ジョージ・ロイ・ヒル監督 『明日に向かって撃て!』 : 北村紗衣と「アメリカン・ニューシネマ」
映画評:ジョージ・ロイ・ヒル監督『明日に向かって撃て!』(1969年・アメリカ映画)
「アメリカン・ニューシネマ」の傑作の一つに数えられる作品。
私はこれまでに、「アメリカン・ニューシネマ」を代表する傑作を、以下の順に、順不同で見てきた。
(1)『カッコーの巣の上で』(1975年)
(2)『タクシードライバー』(1976年)
(3)『俺たちに明日はない』(1967年)
(4)『イージー・ライダー』(1969年)
(5)『真夜中のカーボーイ』(1969年)
で、今回は、1969年のジョージ・ロイ・ヒル監督作品『明日に向かって撃て!』ということになる。
見てのとおり、『イージー・ライダー』や『真夜中のカーボーイ』と同年に作られた作品で、この年あたりが「アメリカン・ニューシネマ」的な「空気」が、最も色濃かった時期だと、そう言えるのではないだろうか。
「Wikipedia」によると「アメリカン・ニューシネマ」の特徴とは、次のようなことになる。
つまり、従来の「アメリカ的な価値観」が問いに付された結果、映画も、従来のような「ヤンキー」的に「向日的・楽天的」なものではなく、「懐疑的・悲観的」な傾向の強い作品が流行った、ということである。
では、どうしてこのような現象が起こったのかといえば、その大きな要素として真っ先に挙げるべきが「ベトナム戦争」であろう。
見てのとおり、アメリカが直接介入したのは「1964年〜1975年」ということになるから、もろに「アメリカン・ニューシネマ」と重なるのである。特に、
とある通りで、当初は当たり前のように「正義の戦争」「世界を赤化(共産主義化)の恐怖から守るための戦い」だとアメリカ国内はもとより、日本を含む西側「自由主義経済諸国」では喧伝され、自己正当化されていた。
しかし、1964年のアメリカの直接介入によってあっさりと決着のつくはずであった戦争が、ずるずると長引いて4年をすぎても決着がつかず、その間に、ベトナムに派遣された、庶民層を中心とした米兵たちの死者数は増える一方だった。
そのため、アメリカ国内では嫌線気分が広がり、反戦運動が強まっていたことから、早く戦争にケリをつけたいアメリカ政府が、北ベトナムに対して手段を選ばない物量作戦の攻勢をかけたのだが、その非人道的な「戦争犯罪」がアメリカ国内でも報じられるようになった結果、もはやアメリカ国内でも「アメリカの正義」は、信じられなくなってしまった。
第二次世界大戦の勝利以来、楽天的に自国の正義を信じていた国民に、決定的な自国不信という自己懐疑の念を植えつけることになってしまったのである。
そして、そんな「空気」を反映したのが、「アメリカン・ニューシネマ」なのだと、そう言っても、決して過言ではないだろうか。
無論、「空気」の反映だからこそ、映画の内容そのものには「いろいろ」ある。
だが、共通して言えるのは、暗い「不全感」や「絶望感」だと言えるだろう。要は、希望を持っても「うまくいかない」という「感じ」である。
そしてこのように「定義」すれば、「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれた「多様な作品」の「共通点」が、漠然とながらも浮かんでくるのではないだろうか。
無論、この「定義」は、「定義なしに、アメリカン・ニューシネマの作品だと呼ばれた諸作」の共通点を抽出したものであって、この共通点としての「定義」が先にあって、そのような作品として「アメリカン・ニューシネマ」の諸作が作られたわけではない。
したがって、「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれた作品の「共通点」をどこに見るかは、見る人の「興味」や「問題意識」のあり方によって違ってこよう。
そのため、個別にどの作品を「アメリカン・ニューシネマ」と呼ぶのか、どれをそれに含め、どれをそれに含めないのかという問題は、当然ことながら「人それぞれ」でしかあり得ない。
つまり、「アメリカン・ニューシネマ」という言葉が、「どのような作品を指すのか」が「人それぞれ」なのであれば、おのずと「どの作品を指して言うものなのか」についても「人それぞれ」ということになるのである。
