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やめる勇気、ありますか?(10年飲んできた睡眠薬をやめて1年。驚いた…)

分かってはいるけど、やめられない。

やめたらいいことも、分かってる。

やめれることなら、もうやめている。

本当は、本気で手放したいなんて
思っていないのかもしれない。

きっとみんな、そんな何かを抱えてる。

………

これは睡眠の話ではありますが、
今、頑張っている「あなた」に
ぜひ読んで欲しい。
そんな想いで書いています。

私の経験が
体や心の不調を抱えている
あなたの力になれたら幸いです。


やめる勇気、ありますか?

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社会人一年目。
400倍の倍率。
その難関をくぐり抜け、
私は就活生が選ぶ
「働きたい企業」にもランクインした
ある会社に入社した。

スパルタな先輩に鍛えられ、
朝は吐き気と腹痛に襲われながらも
念願だった
制作部に配属された。

「文章を書く人になりたい」
小さな頃からの夢が叶ったと、
キラキラと瞳を輝かせ喜んで働いた。
コピーライター。
その響きがかっこよくて好きだった。

簡単にいうと主な仕事は、
商品を売るための
広告や冊子の制作。

もちろん、やること全てがはじめて。
仕事量は
想像以上にファンキーだった。
でもそれ以上に
「文章」に関する仕事を任された時、
自分の言葉が誌面に載った時、
誰かに自分の想いが届いた時の喜びに
やりがいを感じていた。
何でも頑張ろうと思った。

幸か不幸か、
会社の急成長に対して
スタッフの人数も育成も
追いついていなかったおかげで、
いろんなことを
ぶっつけ本番でさせてもらった。

広告制作はもちろん、  
普通の新入社員なら体験できないような
企画やキャンペーンの立案、著名人の取材、
広告に使う素材の撮影やインタビューなど
任せてもらえた。

当時、会社の経営はうなぎ上りで
商品のCMが流れれば
朝刊に広告が掲載されれば
受注の電話が鳴りやまず、
電話対応や発送業務の仕事もしていた。
あれをしたりこれをしたり。
一点集中じゃなかったから
作業効率は悪かったと思う。

もちろん、残業がデフォルトだった。
むしろ本業ができるのが
残業タイムからだったりした。
当時はそれほど、
コールセンターも対応できない位
注文の電話が殺到していた。

そんな中。
月2回発行される冊子に
「芸能人を3人載せよう!
もちろん無料で。」
という社長の気まぐれ企画が始まった。
表紙のオープナーにするためだという。
どんな贅沢使いだろうか。
でもNOなど、
口裂け女になっても言えない。

知名度がない会社から
いきなりの無料掲載オファー。
武器は発行部数のみ。
「今をときめく方に
生き方のヒントや美しさの秘訣を
お伺いしたい。そのかわり
誌面の一部を宣伝として
使っていただけます。
発行部数はこのくらいです。」

もちろん、
大手の芸能事務所が相手をするわけない。
100人当たって1人、
奇跡が起きるか起きないか。
そんな世界で
奮闘する毎日を過ごしていた。

「もう無理だろ…」と思うことも、
どうすればできるか考えて
「できるまでやる」のが仕事だと
頭に叩き込まれた。

オファーした芸能人はほぼNG。
たまに「いや、それだれだよ」と
突っ込みたくなる無名な人や、
潮時のきた”あの人は今”みたいな人を
紹介されることもあった。
申し訳ないが、それじゃ
オープナーにならない。
そんな中でも、
商品のことを知ってる
マネージャーさんに当たると、
大物歌手や女優さんに
奇跡的にOKをもらえることがあった。

しかし。
さすがにストレスが溜まっていたのか、
その頃から
極度の睡眠不足に悩まされた。

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無理もない。
日々、迫りくる締め切り。  
冊子の制作が
ひと段落したかと思えば
また次の号に向けて
芸能人探し。
オファーから価格交渉、取材、ライティング、
発行後の諸手配まで全て自分。

社会人一年目、
業界の常識など持ち合わせてないし、
教えてくれる人もいなかった。
でもどんなことも
「やる」しか、選択肢はなかった。
きっと、ずっと緊張状態だったと思う。

事務所のマネージャーさんに
常識のなさを怒られながら
撮影は冷や汗をかきながら
段取りの悪さに呆れられながら、
たまに褒められて、
情熱だけで
コミュニケーションをとっていた。
むしろマネージャーさんに
育ててもらったかもしれない。

