
ぜひ進路の報告をしたいですと返信すると、待ち合わせ場所は国分寺駅近のタリーズを指定された。先輩は、最近国分寺でよく遊んでいるらしい。
タリーズの中に入ると、すでに先輩は到着していた。
学生時代と変わらず元気そうな先輩と向かい合わせで座って、お
仙川で生活したからこそ気付いたこと
数年前、奥さんと同棲をはじめた街が仙川だった。
もともとそれぞれ一人暮らしをしていた下北沢エリアで2人で住める家を探してみたけれど、そこそこの家賃を出しても古過ぎたり、狭過ぎたりする物件にしか出会えなかった。
仕方なく井の頭線沿線を諦めて京王線沿線に広げて物件を探し始めると、23区を抜けて調布市に突入したあたりからいきなり家賃帯が下がることがわかった。都心に出るのに交通が特段不便でもないので、一度
鶯谷で予想していないことが起こるのは愛に溢れているから、かも
鶯谷では予想していないことが起こる。
そんな確信が芽生えつつある。
鶯谷に初めて行ったのは高校生2年の頃だ。試合会場の高校の最寄駅が鶯谷だった。電車から降りて改札を出た印象は、飲食店がところ狭しと並んでいるというもの。そして少し歩みを進めると、すぐにラブホテルが林立していて、「夜の街」と感じた。
自分たちの高校を含めジャージ姿の集団が、ラブホテル街にうじゃうじゃと歩いている。同級生と目配せをし