したがって、「アメリカン・ニューシネマ」を論じたいのであれば、それを「自分は、どう定義するのか。その根拠は何か」ということを、自分なりの視点に立って示さなくてはならない。
そうでないと、「世間がそう呼んでいるから」という実に漠然としたものにしかなりようがないのだ。
また、その「自分なりの定義と、その根拠」を示すならば、それは「一つの捉え方(考え方)」として、(優劣はあるにせよ)「他の捉え方(考え方)」と並び立つ権利を有するものとなるのである。
したがって、「定義」には、「より広義の定義」としての「包括的定義」もあれば、「より狭義の定義」としての「個性的に個人的な定義」もあり得て、必ずしも前者が「絶対的に正しい」とは言えないのである。
ところが、この程度の「概念論」が理解できない、頭の悪いポンコツ映画評論家である、「武蔵大学教授」の北村紗衣が、その雑な「アメリカン・ニューシネマ」観に絡めて、普通は「アメリカン・ニューシネマ」には含まれない、名作アクション映画『ダーティハリー』をボロクソに貶したものだから、多くの映画ファンからの不興を買うことになった。
そして、そうした反発を代表して北村紗衣を批判したのが、映画マニアのブロガー「須藤にわか」氏で、両者の間に、時ならぬ「アメリカン・ニューシネマ」論争が勃発したのであった。
それが、大雑把に言って、次の5段階である。
(1)北村紗衣のインタビュー記事
・「メチャクチャな犯人とダメダメな刑事のポンコツ頂上対決? 『ダーティハリー』を初めて見た」
(2)須藤にわかによる、(1)への批判記事
・「北村紗衣というインフルエンサーの人がアメリカン・ニューシネマについてメチャクチャなことを書いていたのでそのウソを暴くためのニューシネマとはなんじゃろな解説記事」
(※ すでに削除)
(3)須藤氏の批判を受けて書かれた、北村紗衣による反論記事
・須藤にわかさんの私に対する反論記事が、映画史的に非常におかしい件について
(4)Twitter上での「北村紗衣と須藤にわかの対論」
・北村紗衣さんとツイッターでニューシネマのお話をしたのでまとめました(編集なしの完全版)
(5)記事(3)に対する北村紗衣の「管理者通報」を受けて、(3)が須藤氏のよって、下の「改訂版」に差し替えられた。
・シェイクスピア研究者の北村紗衣さんがアメリカン・ニューシネマについて俺の個人的なニューシネマ観とはかなり違うことを書いていたのでそれを説明しつつニューシネマのいろんな映画を紹介する記事〔改訂版〕
つまり、「アメリカン・ニューシネマとは何か?」という議論であったはずのものを、北村紗衣が、自分への「誹謗中傷である」と話をすり替える「管理者通報」という強行手段に訴えた結果、そうしたかたちでの「喧嘩」を望まない須藤氏が、北村紗衣の「脅迫」に妥協するかたちで、(3)を(5)に書き換えることで、「両者間での一応の決着」を見ることになったのである。
ちなみに、(5)に至る、北村紗衣の「言い分」の本質とは、(3)のコメント欄に書き込まれた、北村紗衣の次のコメントにも明らかであろう。
つまり、北村紗衣の「古いフェミニズム」一本槍の「アメリカン・ニューシネマ」観をして、須藤氏は「お姫様になることが女性の権利向上と考えているフシがある」と「解釈」したのだが、それに対して北村紗衣は『私が思ってもいないことを言っ』たから、それは『人格攻撃』だなどと、「ためにする難癖」とつけたのである。
常識で考えればわかることだが、「著者はこう考えたのだろう」と「解釈」することは、「批評」においては、ごく当たり前の行為でしかないし、それ無しには「批評は成り立たない」。
例えば、北村紗衣自身、昔の映画を「男性主義的な作品だ」と「解釈」して、否定的に評価するのが、ポンコツ「フェミニスト評論家」らしい、芸のない「ワンパターン(ワン・トリック・ポニー)」ぶりなのだが、北村紗衣がこのような「解釈」を語る際、はたしていちいち、映画監督などの制作者に対して「この作品には、男性中心主義の意識が込められていますよね?」などと問い合わせ、「込められています」という回答を得てから、そのような「解釈」を公表したのであろうか?
