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アーサー・ペン監督 『俺たちに明日はない』 : 変わるものと 変わらないもの

映画評:アーサー・ペン監督『俺たちに明日はない(Bonnie and Clyde)』(1967年)

「アメリカン・ニューシネマの代表作」として知られる、歴史的傑作である。

先日、これもまた今頃になって、あまりにも有名な名作映画『カッコーの巣の上で』(ミロス・フォアマン監督)を観、その評価をめぐっていくつかのレビューをあたっているうちに、私は「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれる一群の映画のあることを知った。
そこで「アメリカン・ニューシネマ」とはどういうものだろうかと思い、「アメリカン・ニューシネマ」の傑作と呼ばれる、マーティン・スコセッシ監督 『タクシードライバー』を観て、次に本作を観たという次第である。

アメリカン・ニューシネマとは、1960年代後半から1970年代半ばにかけてアメリカでベトナム戦争に邁進する政治に対する、特に戦争に兵士として送られる若者層を中心とした反体制的な人間の心情を綴った映画作品群、およびその反戦ムーブメントである。』

(Wikipedia「アメリカン・ニューシネマ」より)

このように紹介されていて、その意味では「ベトナム帰還兵の青年」を描いた『タクシードライバー』などはその典型的な作品だと言えるだろう。だが、必ずしも『ベトナム戦争に邁進する政治に対する、特に戦争に兵士として送られる若者層を中心とした反体制的な人間の心情を綴った映画』に限定されるというわけではない。
本作『俺たちに明日はない』のように、ずっと古い時代(1930年代前半)を舞台にした作品であっても、そうした「心情」が描かれている、この時代に作られたアメリカ映画でありさえすれば、それは「アメリカン・ニューシネマ」だということになるのである。

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まず、「今の目」で本作を見たら、どうかなのというと、「ああ、そういう話なのか」という感じで、特に驚くほどの作品ではない。

「そういう話」とは、大雑把に言うと「人間的には極悪人というわけではない(優しさを持っている)ものの、社会規範を無視したその無軌道な生き方によって犯罪に手を染め、最後は破滅する若者像」というようなことである。

つまり、この映画を観ると、わりと早い段階で、主人公のボニーとクライドのふたりが「悲惨な最期を迎える」だろうことは、容易に想像がつく。
こんなことをしていて、とうてい幸せ(ハッピーエンド)になどなれるはずがないという「先を考えない、今の充実だけを求めた、無茶苦茶な生き方」なのである。

この作品は、実在の「銀行強盗団」である「バロウ(兄弟)・ギャング」の中心メンバー「ボニーとクライド」を主人公とした作品で、クライドはバロウ兄弟の弟の方で、ボニーはその彼女(愛人)である。

ボニーとクライド(Bonnie and Clyde)は、1930年代前半にアメリカ中西部で銀行強盗や殺人を繰り返した犯罪者。ボニー・パーカー(Bonnie Elizabeth Parker、1910年10月1日 - 1934年5月23日)とクライド・バロウ(Clyde Chestnut Barrow、1909年3月24日 - 1934年5月23日)の2人組。

概要
ルイジアナ州で警官隊によって射殺されるまで、多くの強盗を犯し、少なくとも9人の警官と4人の一般市民を殺害した。ボニーとクライドの犯罪は後に映画化された(※ 本作『俺たちに明日はない』)ほか、舞台、小説、音楽など文化的な影響を与えた。
当時のアメリカは禁酒法と世界恐慌の下にあり、その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す彼等の事を凶悪な犯罪者であるにも拘らず、新聞も含めて英雄視する者も多かった。
事件を起こしては逃走を繰り返し、クライドは、犯罪集団「バロウ・ギャング」のリーダーとなっていた。メンバーには、クライドの兄のバックとその妻のブランシェもいた。バロウ・ギャングのメンバーは、何度か入れ替わっているが、ボニーとクライドは常に一緒だった。それからも犯行は続けられ、強盗に入った商店の店主や保安官、警察官が次々と犠牲になった。』