いろいろ大変ではあったけど
インタビューのライティングは
好きだったし、
芸能人ご本人から直接電話で
原稿を褒めてもらえた時や
担当した誌面が出来上がった時、
読者からよかったと感想をもらえた時は
嬉しかった。

何より波瀾万丈な人生を歩んできた
芸能人の話は自分の身になった。
ご縁があった方の魅力を
最大限引き出せるよう、
一生懸命言葉にした。
今でも人のバックグラウンドを
聞くのは好きだ。

もちろん、仕事はそれだけじゃない。  
担当企画の1つにしか過ぎない。
他にも常に10個以上の原稿は持っていた。
ゆっくりする時間は1分もなかった。
原稿を両手に抱えては走り、
文章を添削しながら
お客様からの受注電話を受けていた。

思い返すと、入稿日2日前なのに
掲載する芸能人すら
決まってない時もあった。
ストレスで全身が痛かった。

秘書のミスで
行き先の違った飛行機のチケットを
手に握っていたことに、
搭乗前に気づいた時もある。
そんな日に限って
他の便の予約が埋まっていて
死ぬかと思った。
全員のスケジュールをひっくり返し、
めちゃくちゃ怒られた。

極めつけは、入稿日前日。
社長の気分で制作中の冊子が
全て一からやり直しになることも
よくあった。
よく、ってなんでだ。

気分って、怖い。
深夜まで残業し、
もちろん終わる訳なくて
原稿を持って帰っては家で続きをした。
毎日、胃が痛かった。

だけど、
どんなに「もうダメだ」と思う仕事も
なぜかギリギリどうにかなる。
不思議なことに
上手くおさまってしまう。

これが厄介で、
「ギリギリどうにかなってしまう」
奇跡のスパイラルは
社長の要求度を高め、
スタッフをさらに苦しめた。

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最初に異変が起きたのは
一番サバサバしていた明るい同期。
家に引きこもって、
連絡がつかなくなった。
家まで行ったこともある。
でも、開けてはもらえなかった。
隣の席の子は目の下が
青を通り越して緑色になっていた。

昼休みをとらず、
自分の体より仕事を優先して
やせ細っていく同期、
いきなり泣き出す同期、
突然倒れる同期もいた。
しかし、
次第にその光景にも慣れて
「死にそうな顔をしている制作部」が
デフォルトになった。

頭が良く情が薄いタイプの同期は
早々に「この会社ヤバイから」と
見切りをつけ、あっけらかんと辞めた。

当時の私はそんな同期を
「なぜ自分で選んで入社した会社を
こんなに早く
簡単に辞めてしまうんだろう?
三年頑張りなさい、と
松下幸之助が言ってたじゃないか。
忍耐力がないなぁ」
と本気で思っていた。
(今じゃ全く思わない)
くそ真面目だった。

しかし。
会社や社長に従順な私も、
睡眠不足を筆頭に
慢性疲労&ひどい怠慢感&体の痛み
腹痛頭痛&耳鳴り&吐き気&喉の渇き…、
何か月も続く体の不調に
ピークを感じはじめた。

とにかく寝たかった。

そんな私を母のほうが心配し、
ある日
山奥にあるメンタルクリニックに
連れて行かれた。

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長いカウンセリングを終えると
お医者さんから、
「君は今めちゃくちゃヤバい状態だ」
ひと言で要約すると
そんな感じのことを言われた。 

なぜか結構な怒り口調で
「診断書を出すから、
明日から会社を休みなさい。
いいね?
これは君を守るためです。
君はガソリンがない体で
アクセル全開で走っている、
このままじゃ危険だ。」
と言われた。

何を言う。
私は機械じゃない。
車扱いしないでくれ。
明日も会社に行きたいから
寝れるようになりたくて、
ここに来たのだ。

「私は車ではありません。
大丈夫です。
会社はいけます。
寝れる薬をください。」

「いいかい?
薬は出せる。
だけど、薬では根本は治らない。
会社は行っちゃだめだ。」

話が違う。
それに同期だって同じ環境で働いてる。
くそっ。
みんなに置いてかれるじゃないか。
病院に来たのが間違いだった。

当時の私は、
みんな同じ場所で
同じように働いているのに
「自分はなんて弱い人間なんだろう」と
傷心していた。
のちに「頑張れる度合い」は
いろんなことが折り重なって、
みんな同じではないことを知った。