無論、そんなことはあり得ないので、北村紗衣自身のロジックからすれば、北村紗衣の「フェミニズム批評」における否定的な映画評は、すべて「作者の意図を無視した」という意味において『人格攻撃』に他ならない、ということになってしまうのだ。
まあ、要は、この程度の「論理的な矛盾」にも気づかないほど、北村紗衣という人は、頭の悪い「ポンコツ評論家」であり「ポンコツ大学教授」だということなのである。
しかしまた、こんなポンコツ評論家の著作を、「素晴らしい」とか言っている「読めない読者」が、何万人だかいるというのだから、日本人の「知的水準の低下」も、国際的な統計を見るまでもなく、明らかな事実だと、そうも言えよう(ちなみに、北村紗衣の「X」のフォロワー数が5万人弱である)。
北村紗衣を「テニュア」の「教授」にした「武蔵大学」のレベルもまた、推して知るべしである。
そんなわけで、須藤にわか氏に対する北村紗衣の言い分は、完全に「難癖」であり、「管理者通報」という非常手段による「脅迫」だったと、そう断じて良いのである。
では、上のコメントの末尾部分に書かれた、私(年間読書人)についての、
とは、どういうことなのかというと、事実は、私が、須藤にわか氏の「note」記事である(3)のコメント欄に書き込んだ、次のような一連のコメントの「最後の部分だけ」を、恣意的に「切り取り・改竄」した、これも悪質な「難癖」だったのである。
少し長くなるが、事実関係を明らかにするために、その一連のコメントを、ここで引用紹介しておこう。
つまり、北村紗衣は、私のこのコメントの、最後の一文である、
だけを「切り取り」、さらにはそれを、
と「言い換え」て、まるで私が「器物損壊の予告による脅迫」を行ったかのようにして、「虚偽による管理者通報(誣告)」をしたのである。
で、私はこの許すまじき暴挙を批判すべく、同じコメント欄で、北村紗衣に対して、次のように反論して、「言論で決着をつけようではないか」と迫ったのだ。
ところが、記事主である須藤氏が、この記事のコメント欄での「喧嘩=論争」を望まなかったため、私が遠慮して、様子を見ている間に、この記事は「コメント欄」もろとも削除されて、(5)の「改訂版」に差し替えられてしまったのである。
そこで私は独自に、自分の所で、北村紗衣批判を展開すべく、上の事情を詳しく紹介した「note」記事、
・北村紗衣という人: 「男みたいな女」と言う場合の「女」とは、 フェミニズムが言うところの「女」なのか?(2024年8月30日付)
をアップした。
だが、例によって北村紗衣は、私に対しては一片の反論もないまま、「管理者通報」によって、この記事を「閲覧不能」にしてしまった。
このことは、のちに北村紗衣当人も「X」のツイートで自白しており、その事実は、下の記事の中で、スクリーンショットを添えて紹介しているとおりである。
(※ なお、「note」管理者による、当該「閲覧不能措置」については、管理者に対し、私から異議申し立てを行っているが、いまだに回答がなく、閲覧不能状態が継続している)
そこで私はさらに、こうした度重なる北村紗衣の「卑怯なやり口」を報告する記事、
・私の記事「北村紗衣という人」(2024年8月30日付)が、通報削除されました。
をアップした。
そしてこれが大反響となったせいか、以降、北村紗衣は、「X」上において私の「陰口」をツイートすることはあっても、すでに十指に余る私の「北村紗衣関連記事」については、「管理者通報」をしなくなった模様である。
仮にも「武蔵大学の教授」であり、著作を数冊公刊している「言論人」の端くれとして、反論さえしないまま、「管理者通報」を繰り返すことで、相手の「言論」を封ずるというそんな「やり口」が、北村紗衣の「常習的な手口」だと、世間に知られるのは「まずい」と、そう考えたためであろう。
また、「note」の管理者とて、信用に関わる問題として、そうそう言われるがままに、記事の閲覧不能措置など、採れるわけもないのである。
ちなみに、北村紗衣は自著『批評の教室』(ちくま新書)の中で、抜け抜けと次のような「もっともらしいこと」を書いている。
この「厚顔無恥」ぶりを、よく見てほしい。