(Wikipedia「ボニーとクライド」より)

(実在の、ボニーとクライド)

ボニーとクライドの死亡日が同一であることからも分かるとおり、二人は同日同刻に、射殺されている。

『逃走を続けていたボニーとクライドだったが、1934年5月23日、ルイジアナ州ビエンビル郡アーケディアの州道を1934年式フォードV8に乗って走行中、行方の情報を掴んで待ち伏せしていたテキサス・レンジャー4名およびルイジアナ州警察の警官2名から、短機関銃で150発以上もの連射を受けた。ボニーとクライドは車で逃げ去ろうとしたが、車体を貫通してきた銃弾を浴びて死亡した。車内からは軍の兵器庫からの盗品であるブローニングM1918自動小銃をはじめ、ショットガン、大型拳銃など、殺傷力の高い強力な銃器類が多数発見された。』(前同)

映画では『車内からは軍の兵器庫からの盗品であるブローニングM1918自動小銃をはじめ、ショットガン、大型拳銃など、殺傷力の高い強力な銃器類が多数発見された。』の部分は、描かれていない。

映画だと、ボニーとクライドをはじめとした「バロウ・ギャング」の面々(ボニーの兄とその妻、ボニーがスカウトした若者モス)は、「強盗」や、それに伴う「殺人」に、あまり良心の呵責を感じていない反面、それぞれ個人的には、身内に対する愛情を持っていて、憎めない人間性を持っている、ように描かれている。

(カメラに向かってポーズをとる、ボニーとクライド)

無論、現実の彼らがどうであったかはわからないが、そういう「身内に対する愛情」というのは、ある意味では「動物本能」的なものだから、極悪犯罪人にあっても、持っていて不思議のないものではあるし、彼らがこの映画の主人公である以上、そうした側面が描かれ強調されるのも当然のことで、なによりこの映画は、彼らに「同情的」な立場から作られた作品なのである。

そしてこれは、前記『カッコーの巣の上で』や『タクシードライバー』の主人公についても、同じである。
彼らは、端的に「犯罪者」であり、その観点からすれば、言い訳の余地のない立場にあるし、そもそも彼らには「被害者に対する視点」というものが決定的に欠けているのだ。
だから、「現在の常識的な視点」からすれば、いかに「人間的な部分」があろうとも、彼らは同情の余地のない、向こう見ずな犯罪者だとしか、評価し得ないのである。

(「バロウ・ギャング」の仲間。左から、モス、クライドの兄バック、その妻ブランシェ)

しかし、彼らに共通するのは、彼らのおかれている「自由の失われた閉塞状況」だ。
『カッコーの巣の上で』では「精神病院」、『タクシードライバー』では「ベトナム戦争」、そして本作では「世界(経済)恐慌の時代」である。

彼らは、この「閉塞状況」という桎梏から逃れ、「自由」を求めた結果として、「罪」を犯す。

「自由を求める」にしても「もっとやり方があったはずだ」というのは、もっともな意見だし、なにより彼らは、自分が自由になるためには「他人の犠牲」を厭わなかった。というか、むしろ前述のとおりで、「他人のことなど眼中にはなかった」のである。
だから、「公正・客観的」に見れば、彼らは厳しい断罪も止むを得ない「犯罪者」ということにしかならない。

しかしである、もしも彼らが、もっと「恵まれた時代」「恵まれた環境」に生まれ育っていたとしたら、どうだろうか?