診断書ひとつで休職できる
絶好のチャンスなのに、
どうしても仕事に行こうとする私に
お医者さんはこう言った。

「私はね、
君の会社なんかより
君の命のほうが大事なんだ。
君は1人しかいない。
君の命が大事だ。
命が何より大事だ。」

≪君の命が大事だ≫
その言葉は偽物じゃなかった。

この人は医者ではなく、
味方だと思った。

そしてその7年後、
私は本当に死にかけたから
すごい。
(話すとワンピースみたいに
すんごく長くなるから
いつかまたここら辺の話も書こうと思う)

≪君の命が大事だ≫
その言葉は
私の胸の奥をギュッとさせた。
すると、
泣きたい訳でもないのに
ポロポロと涙が零れ落ちてきた。
今までの我慢が涙になって
溢れ出てきたのかもしれない。
ケースが空になるくらい
大量のティッシュを消費した。

気づけば診察から1時間。
診察室を出ると
患者さんたちが溢れていた。
す、すまない!
みんな、「患者さん」という
悲壮な顔をしていた。
大人も子どもも年配の人も
何があったんだろう。

そして
「魔法のお休みチケット」ともいえる
診断書を手にして病院を出た。
空を見上げた瞬間、
ホッとしたのを覚えている。

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診断書には難しい漢字の病名が
何個か書かれていた。

どんな合併症だよ、
と自分に突っ込んだ。

あの先生のことだから
大袈裟に書いたのもあったと思う。
先生とはとても親しくなった。
癌で亡くなる直前まで
ずっと心配してくれていた。

病名を簡単に分かりやすく言えば、
「過労による重度の鬱病」みたいな感じだ。

それにしてもどうしたもんか。

ただ頑張って働いてただけなんだけどなぁ。

はぁ。
こんな紙切れ、
社長に響くわけねぇ。
弱い者扱いされるんだろうな。

会社に事情を話し、
私は3カ月休職することになった。

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最初の1カ月は「人生の夏休みだ」と
自由な時間を楽しんだ。
寝れるだけ寝た。
この休みを利用して転職でもしてやるか!
という意気込みだった。
しかし結局は
辞める選択をすることはなかった。
なにかを楽しんでいても
頭の片隅に
会社のことがチラチラしていた。

2か月目に入ると
復帰が視野に入ってきて
会社のことを考える度、
胸がドキドキした。
職場にいる自分を想像すると
拒否反応のように具合が悪くなった。
冷や汗がでた。
「また頑張ろう!」と思うほど、
体がずっしり重くなって寝込んだ。

今考えると休職中、
心や体が芯から休まった時はなかった。
会社に所属している以上、
私にとってどんな長期休暇も
休養にはならなかった。

そして、
体から出てくるあらゆる諸症状は
心からの切実な
「た・す・け・て」のサインだった。

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あの時
もっと自分の心と向き合い、
会社を辞める選択をしていたら
私の人生はどうなっていたのだろうか。

長い目で見て何が大切か。
それを考えることができていたら、
私は今どこにいただろうか。 

立派でありたいとか良く思われたいとか、
勝ちたいとか成功したいとか、
そんな見栄を捨てることができていたら
どんな選択をしていただろうか。

その答えが出ることはないけど、
一生付き合うことになる
「あれ」を背負うことは
もしかしたらなかったのかもしれない。

ふと、そんなことを思う。

間違いなんてきっとない。
頑張ることは悪いことではない。
体と心のバランスとは難しいものだ。
ただ、どんな選択をしても
過去に戻ることはできない。

三か月の休職期間を経て、
私は軽やかなフリをして
仕事復帰した。

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睡眠薬とは友達になった。
睡眠薬があれば、寝れる。
その安心感が仕事をする上で
一つの支えだった。
当時は
精神薬もいくつか服用していた。

会社に行くと、
同期が休職してたり
辞めてたりしていた。
それからも
次々に人が辞めていくから
始めは誰かが辞めると悲しかったけど、
別れにも慣れてしまった。

それから月日が経ち、
セーブされていた仕事量も
元に戻った。
責任のある仕事を任されるようになった。
斬新な企画で成果も出した。
働く楽しさを感じた。

しかし、お昼頃になると
謎の発熱や頭痛に悩まされ、
毎日のように頭痛薬を飲んだ。
「お昼になると頭が痛くなる私」
がデフォルトになっていった。

そして。
会社のある事件をきっかけに、
大量に人が辞めた。
40人いた同期は10人になっていた。

仲良しだった同期も、
心を無くして去っていった。
入社当時はみんな輝いていたのに。

それでもなぜか、
私は頑なに辞めなかった。
毎週一回は本気で
この会社辞めてやる!と思うのに
「あと少し頑張れば楽になるかもしれない」
「もう少し我慢したら体調が良くなるかも」
そんな希望を抱き、
働いた。