「北村紗衣は、その批評において、正直さという本質的なスキルを欠いている」と指摘することは、北村紗衣のロジックからしても、「人格攻撃ではありません」ということなるわけだ。
しかしながら、北村紗衣を否定的に評価していればこそ、その卑怯千万な言動を批判はしても、その著作までは「アホくさくて読めない」と無視してきた多くの人たちには、この「北村紗衣の言い分」は、まさに「お前が、それを言うのか?」と、開いた口が塞がらないものであるはずだ。
だから、北村紗衣への「批判」に対し、北村が「人格攻撃だ」などと切れて見せたら、その場合は、この部分を「貼り付けて」やれば、それで良いだろう。
無論、北村紗衣も、まんざら馬鹿ではないから、ここでも「人格攻撃はいけない」ということだけは、無理をしてでも強調している。
つまり「作品批評は、著者の人格攻撃ではない」と言っているのだが、これは端的に言って、幼稚な「誤魔化し」である。
なぜなら、「作品の問題点とは、少なからず、著者(作者)の人格に由来するもの」なのだから、「問題点の由来を分析するならば、著者の人格的問題の指摘」になることなど、当たり前にあることだからだ。
「人格攻撃」そのものが目的ではなくても、「なぜ、この人は、こんな出鱈目なことを書くのか?」というのを分析的に論じるならば、おのずのと「著者の人格的問題点」への言及は避けられず、その結果、批評された側からすれば「人格攻撃」がなされたかのようにも見える、というのも、当たり前にあることなのだ。
それに、北村紗衣はここで、あたかも「批評」とは「作品批評しかない」かのように書いているが、これも意図的な「誤魔化し」でしかない。
というのも、「批評」には、「人物論」「人物批評」というものが厳然と存在しているからであり、当然これらも「褒めるばかりのものではない」からである。
つまり、「ナポレオン論」とか「ヒトラー論」とか「岸信介論」とか「安倍晋三論」とか、グッと小粒にはなれども、同じ「公人」論としての「北村紗衣論」といったものは、当然あって然るべきだし、現にある。
そして、なぜ私たちは、こうした「人物論」を必要とするのかと言えば、ひとつは、「他者に学ぶ」ためであり、そのためには「誰もがその人物を、ある程度は知りうる」という、批評対象が選ばれなければならない。
つまり、一般には知り得ない、無名の「隣の山田太郎さん」論が書かれ公表された場合、読者は「隣の山田太郎さん」が、著者の言うとおりの人物なのか否かを検証する手がかりがほとんどなく、そのため、著者の批判は、ほとんど一方的なものになってしまう。
だから、この種の「人格攻撃」は、「アンフェアなもの」になってしまうため、許されないのである。
次に、「人物論」が必要とされる別の理由としては、前記のような「歴史的な著名人」や「現在の著名人」については、批判に対する検証のための資料が容易に手に入るというだけではなく、特に「現在の著名人」には、いま現在、社会に多大な影響を及ぼす「公人」としての「社会的な責任」があるからだ。
そうした「公人の言動」は、社会的な批判・検証の対象になって然るべきなのである。
例えば、上の「引用文」で言えば、政治家であった「今井絵理子」が、そこで批判されているのは、彼女が「政治家」という「公人」であったからであり、政治家ではなくなった今でも、時々テレビに出演して発言したりする、「有名人」としての「公人」であるためだ。
つまり、「武蔵大学の教授」であり「著作のある批評家」であり「テレビやラジオに出演するタレント教授」であるといった、諸々の「属性」からも明らかなように、北村紗衣もまた、「今井絵理子」同様の「公人」なのだ。
だからこそ、その言動は「批評」の対象にならねばならず、時には、その人格まで批判されなければならないのである。
そこを正さなければ、「社会に害悪を垂れ流しかねない」立場に、北村紗衣はいるからなのだ。
そして、それが嫌だと言うのなら、大学も辞め、著述も止め、SNSも止めれば良い。
そんな、社会的な影響力の無い「一私人」を公の場で貶せすなら、それこそが一方的な暴力としての「誹謗中傷」ということになるのである。
だが、それにしてもなぜ、ここで北村紗衣は、「批評」を恣意的に「作品論」に限定してまで、「人格攻撃だけはダメだ」と強調するのか?