「精神病院」にしろ「ベトナム戦争」にしろ「世界恐慌の時代」にしろ、そうした「不自由な状況」におかれたこと自体には、彼ら個人に責任はない。
つまり、「社会不適応の問題性格者」であるというのは、多くの場合「遺伝と生育環境」の問題であって、当人の責任とは言い難い部分が大きいわけだ。

しかしながら、「社会」としては、そこに「情状酌量の余地」は見るとしても、「遺伝と生育環境」を理由に「個人の社会的責任」を免除するわけにはいかない。そんなことをすれば「犯罪者を罰することは不可能」となって「社会秩序の維持」が不可能となってしまうからである。

(屈託のない二人)

無論これは、「ベトナム戦争」や「世界恐慌の時代」といった「時代状況」についても同じである。
「そんな時代であったから、彼らは不幸にも犯罪者になってしまった」と同情することは可能だが、しかし、結果としての彼らの「犯罪」を免責することはできない。なぜなら、「同じ時代状況」「同じ条件」下に生きても、大半の人は、同じような犯罪を犯したりはしないからである。

したがって、この問題には、「二つの側面(視点)」があると言って良いだろう。
一つは「個人の内面」であり、もう一つは「社会的な事実」である。
このどちらの側面に注目するかによって、彼ら「反社会的性格者」への評価は、180度変わってしまう。前者だと彼らは「(社会的)被害者」であり、後者だと「(犯罪)加害者」だということになるのだ。

で、そのどちらの「側面」に注目するかは、これらの作品を観る人の多くがおかれた、その「状況」によるだろう。
つまり、「閉塞した時代や状況」に生きている人たちが、これらの作品を観れば、主人公たちに同情と共感を寄せるだろうし、比較的「恵まれた時代や状況」に生きる者が彼らを見れば、自身を「被害者」の側におくために、彼らを「加害者」としか観ることができないから、彼らに同情したり共感したりするのは自ずと難しくなる。

したがって、「アメリカン・ニューシネマ」とは、「閉塞した時代や状況」が必然的に産んだ「時代の子」であって、どんな時代にも、同じように鑑賞(し、評価)することのできるような作品群ではないのだと、そう言えるだろう。
その意味で「アメリカン・ニューシネマ」は、「普遍的な価値を持つ作品群ではない」とも言える一方、その「出自・背景」を知っていれば、そのことによって、今の私たちの「価値観や感覚」もまた、決して「普遍的」なものではなく「公正中立で客観的」なものなどではあり得ないということを、「教えてくれる」作品群だとも言えるのである。

その意味でブログ「老いてますますブロガー!!」「老ブロガー しじみ」氏が、『俺たちに明日はない』を論じたレビュー「『俺たちに明日はない』 ~時代を映す鏡として~」の中で、とても面白い指摘をしている。

『<『ザ・テキサスレンジャーズ』
 『俺たちに明日はない』は、ボニーとクライドという犯罪者を主人公にした映画ですが、実は2019年に彼らの捜査に執念を燃やしたフランク・ヘイマーを主人公にした映画がNetflixから配信されています。『ザ・テキサスレンジャーズ The Highwaymen』です。

 ヘイマ―役はケヴィン・コスナー(Kevin Costner 1955-)ですし、娯楽作品として観れば、映画そのものはまずまず面白いのですが、私はこの作品が配信された時期が気になりました。2019年のアメリカはトランプ大統領の時代で、社会が分断され、一部の人たちが移民や黒人に対して攻撃的な言動を繰り返していました。
 ボニーとクライドが銀行を襲っていたのは1930年代。つまり、世界恐慌によってアメリカが深刻な不況に見舞われていた時期です。彼らは、凶悪犯であることは間違いありませんが、一方で、銀行によって家を差し押さえられた農家に同情したり、貧しい人からは金を奪おうとしなかったりします。腕をけがした二人を乗せてC.W.モスが貧しい人たちに水を飲ませて欲しいと頼むと、彼らは水だけでなく食べ物も与えようとします。つまり映画では、ボニーとクライドを義賊のように描いているのです。
 それから半世紀が経ってトランプ大統領が登場し、アメリカ社会はベトナム戦争のころとは打って変わって保守的なムードが漂うようになりました。そんな中で配信された映画が、『ザ・テキサスレンジャー』でした。
 この映画の中でも、二人は大衆の人気者です。しかしその一方で、銃撃して道路に横たわった警察官の頭をボニーがライフルで撃って血まみれにするなど、『俺たちに明日はない』と違って、二人の残虐性を際立させるような描き方をしています。トランプ大統領の時代だからNetflixが『ザ・テキサスレンジャー』を配信したかまではわかりませんが、もし1960年代後半に製作していたらこうしたシーンは入れなかったでしょうし、そもそもフランク・ヘイマーを主人公とした映画も作らなかったのではないかと思います。 
 『俺たちに明日はない』と『ザ・テキサスレンジャー』。二つの映画をあらためて観て、映画もまた時代を映す鏡として、その時々の社会の空気を色濃く反映しているのだなと、再認識しました。』

