坂本ではない

坂本ではない

最近の記事

「ないものねだり」より「あるものさがし」

    憧れてはいないか、自分にないものを持っている誰かに。縛られてはいないか、叶えたかった夢に。     半径ゼロメートル内に、「ないもの」を探すより、半径五十センチメートルだけでも視野を広げて、そこに「あるもの」を探す方が、余程善い。     僕たちは、なりたい誰かになれずとも、届かぬ夢を追わずとも、路肩に咲く花の一輪で人一倍の感動ととびきりの勇気をもらえるものだ。

    • 昼寝するときに仰いだ空が、何ともなくて美しかった。 けれど、この美しさを表現するのに、僕は未熟すぎた。

      • たくさんの「いれる」

            入れる、居れる、容れる、淹れる、煎れる、挿れる。日本語の難しさの所以たるもののひとつ。いれすぎだろ。     と、直感的に感じたがこれに関してはそこまで複雑ではなかった。なぜなら、どれも「入れる」だからだ。「入れる」というコアイメージ、言わば集合があって、他は全てこれの元と云える。ただ、「入れる」動作の目的語に相応しい漢字が当てられる。     会話の文脈次第でコーヒーを「入れる」としても、会話は成立するだろう。しかし、「コーヒーを入れる」という文章が単独で存在してい

        • 自己嫌悪

          生きるのが楽しいと感じられるようになった。とはいえ、相変わらず俺の自己嫌悪は、俺の心の底に、まるで深海の底に鎮座する鯨の死骸の如く、どっさりと横たわっている。 ただ、今までの自己嫌悪は自傷行為。正に自棄糞だった。が、今は単なる自己分析として行っている。家の窓から雨雲を眺めるような気持ち。陰鬱ながら、どこか太陽のいない静けさに心が落ち着くような、心地よい自己嫌悪。

        「ないものねだり」より「あるものさがし」

          ばか。

              僕も精神的に向上心のないもの、即ち馬鹿なので、僕とは違う人間が妬ましい。馬鹿、即ち精神的に些とも向上したがらないのだから、そうでない人間を見ても妬むしかない。     そんな僕を、君たちは単に見下しさえすればいいんです。馬鹿に同情は、いらない。

          最近の音楽が聴けない。

           「けいおん!」一期一話の、律、紬と澪の三人が唯に向けて演奏した『翼をください』に泪した。  唯の言う通り、あの演奏はあんまり上手くない。だが、あれは俺が求める音楽にかなり近いんだと思う。下手であれ、ということではない。音楽は、人の動きだ。そして、それは不完全だ。その不完全さこそが音楽に命を宿す、違うか。  確かにあのシーンは演出に他ならない。「お前は演出に泣かされたんだよ」と言われたら、僕はここで二度目の泪を流すことになる。実際の音楽は、聴き手に優しいように、完璧(リズムは

          最近の音楽が聴けない。

          小さな幸せ

          早く帰れる日、昼食をとってから逆食予防に30分ぐらい本読んだりしてゆっくりして、ウトウトしてきたところに15~30分の昼寝をかます。最高に気持ちがいい。働きながらもこういう生活が送れたらいいのになぁ。

          「」

          小学生時代に、作文をするときは題名は最後に書けと言われていた。当時から何かと奇を衒うことに快感を覚えていた早熟餓鬼の僕は意地でもタイトルから書き始めていた。今日まで。さて、この文章のタイトルはどうしよう。

          心ぴょんぴょん

          心ぴょんぴょん

          noteを習慣化したい。

          そう、三度目の正直ってやつだ。このアカウントの前に僕は二度死んでいる。三日坊主すぎるだろ。勿論noteをやってみようと、現に三回も思えているから、文章を綴るのは好きだ。けれど、自分の文章力の低さ故に、簡単な内容を伝えるためにたくさんの時間と文字数を消費してしまうから、厭になる。 大学のレポートのせいだ。レポートなんて、ましてや、大勢の文章を読まねばならない教授の立場に立てば、短けりャ短いほどいいだろ。 そういう話がしたいのではない。つまり僕は、noteを習慣化するためにも、こ

          noteを習慣化したい。

          現実を見ることはできない

          いつも理想というフィルタを通して僕、いや僕達は世界を見ている。物が落下するのを見るとき、ある程度それがどのような軌道を描くかは想像出来るし、そう期待してそれを見る。まさかそれが空中でバウンドするなんて思ってもみないし、それが落下途中に消えるとも思わない。 物の動きは物理の法則によって規則的に動くから僕達は落下するそれに奇異な目を向けることはない。でも人の行動は違う。目の前の宿題に素直に向かうと思いきやふと視界に入ってしまったお菓子に手が伸びてしまったり、散らかった部屋の掃除

          現実を見ることはできない

          人生十八年を振り返る

          まえがき 2022年9月30日、高校時代からのとある友人と久々に連絡が付いたので話をした。大学に入ってから初めての彼との語らいだった。近況報告から入り、大学生活について、そして大学に入ってからの人間性の変化について語り合った。彼が床に就くということで話は終わった。午前4時、昼夜逆転のせいでいまだに冴えた頭の中で話した内容を振り返る。変化や成長の話が主だったということもあり、話を整理していくうえで自分の自己形成が如何なるものかに気づかされた。このnoteは、何者でもない18歳

          人生十八年を振り返る

          「今夜、世界からこの恋が消えても」 読了

          「日野のことが、好きだから」   朝を迎えると寝る前までの、どんなに辛い記憶も楽しくて嬉しい記憶も全て白紙に戻ってしまう日野真織。そんな彼女の消えてしまう毎日を、たったこのひとつの気持ちで色付かせようとする神谷透の純愛に心打たれます。 一日経てば記憶がリセットされてしまうヒロインと彼女に恋する主人公の恋愛小説というのは珍しくないコンセプトです。が、「忘れても何度でも好きにさせてやる!」、というようなものではなく、只只ひたむきに彼女の毎日を幸せなものにしたいんだ、という真っ直

          「今夜、世界からこの恋が消えても」 読了

          イヤホンケースをなくしたの続き(?)

          イヤホンがこの世から消えるだけで多くの人間が音楽を聴かなくなるのでは、とふと妄想した。音楽が通勤通学中の退屈凌ぎとしてしか機能していない人間は意外と多いのではなかろうか。

          イヤホンケースをなくしたの続き(?)

          イヤホンケースをなくした。

           七月十四日、イヤホンケースをなくした。これを機に僕は外で音楽を聴くのを辞めようと思う。そう心に決めた今日、既に音楽を求めている自分がいる。ただ、僕はこれを音楽への愛とは呼べないような気がする。寧ろ中毒という言葉の方が腑に落ちる。  音楽が非常に身近なものになった今日、私たちはもしかしたら音楽が持つ本当の︎価値に気づけていないのではなかろうか。

          イヤホンケースをなくした。