一一無論それは、「自分の性格に問題がある」ことを「自覚」しており、事実そうした「問題性格」の故に批判されることが、しばしばあるからであろう。
一般論として他人が批判されるのは良くても、「自分だけは批判されたくない」という、身も蓋もない「自己都合」で、このように書いているのである。
なお、北村紗衣自身が認めている「問題性格」とは、次のようなものである。
これではまるで「そうはならなかった」かのような自己申告だが、こんなものは所詮、頭の悪い読者向けの、見え透いた「目くらまし」にすぎない。
実際には、そんな数々の「悪しき男性性」を抱えたまま、大人になってしまったのが、北村紗衣という人なのである。
そんなわけで、こういう「問題性格」てあるのならは、ここで、レッド・ツェッペリンの「人格が批判されている」ように、北村紗衣の「人格」も批判されなければならない。それが当然なのだ。
本人が言葉でだけ認めて見せたからといって、それが「改められてはいない」どころか、それをアリバイにして、「問題性格」を温存しているのであれば、それは批判されて然るべきだし、批判されなければならないのだ。
だから、北村紗衣については、そのファンも、そうでない者も、北村紗衣を「武蔵大学の教授」であり「著作のある批評家」であり「表象文化論学会所属の学者」であるといった、その明らかな「公人性」において、是非とも「批判しなければならない」。
北村紗衣が、批判されて『怒るかもしれ』ないとか『ファンから攻撃される危険性が』あるとか、そんなことを気にして、口をつぐんではならないのだ。
プロの言論人はもとより、アマチュアであろうと、「匿名によるTwitterの短文しか書けない人」であろうと、公に、批評的な文章を書いている人は『批評を書く時の覚悟』をもって、北村紗衣のような「公人」の問題点を、公然と批判しなければならないのだと、一一そう、北村紗衣・武蔵大学教授本人が、自著の中で書いているのだ。
だから、そのように公言しているご当人に対しては、なおさら遠慮のない「批判」を差し向けるべきなのである。
○ ○ ○
「アメリカン・ニューシネマ」の「定義問題」から、ポンコツ評論家・北村紗衣の方へと、大きく話が逸れてしまったが、要は、「アメリカン・ニューシネマ」についても、北村紗衣が(3)の論文で言うような「決まりきった定義など無い」ということである。
(3)須藤にわかさんの私に対する反論記事が、映画史的に非常におかしい件について
「決まりきった定義などない」ということは、すでに引用した、須藤にわか氏の「note」記事(2)のコメント欄に、私が次のように書いたとおりであり、初手から分かりきった話でしかなかったのだ。
つまり、「アメリカン・ニューシネマ」という映画用語もまた、「ヌーヴェル・ヴァーグ」など同様に、「大まかな概念」でしかないということである。
しかしながら、北村紗衣と絡んだおかげで、散々な目に遭わされた須藤にわか氏は、トラブル発生から1ヶ月をあまりが過ぎた一昨日(2024/10/06)になって、「アメリカン・ニューシネマ」について、次のような研究結果を発表した。
資料を集め、「事実関係」をとてもよく調べているので、是非とも、目を通してあげていただきたい。
これを読めば、須藤氏の批判である(1)に対する、北村紗衣の反論文である(2)が、いかに事実に基づかない、専門家ぶっているだけの、権威主義的な「決めつけ」でしかなかったかが、明らかになろう。
ただし、この須藤氏の新論文においても、結論は「決定的な定義など存在しない」ということであり、私が最初から言っていたことを、裏付けるものにしかなっていない。
それは、初手から「分かりきった話」だったということだ。
ちなみに、この須藤氏の論文(6)の結論的な「提案」は、次のようなものである。
しかし、私としては、この「提案」には、反対である。
なぜならこれは、「羹に懲りて膾を吹く」類いのことでしかないからだ。