だけどその希望だけは
やってくることはなかった。

会社は次々バッシングに遭い、
トラブルが絶えなかった。

そんな中でも、真面目に誠実に。
会社のためお客様のために。
そう頑張って働いていたおかげか
私は能力以上にトントンと昇進し、
等級もステップアップした。 

社長のお気に入りだった(と思う)。
だって、何か試練を与えたら
期待以上に応えてくれるんだから。

そして。
ある新商品を大ヒットに導いた。
広告1つでモノがどんどん売れる。
会社の救世主と言われた。
素直に嬉しかった。

期待されるほど期待に応えたい、
期待以上のものを生み出したい、
と自分のキャパ以上に働いた。

会社が黒字になるほど、
自分の心が赤字になっていることに
気づかずに…。

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紙広告でモノを売るというのは
簡単なことではなかった。
薬事法の規制も厳しく、
アンチやライバル会社からの
やっかみも受けた。
売れることは、
壁が厚くなるということであった。
数字を出し続けなければ
いけないということであった。

だけど、やっぱり
「もうダメだ」という最後の最後で、
いつもギリギリのギリギリで、
ボンっと成果が出た。

睡眠薬と同じように
いつも手元に原稿がないと
落ち着かなくなった。

仕事が終わっても
帰りの電車の中でも
家の中でもお風呂の中でも
広告のことが気になって、
もっと良くするには…と考えていた。
原稿が手放せなかった。

常に頭は仕事モード。
心は緊張感でいっぱい。
睡眠薬を飲んでもなかなか眠れなかった。

満身創痍がデフォルトだった。

会社に貢献するほど
私の身体は蝕まわれていった。

思えば
一年のうち8割くらいは具合が悪かった。

「体調が悪い私」がデフォルトだった。
休みの日は友人が談笑する横で寝ていた。
「気づけば寝ている私」もデフォルトだった。
冬は人一倍寒くて、
会社では毛布を身体に巻いていた。
「雪ん子姿の私」もデフォルトだった。 

そして、30歳のある日。
私の体に
最期のサインが発せられた。

ギリギリの淵にいた私の心身は
崖から崩れ落ちた。

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緊急入院。
何があったかは割愛するが、
2度、入院した。
合わせて約半年、
病室での生活を送った。

退院後の体重は33キロくらいだった。

想像すらしていなかった。
約10年身を焦がして
一生懸命働いた日々と引き換えに、
私は「ある厄介な病気」に
なってしまった。

それは私の人生に
当たり前にあった幸せを
奪うものだった。
毎日その症状に苦しめられた。
何度も生きるのが嫌になった。
ちなみに、今日も戦っている。

あれ?

睡眠の話はどこにいった?
もう少し、お付き合いください。

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………

緊急入院した当時、
私は心も身体も粉々だった。
何もない病室。
だけど、
現実から切り離された世界は
穏やかだった。

治療を乗り越えて
仕事復帰するものの、
「ある厄介な病気」は
日常生活すら困難にしていた。
だけど、全部自分が悪いと思った。

ゆっくりすればいいのに
相変わらず頑張り過ぎる私は
また体を壊した。
病気の症状はどんどん悪くなった。
3ヶ月も入院したのに
その4ヶ月後には再入院した。

でも。
そんな瀕死な私でも
神様は見捨てなかった。

ガリガリヨボヨボの私を
救ってくれた人がいた。
今の旦那さんだ。

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0歳からの幼なじみでもある旦那さん。
遠距離恋愛の末に
一度は別れた。
しかし、
ず~っと私のことが好きだった(らしい)。

