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ケム川にかかる橋

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Cambridge留学の経験と、その前後の英語学習について。
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「LとR」の発音を身に着けたときの話。

「LとR」の発音を身に着けたときの話。

LとR。多くの日本人が、10年近く英語を学びながら習得できない、2つの音。

「私はできます。」とマウントをとりたいのではない。日本語に無い音を、訓練無しに習得することが土台無理。入試英語で問われる音は、アクセントと、せいぜい母音の区別くらいのものであり、見れば分かる「LとRの違い」に時間を割く親切設計ではない。

2019年初の僕もそうだった。

Cambridge留学を間近に控え、学習ターゲッ

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CNN英検と英語学習に関する雑感。

CNN英検と英語学習に関する雑感。

「今話題の【CNN英検】受けてみました」というnote(ユウスケさん)を見て、CNN英検を受けてみた。

↑詳細はこちらから。

私は相当な面倒くさがり屋だ。同時に、気分屋でもある。「善(?)は急げ」とばかりに公式サイトからいそいそと登録を済ませる。数分後には登録完了メールを受信。

CNN英検(受験編)イヤフォンを差し込み、プレ問題を流す。部屋中に響き渡る説明文。普段ミュートでPCを使用しており

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昔の自分に向けた、英語学習のアドバイス。

「思いのほか勉強が捗らないなぁ、それなりに勉強時間を確保しては居るのだが。」

そんな時は、がむしゃらに勉強時間を確保するのではなく、その環境や質と、「そもそも何を得たいのか」を冷静に見つめ直した方が良い。

例えば、通勤電車で毎日英語のリスニングをしている人がいるとしよう。("定番"と目される学習法だ。)
片道40分程度、BBCやPodcastを往復聞き続けるとする。1ヶ月に20日出社するとして

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留学の真の果実は「語学」ではない。

留学の真の果実は「語学」ではない。

12週間のイギリス生活を通じての結論が、「語学を学ぶために留学は必須ではない」というものだった点に特段の戸惑いは無い。地道な予習、実践、復習。それらを一体 "どこで" やるべきか、という問いに対し、「留学」の二文字は致命的な影響を及ぼさない。やはりというか、語学に魔法など無いのだ。この点に驚きはない。まぁ、そうだろうなと。

もちろん、近道になる可能性はとても高い。現に、留学前、ほとんど外国人と

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なぜ「紙」や「ペン」が無くならないのか。

なぜ「紙」や「ペン」が無くならないのか。

何故、紙やペンは無くならないのだろう。

だって、もう不要ではないか。四六時中携帯するスマートフォン上で、ウン万というアプリケーションを操り、世界中のどの知り合いとだって、瞬時に意思疎通できる。一生をかけて書き得るテキストデータを1つのデバイスに保存したって余りある容量も手にした。環境にも優しいし、何より手が疲れない。言うこと無しではないか。

ふと、そんなことを考えたことがある。結論は「我々には

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太らないために大切なこと。

太らないために大切なこと。

最初に断ると、「痩せている方が格好が良い」とか、「痩せている方が健康的だ」とか言いたいわけではない。現に、超肥満大国「オーストラリア」の平均寿命は、80歳を優に超えている。日本と遜色無い長寿国だ。健康には無限に近いパラメータが存在しているので、食生活や運動習慣だけでどうこうできると考える方が傲慢だと、私は思う。

では、なぜ体型の話を書こうと考えたか。前々から言われていたのだが、イギリスに到着して

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マダムヴィジニとシェークスピア。

「フランス」という国があまり好きではなかった。

その気持ちが何に由来していたか分からない。恐らく自国や母語への強烈なプライドとか、やたらとフランス産ワインを好んで飲んでいるとかそんな所だろう。全く下らない。フランス人の友人など居た試しがないのだ。バース市街で目にしたジェーン・オースティン像は、随分と気難しそうな面持ちだった。聡明な彼女が物語をしたためたら、どのような仕上がりだったろう。

