見出し画像

「北村紗衣・山内雁琳」訴訟の地裁判決を正しく読む

4月17日に出た、北村紗衣氏が雁琳(山内雁琳)氏を訴えた民事訴訟の東京地裁判決が、ここ数日ネットを騒がせている。

元はよくある「ネットの書き込みによる名誉毀損」の争いだったものが、ここまで大きな反響を呼ぶ理由については、すでにまとめている方も多いので、新たに付言するには及ばないだろう。

だが、後に具体例を示すとおり、同判決に便乗して私を中傷する「学者」が複数現れているので、手短にコメントしておく。

当該の判決は、北村氏(原告)の側の弁護士事務所のホームページに、PDFで全文が掲載されている。あたりまえだがこうした場合、発言したければまず判決それ自体(一次資料)に目を通すのが、「学者」たるものの責任だ。

PDFの54頁から「別紙2」としてまとめられている通り、名誉毀損に当たるか否かが争われた雁琳氏(被告)のツイートは、11個である。これも当然のことだが、被告の発言歴の中からこの11個を選んで争うことに決めたのは、原告である北村氏およびその弁護団である。

4頁で指摘されるとおり、11個のうち2つは、そもそも雁琳氏自身の発言ではなく他の人物による投稿のリツイート(リポスト)だ。他に3つ、他人の発言に応答した会話形式のもの(引用リツイート)があるので、厳密に雁琳氏が単独で行った発言は、残りの6つとなる。

判決では、原告側が選んだこれら11個のツイートのうち、1つのみを却下し、残る10個について名誉毀損ないし名誉感情侵害を認めた(49頁)。その当否については、今回は論評しない。

むしろ注目していただきたいのは、前掲「別紙2」にまとめられているとおり、原告側は名誉毀損を争うツイートの1つ目に、雁琳氏が2021年11月3日に行った発言(会話形式)を選んでいる。2つ目は、2022年1月19日に飛ぶ(3つ目はその前日付だが、他人の発言のリツイート)。

その後に2019~20年などの、1つ目より古いツイートがいくつか挟まれた上で、8つ目で2022年1月20日の発言に戻る。以降は、同日以降のツイートが最後まで続く。

つまり、原告側が「名誉毀損にあたる」として選んだツイートには、2021年11月4日~22年1月17日の時期のものが、丸ごと欠けている。もちろん、なにを選ぼうと原告側の自由だが、私にとってはきわめて重要な関係がある。

私は2021年の11月3日から12月29日にかけて、計13回、「呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える」として、論壇サイト「アゴラ」に連載した。その過程では、原告の北村紗衣氏とも(むろん会ってはいないが)直接論争している。

そしてその間に雁琳氏は、ほぼ毎回に近い形で私の連載を、ツイッターでおおむね好意的に紹介していた。

現に、他人の発言のリツイートまで訴因に含めている以上、もし私の連載内容に誤りや、北村氏への中傷が含まれていれば、「これを紹介・拡散した雁琳のツイートも名誉毀損にあたる」として、原告側は訴えの対象としたはずである。

しかしながら、そうしたことは起きていない。これが示す事態は、明白である。

私の記事内容は原則としてすべて正しく、事実誤認や名誉毀損は含まれていなかったことを、北村紗衣氏とその弁護団は認めたということだ。

したがって今後は、当該の民事訴訟に至る経緯や背景を理解する上でも、それらの拙記事は立場を問わず、「事実の記述」として積極的に参照・引用されることが望まれる(すべての回を読むのは骨が折れると思うので、大意は12回目のまとめと、後に記した番外編の1回分を参照されたい)。

実際、連載の最中に北村氏はツイッターで、私の記事内容に事実誤認があると非難したが、6回目および7回目で反論されると沈黙した。「事実」を踏まえていたのは私(與那覇)であり、勘違いしていたのは本人(北村氏)であることが、証拠と共に提示されたからであろう。

事実を書いた記事を「事実誤認だ」と不当に誹謗するツイートは、名誉毀損や名誉感情侵害に問われる余地がある。私が(いまのところ)北村氏を民事で訴えていないのは、学者や言論人のトラブルはなるべく言論のみによって処理されるのが望ましいと考える、私の個人的なこだわりにすぎない。

しかし、上述の経緯――および自身の誤りが判明してからは沈黙するという北村氏の選択に反して、いまも私への中傷を続ける「北村支持者」がいる。先日、別の問題に際して論じた、いわゆるファンネル・オフェンスである。

典型は「豚の嘶き」で有名な、嶋理人なる歴史学者だ。この人物の異常なつきまといと差別発言は、すでにnote で報告済みだが、今回もまた北村・雁琳訴訟の判決に便乗して、以下のような中傷ツイートを発している。

嶋=墨東公安委員会の問題点は
連載の10回目も参照されたい

また本人が削除したようなので、今回は名前は勘弁しておくが、判決の翌日にあたる4月18日の21時前後に、以下のような中傷を行った「社怪学者」(本人の自称。博士号をお持ちらしい)も存在する。

そういえば與那覇潤先生はどう思うんだろうね、今回の判決。あれだけコラム書きまくったんだから、しっかり総括するのがスジなんじゃないですかね。
まさか知らんふりってことはないよねーまさかねーまさかねーほんとー

表記は原文のママ。
スクリーンショットは残っており
必要に応じて公開する

もちろん、ツイートを消せば追及されまいとタカを括る究極の言い逃げ屋と異なり、責任感のある識者は「まさか知らんふりってことはない」。上記のとおり「しっかり総括」したので、ぜひご講評をお待ちしている。

冒頭にも記したとおり、本稿を書くことに決めたのは、こうした人格低劣な「学者」たちの存在である。彼らが私を中傷しなければ、私人間の訴訟の、それも地裁レベルの判決には、逐一口をはさまないという選択もあり得た。

「有能な敵より無能な味方が怖い」という警句はよく知られるが、知性も品性もないファンネルをオフェンスに便利だからと放置すると、実際にこうした事態を招く。北村氏にはお気の毒だが、中傷や差別的言動を楽しむファンネルともし距離を取らず、彼らの「遊び」を止めて来なかったのであれば、幾ばくかの責任はあるであろう。

懐かしの「オープンレター
(2021.4.4~22.4.4)
北村紗衣氏は呼びかけ人の1人で、
現在も魚拓が残る

他人の訴訟に首をつっこみ、原告側はなにを法廷に「持ち出さなかった」のか――つまりなにが今後、原告にとって「不利な材料なのか」をあからさまにすることは、私の趣味ではなかったが、まっとうな言論活動を「無茶苦茶を書き」「議論にならないから無意味」で「総括するのがスジ」とまで直喩的に中傷されては、やむを得ない。

むろん同じ警句は、被告の雁琳氏の側についても言えるであろう。学者の論争のあり方や、SNSと司法とのあるべき関係について、2021年秋の「アゴラ」での連載と同じく、本稿が広く議論を喚起することを期待したい。

(なお、この記事と合わせてマガジン「pork rillettes」を始めますので、関連する投稿が今後とも続く場合は、そちらにまとめてゆきます)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?