簡単に言えば、「もともと曖昧な言葉であり、トラブルのもとだから、使うのはやめよう」という提案は、同じ意味で「ヌーヴェル・ヴァーグ」という言葉を使うのをやめようとか、「変格ミステリ」という言葉を使うのはやめようとか、「日本人」という言葉を使うのはやめようとかいった類いの提案と、大差のないものでしかないからである。
たしかに、それらの言葉は「曖昧なもの」ではあるのだけれど、人々がそれまで使ってきた言葉を、「曖昧だから」という理由で、使わない方が良いというような意見は、これもまた「国語問題」でくり返されがちな「純血主義的」な提案であり、所詮は「言葉狩り」の一種でしかないと考えるからだ。
だから、そうではなく、時に「意見の対立」が発生したとしても、そこでしっかりと「話し合う」ことが重要なのであり、それこそが大切なのだ。
それをするからこそ、「自己検証」も可能になるのだし、「価値観の多様性」も担保できるからである。
○ ○ ○
閑話休題。
そんなわけで、「偏狭な価値観の押し付けや提案」ではなく、私たちはもっと「クリエイティブな提案」をすべきであろう。それが「批評」のあるべき姿なのだ。
「あれがダメ。これがダメ」と切り捨てていった後に残ったものが「真実」なのではなく、「真実」の「豊かさ」や、その「多様性」をこそ、私たちは批評に見出すべきであり、そのためにこそ、「偏狭な独善の押し付け」には、断固として抵抗し、批判の論陣を張らなければならない。
だから、本作『明日に向かって撃て!』の評価に関しても、通り一遍のそれではなく、見た者が、各自の価値観とその考察において、作品を深く味わい、その結果をこそ語るべきなのだ。
世間並みの「正解」でもなければ、自己正当化のための「決めつけ」でもない、そんな批評を目指すべきなのである。
そんなわけで、私が本作について感じたことといえば、それは主人公たちを「カッコイイ」と褒めるだけでもなければ、「所詮は、犯罪者を美化しているだけではないか」といった批判で済ますこともできない、そんな微妙な「印象」、ということになろう。そこを取り逃がすべきではない。
本作は、「実話」をもとにした、次のような作品である。
そして、ストーリーは、次のとおりである。
見てのとおりで、本作は実在の強盗犯コンビを、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの二人が演じており、当然のことながら、この二人は「カッコイイ」のだが、それだけではなく、何より「憎めないキャラクター」として造形されている。
だから、多くの観客は、彼らに感情移入して、追っ手に追われる身の彼らの運命にハラハラドキドキしながらも、しかし、いつもユーモアを忘れず、時に喧嘩したりする風でありながら、その実は、とても仲の良い二人の「友情」に、思わず微笑まされてしまう。
彼らが、他人の迷惑を顧みない「常習強盗犯」であるにもかかわらずだ。
本作は、「西部開拓時代」が終盤に差し掛かり、一方では「都会的な文化」が広がり始めた時期のアメリカが描かれており、意識的に「西部劇独特の泥臭さ」を排除して、「現代的な洗練」をその演出に持ち込んでいる。
そして、その象徴が、バート・バカラックによる音楽であり、特に、世界的なヒット曲にもなった、B・J・トーマスの歌った名曲「雨に濡れても」である。この曲を聴いて、「西部劇」を思い浮かべる人は、ますいないだろう。
そんなわけで、本作で描かれる主人公の二人は、「極悪犯罪者」であるにもかかわらず、少なくとも映画を見ている分には、彼らは「気の良い仲良し二人組」なのである。
無論、「冷静に考えれば、とうてい感情移入できるような、して良いような連中ではない」という意見もあって、それはそれで「正論」ではあるのだが、一一しかしここで私たちが考えなければならないのは、そんなことは監督をはじめとした制作スタッフの全員が「わかっていた」ことであり、それでもなお、「犯罪者を美化した」がごとき描写にしたのは、「なぜか?」ということなのだ。
