最近の音楽が聴けない。

 「けいおん!」一期一話の、律、紬と澪の三人が唯に向けて演奏した『翼をください』に泪した。
 唯の言う通り、あの演奏はあんまり上手くない。だが、あれは俺が求める音楽にかなり近いんだと思う。下手であれ、ということではない。音楽は、人の動きだ。そして、それは不完全だ。その不完全さこそが音楽に命を宿す、違うか。
 確かにあのシーンは演出に他ならない。「お前は演出に泣かされたんだよ」と言われたら、僕はここで二度目の泪を流すことになる。実際の音楽は、聴き手に優しいように、完璧(リズムは全くの一定でピッチのズレも一切ないような状態)に近づけるように努めなければならない。しかし、それは同時に不完全さを殺す作業だ。完璧を目指せば目指すほど、音楽の命が燻む。恐らく、この完璧を目指す作業には、聴き手の心地よさと音楽の活気が共存する「臨界点」があるように思う。
 あくまでそう思うだけだ。事実どうかなど知る由もない。ただ、今流行している音楽はその点とは程遠いところにあるというのは確かだ。今のヒットチャートに上がるような音楽は死んでいる。それら音楽の良し悪しは一旦端折って、少なくとも例の『翼をください』の秘めているような生命力を秘めている曲はひとつたりとも、チャートの中には存在しないと言い切れる。僕が最近の音楽を聴くことができなくなっているのは、この「臨界点」の存在を示唆してくれるような曲の登場を、少なくとも今は、期待できないからなのかもしれない。
 そういうわけで僕は否応なしに昔(特に7,80年代)の音楽を聴くようになった。別に特段昔の音楽が好きな理由があげられるわけではない。ただ少なくとも、当時の録音環境の制限的なこともあって古い音楽ほど不完全なことが多いから、それだけで心が擽られる。
 最近(とはいえ4,5年間)で一番好きなのは、Larry Carltonの『Room 335』の一寸したミス。カールトンはギターがバカほど上手いのは言うまでもないのだが、それ故にこの曲の1分35秒あたりでプリングの際になったと思われるノイズが堪らない。所謂人間アピールなるものなのだろうか。この曲自体カールトンのピッキングのノイズが良く聞こえて、彼が本当に生きているギタリストなのだなと勝手に感動を覚えたりする。それでいうとレイヴォーンなんかもそうだ。ライブ盤なんかを聴けば、ビブラートでフレットと弦が擦れる音も明確に聞こえたりして。
 僕はあくまで今回、最近の音楽には生命を感じないということを言いたかっただけなので特にこれと言った落ちはない。
 


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