(捕えられて、屈辱的な辱めを受ける、テキサスレンジャーのヘイマー)

例えば、国境を違法に越えてくる「メキシコ人移民」を、どう評価するのか。

トランプ大統領は、国境に塀を作ってでも、断固として不法移民を拒絶し、そのことで熱狂的な支持を受ける一方、世界中のリベラルからは、「人道的な見地からして、認め難い」行為だと非難されもした。
つまり、ここでの「メキシコ人不法移民」をどう評価するかは、「立場」によって大きく変わるのであり、彼らはある意味で、現在の「ボニーとクラウド」だとも言えるのである。

(完成しなかった「トランプの壁」)

無論、「メキシコ人不法移民」と「ボニーとクライド」では、犯した罪の重さがぜんぜん違うとは言えるだろう。それは、もちろんそのとおりなのだが、では、両者の間のどこに「線引き」できるのだろうか? そんな「線引き」など、果たして可能なのだろうか。

だがまた、そんな「原理的には不可能な線引き」を、あえてするのが「法治社会」であり、その典型が日本の司法における「判例主義」なのだとも言えるだろう。
例えば「1人殺しただけでは死刑にはできないが、3人殺せば死刑にできる」といったような、身も蓋もない「基準(線引き)」などが、それである。

したがって、「メキシコ人不法移民」の問題であれ、「ボニーとクライド」の問題であれ、決して私たち「日本人」と無縁なものではない。

例えば、『2021年(令和3年)3月6日、名古屋出入国在留管理局に収容中のスリランカ国籍の女性、ラスナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリ(1987年12月5日 - 2021年3月6日)が死亡した事件』として知られる「ウィシュマさん死亡事件」も、私たちの常識的感覚からすれば「非人道的な事件」としか思えないが、「法律」という観点からすれば「あれも、やむ得ないもの」ということになるだろう。
つまり、「メキシコ人不法移民」を越境させないために塀を建設してまで断固拒絶し、そのことによって彼らがどうなっても、そんなことは知ったこっちゃない、という考え方であり、「ボニーとクライド」が射殺されるのも「止むを得ない」「自業自得だ」ということになるのである。

また、日本において直接的に「ボニーとクライド」の事件と重なるのは、「金嬉老事件」であり「永山則夫事件」であろう。
前者は「差別と貧しさ」が絡んだ、立てこもり猟銃乱射事件(殺人罪、逮捕監禁罪、爆発物取締罰則違反)であり、後者は「貧しさと無知」に由来する連続殺人事件である。

(金嬉老)

金嬉老は、この犯罪で『暴力団員2人(未成年の少年1人を含む)に対しライフルを乱射して殺害』して、最終的には「無期懲役」となり、永山則夫は『1968年(昭和43年)10月 - 11月に東京都・京都府・北海道・愛知県の4都道府県で(中略)男性4人(警備員2人・タクシー運転手2人)を相次いで射殺した』罪により、死刑判決が確定し、長期の勾留の後、死刑が執行された。

(永山則夫は、拘置所の中で小説家になった)

こうした「罪と罰」を見た場合、私たちの多くは「同情の余地はあるにしろ、止むを得ない結果」だと、そう感じるのではないか。その時の私たちの感覚は「客観中立」的なものだと感じられているはずだが、しかし、それは本当にそうなのだろうか。そんな「立場」は、果たしてありえるものなのだろうか?

