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トウキョウ百景

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東京生まれ東京育ちの30代。 太と環は、それぞれの東京で生まれ育ち、二十歳の時に東京で出会いました。 2人が見てきた東京の景色、東京での物語を、紹介していきます。 ぼくらが育…
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#この経験に学べ

赤坂のサイゼリヤで悪い癖が出た

赤坂のサイゼリヤで悪い癖が出た

制作会社に勤めていた頃の話だ。
夜遅い時間に赤坂で開かれた、クライアントとの噛み合わない(よくある)ミーティングを終えて心身ともに疲弊しながらも、自分たちがやるべきタスクをすぐに整理しておかないと明日からの状況が更に悪くなることは明白だった。
クライアントの逆鱗に触れるミスをした張本人であり、テンパりまくっている先輩と2人で作戦会議ができる場所を探し、サイゼリヤに行き着いた。

赤坂は、僕が高校生

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下高井戸での違和感は私のアラーム?

下高井戸での違和感は私のアラーム?

声が大きいなと思った。
下高井戸駅の本屋で待っていると、吉田くんが若干の汗を滲ませながら「遅くなりました」とはにかんだ。時間に遅れたことは本当にどうでもよかったものの、なぜこんなにも本屋で声が大きいのだろうと少しひっかかった。

それから下高井戸駅の周りを散策して、カレー屋さんへ行く。クラフトビールを飲みながら、仕事やジェンダーのことに話が進む。同じソースから情報を得ていることや、大切にしたい考え

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崎陽軒の読み方を知ったのは、新木場から帰った18の夜

崎陽軒の読み方を知ったのは、新木場から帰った18の夜

TwitterあらためXの治安が悪い。
僕がはじめてTwitterに手を出したのは高校を卒業した2010年で、その頃はとてもほのぼのしているSNSだった。

たとえば、朝起きた時に「OCEANLANEの曲みたいな空だ」と呟いたら、会ったこともない人から「私もです!」とリプライが来たり、できたばかりのサッカーチームの公式アカウントをフォローしたらすぐにリフォローしてもらったり、それらが治安の良いエピ

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世田谷の道に置いてきた

世田谷の道に置いてきた

二股に分かれた道だった。敦は私が後ろから追いかけてくると思っていただろう。だけど私は、敦が進んだ左の道へは行かず、右へ行った。敦の方を見ることもなかったし、気にすることもなかった。初めて自覚的に人との縁を切った瞬間だった。

2010年春、私は大学生になった。勉強も遊びも充実させたいと思っていた自分にとって、大学はさまざまなチャンスや情報が転がっているように感じられ、胸が躍るとはこういうことなのか

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新宿歌舞伎町の喫茶店で行われた社会人予行演習

新宿歌舞伎町の喫茶店で行われた社会人予行演習

大学生の頃、音楽雑誌を作るという名目で集まって、ひたすらダラダラするサークルに入っていた。
音楽雑誌を作るという名目で集まった割に、音楽にはあまり詳しくない大学生の集まりだった。
それっぽいサークルの形をなぞって数年連続でフジロックに行ったこともあったけれど、大御所のヘッドライナーを観てもわかるのは名前だけで、高いチケット代をドブに捨てて都内に戻ってスーパー銭湯でぬくぬくしていた。
大してライブも

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事件は国分寺のマンションの一室で起きた

事件は国分寺のマンションの一室で起きた

大学4年生の頃、就活を終えたと同時くらいのタイミングに、仲が良くて色々と面倒を見てもらっていた一個上の先輩から「久しぶりに会おうぜ」という連絡をもらった。
ぜひ進路の報告をしたいですと返信すると、待ち合わせ場所は国分寺駅近のタリーズを指定された。先輩は、最近国分寺でよく遊んでいるらしい。

タリーズの中に入ると、すでに先輩は到着していた。
学生時代と変わらず元気そうな先輩と向かい合わせで座って、お

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吉祥寺で表舞台に立って泣いた日

吉祥寺で表舞台に立って泣いた日

体調は悪かった。正直なところ外に出ていいかどうかはギリギリな日だった。

2023年10月28日、吉祥寺のPARCOでやったZINEフェスに出展した。太と3年以上にも及ぶこのOLiの活動を、手のひらサイズの折本にまとめてみたのだ。一人で出展するのは心許なかったので、親友の美香とマサにも絵を販売してもらい、一緒に当日を迎えた。ただし、私は5日ほど前から体調を崩し、ようやく稼働できるようなギリギリの体

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仙川で生活したからこそ気付いたこと

仙川で生活したからこそ気付いたこと

数年前、奥さんと同棲をはじめた街が仙川だった。
もともとそれぞれ一人暮らしをしていた下北沢エリアで2人で住める家を探してみたけれど、そこそこの家賃を出しても古過ぎたり、狭過ぎたりする物件にしか出会えなかった。
仕方なく井の頭線沿線を諦めて京王線沿線に広げて物件を探し始めると、23区を抜けて調布市に突入したあたりからいきなり家賃帯が下がることがわかった。都心に出るのに交通が特段不便でもないので、一度

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鶯谷で予想していないことが起こるのは愛に溢れているから、かも

鶯谷で予想していないことが起こるのは愛に溢れているから、かも

鶯谷では予想していないことが起こる。
そんな確信が芽生えつつある。

鶯谷に初めて行ったのは高校生2年の頃だ。試合会場の高校の最寄駅が鶯谷だった。電車から降りて改札を出た印象は、飲食店がところ狭しと並んでいるというもの。そして少し歩みを進めると、すぐにラブホテルが林立していて、「夜の街」と感じた。

自分たちの高校を含めジャージ姿の集団が、ラブホテル街にうじゃうじゃと歩いている。同級生と目配せをし

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