性格も思考も私とは正反対。
パワフルでエネルギッシュ。
掴もうぜ!ドラゴンボール!
みたいな旦那さん。

何年も会っていなかったのに
私の状況を知り
突如、病院まで会いに来てくれた。

1000キロの道のりを
車でぶっ飛ばしてきたという。

数年ぶりの再会だったが、
スッとあの頃の2人に戻った。
旦那さんの愛は変わることなく
生き続けていた。

余談だが、私は1度目の入院中に
年下彼氏と音信不通という
無残な別れを経験した。
心から信頼していた人から裏切り。
絶望だった。

これも病気のせいだ。
病気持ちの女なんて面倒なだけだ。
ネガティブ全開だった私は
「この病気を抱え、一生独り身で生きていく」
と決め込んだ。

だけど。旦那さんは
病気になった私ではなく、
昔と変わらず
私の心を見つめてくれていた。

「病気になっちゃった」
と苦笑いしたら
「はなはやさしい人だから」
そう言ってくれた。

「遠くからありがとう」
と伝えたら、
「距離なんか関係ないよ。
俺が会いたいから
会いに来たんだ。」  
と笑った。

その時、
この人なら信じられる
この人は私のヒーローだ
そう確信した。
直感だった。

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見事、旦那さんは
数年の無言の片思いの末、
私を掴んだ。

掴もうぜ!ドラゴンボール!
とはこのことをいうのかもしれない。

瀕死だったはずの私は、
その五か月後には
人妻になっていた。

スピッツのチェリーで
代弁するなら、
♬きっと想像した以上に
騒がしい未来が僕を待ってた~
だ。

人生、何が起きるか分からない。

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そして、
2回の入院生活は私の価値観や
生き方に対する考えを
180℃変えた。

完璧主義で頑張り屋。
こだわりが強く、承認欲求も高かった。
自分を犠牲にしてるつもりはなかったけど、
自分の心を押し殺してでも
人に認められたくて頑張っていた。

わざわざ自分から
険しい道、苦しい生き方を選んでいた。

もう楽に生きよう。
「定年退職まで仕事をする」と
決めていた自分を一旦、
諦めよう。
そう思った。

実は仕事復帰してから、
昔はできていた仕事や簡単な作業が
思うようにできなくなっていて、
頭は常にパニックだった。
人一倍頑張り屋な私も
未経験の病気と仕事を両立させることに
限界を感じていた。

そしてまたもや自分の健康より、
認められることを優先して
頑張ろうとする私に
旦那さんが
「はなが笑顔になるなら、
仕事辞めていいよ。
俺がどうにかするから。
大丈夫。
どうにかなる。」
と言ってくれた。
もう一人で頑張らなくていいんだ
私、仕事辞めてもいいんだ
と思った。

甘えではない。
私の未来に責任を持つと
決意してくれる人がいる。
私の明るい未来を
願ってくれている人がいる。
その言葉を聞いた時、
強く変わりたいと思った。

私はこれまでの人生で
「無駄に執着していたこと」を
1つずつ手放していくことに決めた。

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その中でも、
仕事を辞めるということは
大きな決断だった。

体を壊すほど頑張った仕事を
小さな頃から夢だった仕事を、
辞める。
この約10年で得た成果や地位を
手放す。
私は一体なんのために
働いていたんだろう。
こんなにボロボロになって。
悔しくも虚しくもあった。

だけど、
もういいかな。
心から
そう思う瞬間があった。

それは2回目の退院後、
久しぶりに祖母に会った時だ。

その頃の私は
自信も笑顔もなくし、
人前に出ることも
生きていくことも
何もかもが怖かった。
それでも強がっていたけど、
祖母のやさしい微笑みの前では
素直になれた。

ぐちゃぐちゃに泣きながら、
「なんで
こうなってしまったんだろう。
なんで私だけ
こんな病気になってしまったんだろう。
病気が辛い、
切り取りたい。
私にはもう何もない。」
今の不安な気持ちを話した。

そんな私を祖母は
全部受け止めて
「それでいいじゃない」と
笑ってくれた。

そして帰り車内で
「なんでみんなこんなにもやさしいの?」
そう母に問いかけた時、
「あなたがやさしい人だからよ。
あなたはもう充分頑張った。」
と言ってくれた。

私のことを一番見てきてくれた母が
私の頑張りを心から認めてくれた。

その時、
そうだよね。
私、充分頑張ったよね。
もう次に行こう。

スッと穏やかに決意ができた。

そして
「私、仕事辞める。
お母さん、
今まで本当にありがとうね。」

そう伝えた。
母はやさしく微笑んで
うなずいてくれた。

≪君の命が大事だ≫
あの日、病院で流した涙と
同じような涙が零れた。

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…………

それから
私は仕事を辞めた。
そして移住した。
生まれ育った故郷、
大好きな家族や友達と離れた。

本気で人生を変えたかった。

どんなことも頑張ってしまう私は
「仕事をしない」という選択で、
「住む場所を変える」という選択で、
「関わる人を変える」という選択で、
これまでの生き方を切り離し、
ないがしろにしてきた
自分の人生を取り戻すと決めた。