そこで私が思うに、これは、日本でいうと、「連続射殺魔事件」の犯人として逮捕され、死刑判決を受けた後の拘置所生活で「作家デビュー」もした、かの「永山則夫」と同じで、彼らの「無知の涙」への同情が、作り手の中にあった、ということなのではないだろうか。
つまり、人としては決して悪いやつらではないのに、しかし、その行いは決して許されないものであったという、二人はそんな人物なのだ。
そして、私も元警察官だから、そんな人間を少なからず目にしてきた。
捕まった彼らが、警察官に「良い心証を与えよう」として「媚びた」というようなことを差し引いたとしても、そうした犯罪者の中にも、あるいは「不良少年」の中にも、どうしても「憎めないキャラクター」の持ち主が、少なからずいた。
たしかに彼らの「行い」は許せないとしても、その「人柄」の部分では、例えば、北村紗衣のような「裏表のある偽善者」などより、よほど「好感」を抱いてしまう人物というのも、少なくはなかったのである。
実際、歴史上の「ブッチとサンダンス」も、そうした「憎めいない悪漢」として庶民から愛されたからこそ、このような映画も作られたのだという事実を、私たちは思い出すべきなのである。
そして、もうひとつの大きい要素は、「アメリカン・ニューシネマ」に共通する「ベトナム戦争の影」である。
例えば、こう説明すれば分かりやすいのではないだろうか。
貧しい家庭に育ったが故に、まともな教育を受けられず、仕事にも恵まれないために、やむなく「志願兵」としてベトナム戦争に赴いた。
そしてそこで、命ぜられるままに、否応なく「罪なきベトナム人たち」を虐殺した米兵たち。
一一彼らは、はたして「憎まれて然るべき人間なのだろうか?」ということである。
彼らが、裕福な家庭に生まれていたなら、ベトナム戦争に行くこともなかったし、その「素直で魅力的な性格」をそのまま伸ばして、人から好かれ、社会的に認められる人間に、なってもいたであろう。
一一だが、その「生まれ」や「時代」が、彼にそれを許さなかったのだとしたら、私たちはそれでも、彼の行いをして、彼を憎まなければならないのだろうか?
そういうことなのである。
物語の冒頭部こそ、「ブッチとサンダンス」が「追われる身となる原因」としての強盗の数々が描かれはするけれど、物語の大半は、彼らの「逃避行」が描かれるばかりだ。
それに、コンビの「頭脳」であるブッチは、物語の後半でサンダンスに告白するとおり「人を殺したことがない」という強盗犯だし、「拳銃の名手」であるサンダンスだって、しばしば「逃げるが勝ちだ」という言葉を口にして、積極的に人と争おうとはしない人物であった。
つまり、彼らはただ「金が欲しい」だけであり、決して「人を傷つけたかったわけではない」というのが、繰り返し描かれるのだ。
また、だからこそ、彼らは「逃げる一方」であり、彼らの逃避行の先には「死」が待っていることが明らかだからこそ、「良い奴」として描かれれば描かれるほど、本作を見る者は、予想される彼らの運命に気を揉まなければならず、やはり、避けがたく訪れる彼らの最後に、いわく言い難い「感傷」を抱かざるを得ないのである。
そして、それがあるからこそ、本作は「名作」にもなり得た。
「どうして、こんな気の良い奴らが、こんな最後を迎えなければならなかったのか?」と、そう問わずにはいられないのである。
無論、その問いへの回答は「彼らが悪質な常習的強盗犯だったからだ」というのでは、まったく不十分だ。
なぜなら、私たちが抱く「なぜ?」とは、「なぜ、彼らは犯罪者にならざるを得ない境遇に生まれたのか?」という、根源的な問いだからである。
そして、その問いへの「解答」など無いからこそ、私たちは本作のラストに「運命の残酷」を感じ、彼らの最後に、重いため息を禁じ得なかったのだ。
(2024年10月8日)
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