記事一覧
たくさんの「いれる」
入れる、居れる、容れる、淹れる、煎れる、挿れる。日本語の難しさの所以たるもののひとつ。いれすぎだろ。
と、直感的に感じたがこれに関してはそこまで複雑ではなかった。なぜなら、どれも「入れる」だからだ。「入れる」というコアイメージ、言わば集合があって、他は全てこれの元と云える。ただ、「入れる」動作の目的語に相応しい漢字が当てられる。
会話の文脈次第でコーヒーを「入れる」としても
最近の音楽が聴けない。
「けいおん!」一期一話の、律、紬と澪の三人が唯に向けて演奏した『翼をください』に泪した。
唯の言う通り、あの演奏はあんまり上手くない。だが、あれは俺が求める音楽にかなり近いんだと思う。下手であれ、ということではない。音楽は、人の動きだ。そして、それは不完全だ。その不完全さこそが音楽に命を宿す、違うか。
確かにあのシーンは演出に他ならない。「お前は演出に泣かされたんだよ」と言われたら、僕はここ
noteを習慣化したい。
そう、三度目の正直ってやつだ。このアカウントの前に僕は二度死んでいる。三日坊主すぎるだろ。勿論noteをやってみようと、現に三回も思えているから、文章を綴るのは好きだ。けれど、自分の文章力の低さ故に、簡単な内容を伝えるためにたくさんの時間と文字数を消費してしまうから、厭になる。
大学のレポートのせいだ。レポートなんて、ましてや、大勢の文章を読まねばならない教授の立場に立てば、短けりャ短いほどいいだ
人生十八年を振り返る
まえがき
2022年9月30日、高校時代からのとある友人と久々に連絡が付いたので話をした。大学に入ってから初めての彼との語らいだった。近況報告から入り、大学生活について、そして大学に入ってからの人間性の変化について語り合った。彼が床に就くということで話は終わった。午前4時、昼夜逆転のせいでいまだに冴えた頭の中で話した内容を振り返る。変化や成長の話が主だったということもあり、話を整理していくうえで
イヤホンケースをなくした。
七月十四日、イヤホンケースをなくした。これを機に僕は外で音楽を聴くのを辞めようと思う。そう心に決めた今日、既に音楽を求めている自分がいる。ただ、僕はこれを音楽への愛とは呼べないような気がする。寧ろ中毒という言葉の方が腑に落ちる。
音楽が非常に身近なものになった今日、私たちはもしかしたら音楽が持つ本当の︎価値に気づけていないのではなかろうか。