まずは、何より健康になると決めた。

もしかすると人は
一度くらい、
死にかけてもいいのかもしれない。
自分にとって大事なものを
知るために。

………

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2018年7月。
ある田舎町で
旦那さんとの2人暮らしが始まった。
最初は新しい生活にワクワクし、
古民家暮らしに
ほろ酔い気分だった。

しかし。
想像もしなかった、
「専業主婦」という生き方。
これまで仕事人間だったので、
料理も洗濯も掃除も
なかなか慣れなかった。

好意で貸してもらった古民家は
2人暮らしには広く、
掃除が面倒くさかった。
家事にイライラした。
今思えば、当時
体力がほぼなかった私にとっては
この広い家での暮らしが
きつかったんだと思う。
そして、
どんなに時間をかけて作った料理も
パクッとひと口で食べてしまう旦那さん。
誰からも評価されることのない日々。
何者でもなくなった自分。

SNSを見ては
みんな働いてお金を稼いでいるのに
私は何をしているんだろう…と
落ち込んでいった。
ゆっくりしている自分を許せずにいた。  
そして、働いてもいないのに
相変わらず
睡眠薬を飲んで過ごしている。

とはいっても、
まだまだ病み上がりだった私。
ガリガリで働く体力はなかった。

旦那さんは
「私が笑顔になれればそれでいい」
「好きなことして生きな」
と言ってくれた。
身内も
「今はゆっくりすることが仕事」
「健康になって
やりたいことが見つかったら
その時考えたらいい」
と言ってくれた。
おかげで
「健康になることが第一優先」
「今はこれでいいんだ」
と思うことができた。

心配だった金銭面も
意外と旦那さんの稼ぎだけで
どうにかなった。
無駄遣いはせず、あるものを大切に、
贅沢はたまに。
収入と支出のバランスを考えて
生活すればなんとかなるものだ。

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そして、
ゆっくりするだけじゃなく
新婚の私には楽しみもあった。
一年後に控えていた「結婚式」だ。

感謝したい人たちがたくさん居た。
今生きているのも
笑顔になれたのも
入院中に助けてくれた人たちのおかげ。
旦那さんと結婚できたのも
今まで出会ってくれた人たちのおかげ。
短い時間だけど
どれだけみんなに感謝しているか。
結婚式を通して伝えたかった。
そして、
「自分を生きる」大切さを
メッセージとして伝えたかった。

時間はたっぷりある。
それなら今まで仕事で培った
クリエイティブ力を生かして、
自分の結婚式を自分なりに
自由に作り上げて楽しもうと思った。

式の準備は面白かった。
ひとつひとつ、
できることが増えていった。
クリエイティブな作業に
やりがいと喜びを感じ、
なくした自信も取り戻していった。

家族も結婚式を
心から楽しみにしてくれていた。

新しい生活にも慣れ、
やっと平穏な人生を歩める。
そう思った。

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しかし、結婚式直前。
父が倒れた。

数日後。
私が実家に帰ると
その夜…。

母が脳梗塞で倒れた。

さらに数週間後、
退院した父がまた倒れた。

親族と絶縁状態の兄は
「親戚がくるなら結婚式は行かない」
と言いはじめた。

なんだ、私の人生。

病を乗り越えて
やっと両親に
花嫁姿を見せてあげられる。
恩返しができる。

そう思っていたのに。
家族がこない結婚式って
なんなんだ。

誰よりも迷惑をかけたのに
誰よりも支えてくれたのに。
誰よりも感謝を伝えたい人が
いない結婚式って、
なんなんだ。

一番不健康だった私が
今、誰より健康って。
どうなってんだ。

余裕を持って進んでいた式の準備も
大詰めで止まる。
体の不自由な祖母が
介護付きで参加できるようにと
考えていたプランもなくなる。

これはバツかもしれないと思った。
今まで家族に心配をかけて
無理をさせてきた
代償なんだ、しわ寄せなんだ…と。

さらに。
追い打ちをかけるように
担当だったプランナーさんが
入院したと連絡が入った。

プランナーさんまでも倒れるなんて。

いや、本当にどうなってんの。

この状況で仕事までしていたら…。
ちょっと想像してみたけど
可哀想になるからやめた。

「ただ感謝を伝えたいだけなんです」
式の打ち合わせ中、
プランナーさんも両親も入院して
落ち込んでいた私。
そんな私に
式場のフラワーデザイナーさんは
「大丈夫。
きっとね、なるようになりますよ。
大丈夫です。」
と言ってくれた。