2週間

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なぜ学習効果は時間に比例しないのか、という話。

なぜ学習効果は時間に比例しないのか、という話。

学生時代、不思議に思っていたことがある。勉強をした後の模試ほど、何故か成績が振るわなかったのだ。勿論、「勉強をしても意味がないから…」という結論を得て、エスケープしたい気持ちはあった。しかし、学習した時は、間違いなく点を伸ばしたい時である。効果を実感できない理不尽さに、学生時代、随分と悩まされたものだ。

イギリスに来てからも、同じような経験をしている。昨日はあんなに頭が冴え、滑らかに話せていたは

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ありがとう、クロノトリガー。

ありがとう、クロノトリガー。

中川翔子さんのtweetが、タイムラインに飛び込んできた。クロノトリガーだ。

本ゲームをプレイしたことの無い方にご理解頂くのは無理だろう。青春時代を共に過ごした音楽、スポーツ、本、などなど。画一的に売り出された筈の実物は、当時の感情とねちっこく結びつき、長い歳月によって熟成され、唯一無二の想い出になる。そういうものが、誰しもに、何かしらある。そして、私にとってのその1つが、「クロノトリガー」とい

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さらば、社会主義。

さらば、社会主義。

「正直言って、経済界は終身雇用なんてもう守れないと思っているんです。どうやってそういう社会のシステムを作り変えていくか、そういうことだというふうにお互いに理解が進んでいるので。」

4/19の報道と、その報道に対する率直かつ肯定的な「リアクション」に、私は二度驚いた。経団連という、”超”を3つ付けても差し支えのない伝統的大企業の抽象物が、終身雇用の放棄を検討している事実。それを「待ってました。」と

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女の子に生まれていたら。

女の子に生まれていたら。

「女の子に生まれていたら。」と、よく想像したものだった。女の子に生まれていれば、表立って泣いたり、痛がったりすることを許された。スポーツをする必要も、力仕事も不要。大嫌いな人前で、小難しい仕事の提案をする必要もない。勉強ができなくても、適当に結婚し、適当に子供を産み、適当に養ってもらうことができる。最高の人生。女性万歳。そんなことを思っていた。男に生まれた人生の先を思い、日々背筋が寒かった。

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自分の「感覚」も大切にしたい、という話。

定量的な裏付けは重要だ。何の裏付けも無しに、「私はこう思う。」「こうに違いない。」「絶対にこうだ。」と決めつけては、健全なコミュニケーションは図れない。「定量的」とは、「数字の」という意味だ。大抵のエラーは、数字がそっと教えてくれる。バブル崩壊も、サブプライム危機も、数字は躊躇いがちに「実は…」耳打ちしてくれていた。0と1との間で、どのようにそれらを「咀嚼」するか。その判断の誤りだったに過ぎない。

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閑話休題。

閑話休題。

ダッシュボードを開く。「49,993」という数字は、いかにもキリが悪い。そうして、何の変哲も無い数字の1つに意味を見出してしまう時、「人間だな」と再認する。

noteを本格的に書き始めたのは、昨年の6月頃。飽き性の私がよく46本も書いたなと驚くばかりだ。内省に終始するその内容が平均1,000回読まれたことに、不思議な気持ちを覚えながら、これからもマイペースに更新したい。

今日は、過去のnote

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日本人は「Polite」である。

日本人は「Polite」である。

レッテルや偏見に縛られることは、恥ずべきことではない。誤解を恐れずに言えば、それらは時に物事を整理する有効な手段でさえあると思う。知らないことにレッテルや偏見を代用することで、事物を相対化したり、自分の中の世界のバランスを保ったりすることができる。勿論、一度用いたが最後、「それ」を解消すべく努力を重ねなくてはならない。南米に住む人は時間にルーズなのか、イタリア人はいつでも陽気なのか。アメリカ人はフ

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