ウィシュマさんを死に至らしめた名古屋出入国在留管理局の責任者(職員)は許し難いが、「ボニーとクライド」を射殺した責任者、あるいは「永山則夫」を死刑にした責任者である「日本国民」は、許されて然るべきなのだろうか?

映画『俺たちに明日はない』は、映画作品として、次のように評価されている。

『『俺たちに明日はない』(おれたちにあすはない、原題:Bonnie and Clyde)は、1967年製作のアメリカ映画。世界恐慌時代の実在の銀行強盗であるボニーとクライドの、出会いと逃走を描いた犯罪映画。
アメリカン・ニューシネマの先駆的作品の1つであり、画期的な映画と見なされている。映画における多くのタブーを破ったことで、カウンターカルチャーを支持する人々には「ラリーの叫び」と見なされた。この成功により他の映画製作者は、自分の映画でセックスと暴力を表現することにオープンになった。映画のエンディングは「映画史上最も血なまぐさい死のシーンの1つ」として象徴化された。
本作は第40回アカデミー賞助演女優賞(エステル・パーソンズ)と最優秀撮影賞を受賞した。1992年には、「文化的、歴史的、美術に重要」としてアメリカ国立フィルム登録簿に選ばれた。

評価
『俺たちに明日はない』は、アメリカン・ニューシネマの先駆けとして、アメリカ映画史上特別な地位を占める作品である。悲惨な最期を遂げる犯罪者を主役に据えたこと、銃に撃たれた人間が死ぬ姿をカット処理なしで撮影したこと(映画中盤でクライドに撃ち殺された銀行員がその最初の例とされる)、オーラルセックスやインポテンツを示唆するシーンを含めたことは、1960年代当時としては衝撃的なものだった。特に映画のラストシーンで87発の銃弾を浴びて絶命するボニーとクライドの姿(通称「死のバレエ」)は、当時の若者の反響や後続の映画製作者に大きな影響を与えた。
本作は映画公開後も、その反体制的な内容や暴力性、犯罪者がヒーローであるストーリーから、保守的な評論家からの非難に晒された。特に当時『ニューヨーク・タイムズ』の批評家だったボズレー・クラウザーの批判は過激で、映画を酷評するレビューを3回も掲載したという。しかし『ザ・ニューヨーカー』の批評家ポーリン・ケールや、当時駆け出しの映画評論家だったロジャー・イーバートが映画を賞賛したことで風向きが変わり、結果1960年代のアメリカ映画を代表する傑作として認知されるようになった。数か月後にクラウザーは『ニューヨーク・タイムズ』の批評家を更迭されたが、一説にはこの時『俺たちに明日はない』を酷評したことが辞任に繋がったとも言われている。
『俺たちは明日はない』は1992年にアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。1998年にアメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)が選んだアメリカ映画ベスト100中第27位、2007年に更新されたアメリカ映画ベスト100の10周年エディションではベスト100中第42位にランクインした。2005年には同協会によって、クライドが職業を明かす作中の台詞「銀行強盗をやってるんだ」(原文:We rob banks)がアメリカ映画の名セリフベスト100中第41位に選出された。』

(Wikipedia「俺たちに明日はない」より)

このように、映画の世界においては、本作『俺たちに明日はない』は、「画期的な作品」として高く評価され、すでに「古典としての評価」を得て、殿堂入りしていると、そう言えるだろう。

だが、「ボニーとクライド」の問題は、決して「過去のもの」にはなっていない。

「ボニーとクライド」の問題は、「画期的」なのではなく、まさに「普遍的・不変的」な問題となって、今も生き続けているのである。


(2023年5月22日)

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