その言葉が妙に腑に落ちて、
冷静さを取り戻すことができた。

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どうにかなる。
どうなるかは分からないけど、
私はその日に向かって
やりたいことをやりきろうと思った。
再度式の準備に取りかかった。

家族のサポートをしながら、
驚異の集中力で
ペーパーアイテム全てと
7本の動画をつくりあげた。

そして。
やっぱり私の人生というのは、
ギリギリでどうにかなる。
どうやら私の人生、
ギリギリチョップのようだ。

プランナーさんが
直前で戻ってきてくれたのだ。
「私の式だけは出たい」と。
プランナーさんには
病気のことを話していた。

母は結婚式だけでも外出できるよう
医者に頼み込み、
リハビリを頑張ってくれた。
(幸いにも私が側にいた時に
脳梗塞になったので
手遅れにならなかった)

父もヨボヨボだったけど、
一緒にバージンロードを歩くんだ!と
歩行の練習を頑張ってくれた。
(怠け者の父の最高のモチベーションは私だ)

兄ともケンカしながら
家族という存在について話し合った。

そして、結婚式当日。
誰よりも早く会場に現れたのは
兄だった。

バージンロードは父と母三人で
手を繋いで支え合って歩いた。
兄とは泣きながら抱き合った。

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家族全滅かと思った結婚式は
バラバラだった家族の心が
1つにまとまるという、
感動のフィナーレで幕を閉じた。

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……

睡眠の話に戻る。

幸せな結婚式を終えた私たちは
引っ越しをした。
古民家も悪くはなかったが、
広さよりも
使い勝手のよい小さなアパートに
引っ越した。
お風呂はボタンひとつ、
家事の導線もコンパクトで
快適だった。
キレイな部屋は気持ちが良かった。
穏やかな日々だった。

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だけど。
私は相変わらず
睡眠薬を手放せないでいた。

眠れないというよりは、
「寝れなかったらどうしよう」
という不安から
服用をやめれなかった。
やめようと試みた夜もあるが
やっぱり寝れなかった。

そんな私を白い目で見ていたのが
旦那さんだった。

「まだ睡眠薬飲んでんの?
なんで?
寝れんでもいいやん。
睡眠薬、もうやめな?
なんのために仕事してないの?
健康になるためでしょ?
睡眠薬飲んでるって
健康ではないでしょ?
別に明日予定があるわけでもないんだから
どれだけ寝不足になってもいいやん。」

私の病気のことで話し合う時、
旦那さんはヒートアップする。

私が大好きな故に熱がこもるようだ。

入院してた頃の話。
医院長が
ポロッと「病気は治らない」と言った。
中学生くらいまでは治ることもあるけど
私くらいの年齢になってしまうと、
治すのは難しいと。
治ると信じて治療を頑張っていた私は
衝撃とショックで
旦那さんに電話した。
すると
鬼のような表情が伝わるような声で
「は?なんだよ。
病気は治らないて。
ふざけるなよ。
おい、誰だよそいつ。
電話代われ!
(必死になだめる)
はな、お前全然大切にされてねーよ。
今すぐその病院出ろ。
治らないって
言ってるやつのところで
治療しても
そりゃ治らねぇよ。
第一な、例え末期癌でも
自分の大事な人に
「病気は治らない」なんて
言わねぇよ!
いいか、病気は治る。
治らねぇ病気なんかない!」
なぜか終盤は
私が怒られていた。

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「病は気から!大丈夫だ!」

旦那さんは本気で
誰よりも「病は気から」だと信じている。
病気をしたことがないらしい。
鼻水を流しながら
「風邪じゃない。ただの鼻水だ」という。
いつもスーパー元気だ。
そして、意志が強い。

