たくさんの「いれる」

    入れる、居れる、容れる、淹れる、煎れる、挿れる。日本語の難しさの所以たるもののひとつ。いれすぎだろ。
    と、直感的に感じたがこれに関してはそこまで複雑ではなかった。なぜなら、どれも「入れる」だからだ。「入れる」というコアイメージ、言わば集合があって、他は全てこれの元と云える。ただ、「入れる」動作の目的語に相応しい漢字が当てられる。
    会話の文脈次第でコーヒーを「入れる」としても、会話は成立するだろう。しかし、「コーヒーを入れる」という文章が単独で存在していた場合、果たして、コーヒー(豆か液体か)を豆入れや水筒のような容器に入れるのか、淹れるのか、はたまた苦手だったコーヒーを受け入れることを指すのか、分からない。そう考えると、似たような動作を指す言葉なのに、漢字がいくつもあることに便利さを感じざるを得ない。日本語、ありがとう。
    ちんぽを入れるなら、果たして床入りするのか、でかまらに分からされて受け入れるのか、炭酸水に浸けるのか。流石に淹れたり、煎れたりするのは無理かもしれない。
    アフリカの「チンポ」という、サボテンの花を熱湯で煮出す伝統的な飲み物は煎れられるだろう。存在すれば。

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