だから
なにかにつけて言い訳をし、
病気のことからも
睡眠薬のことからも
逃げている私に呆れていた。

分かっている。
薬をやめた方がいいことは。
たしかに
明日も明後日も予定はない。
でも。
また寝れなくなるのが怖かった。
寝れないことで
病気の症状が悪化しないかが不安だった。

そして、仕事を辞めて2年。
体力や体重は戻ってきたのに、
治らないと言われた
「ある厄介な病気」が
思うように回復しないでいた。
むしろ症状が悪化していた。

旦那さんから
「睡眠薬を飲んでいることは
少なからず
病気の回復を妨げている」
と言われた。

「病気を治すのに大事なことって
何だと思う?
俺が何か言えば
反発して言い訳する。
そんな弱い意志じゃ
治る病気も治らないよ」
と言われた。

何も言えなかった。
悔しかった。
病気を治すために自分なりに
頑張っているつもりだったけど、
結局は
大事なことから逃げていた。

周りの人たちは
こんなにも協力してくれているのに、
なかなか変われない自分が
健康になれていない自分が
悔しかった。
自分に負けてる自分が
恥ずかしくなった。

私は変わりたい。
今度こそ変わりたい。

治らないと言われた病気だとしても、
私の一部である病気に勝ちたい。
私は私自身に勝ちたい。

強くそう思った。

結婚式が教えてくれたじゃないか。
どんな最悪の事態も
コロッと変わることがあると。
全ては繋がっていると。

バラバラだった家族が
結婚式の準備を通して
心が通い合ったように、
何がきっかけで事態が
好転するか分からない。

まずひとつ、
変わろう。

10年服用している
睡眠薬をやめよう。

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ちょうど一年前のことだった。
「私今日から睡眠薬をやめる。」
旦那さんへ決意を伝えた。

「ただ、10年も
睡眠薬を飲んできた人にとって
睡眠薬を手放すというのは
結構、怖いことなんだ。
多分、最初は寝れないと思う。
いろいろと迷惑をかけるかもしれない。
だけど睡眠薬を本気でやめたいから、
協力してほしい。
怖いけど、頑張りたい。」
と伝えた。

旦那さんは
「もちろん」と応援してくれた。

それから私は睡眠薬をやめた。
はじめて睡眠と本気で向き合った。

最初の一ヵ月は
「眠れない日々」との闘いだった。
丸二日寝れないこともあったし、
一週間連続
2時間睡眠の時もあった。

旦那さんは
「大丈夫。
人間、いつかは寝る。
だから頑張れ。
何もしなくていいから」
と励ましてくれた。

家事がままならない時は
サポートしてくれた。
申し訳なくて
ご飯を作ろうとしたら
「本当に何もしなくていいから!
寝ろ!」
と怒られた。

頭はぐるんぐるん。
視界はぼ~。
耳鳴はキーン!
頻繁に攣(つ)る足。
「寝たい!」と号泣。
72時間くらい寝れなかった時は
モノを投げて発狂した。
本当に辛かった。

夜は寝ることに集中するために
暗い部屋でボーッとし続けた。
しかし、手口が寂しくて
お菓子を食べることが習慣になり、
案の定太った。

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それでも睡眠薬には手を出さなかった。
飲んだほうがよかったのかもしれないが、
手を出したら負けだと思った。

「人間いつか寝る」
その言葉をお守りに一ヵ月頑張った。

それは正しかった。
どんなに眠れなくても
二週間に1回は
極度の睡眠が襲ってきて、
その日は死んだように寝ることができた。

人間、いつか寝るものだ。

そして、睡眠薬をやめて
1ヶ月を過ぎた頃から
少しずつではあるけど、
不規則だった睡眠生活に
変化が訪れはじめた。

夜になると
自然と眠くなるようになったのだ。

寝れない日もあるけど、
同じ時間に
自然と眠気がくるようになった。

寝れない日より
眠れる日の方が増えていった。

もちろん波はあって、
一週間上手に眠れたかと思ったら
次の週は急に不規則になって、
振り出しに戻されたりもした。

だけど、
「睡眠薬を飲みたい」という
欲はなくなっていた。

睡眠薬をやめた半年後には
安定した睡眠導入ができるようになった。

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しかし。
自然と寝れるようにはなってきたが、
どうしても途中で目が覚めるのだ。
1日最低3回は目が覚めた。

頻繁に起きては
その度トイレに行きたくなるから、
隣で寝ている旦那さんに申し訳なくなった。
なので一度覚醒したら
あとはソファで寝るようにした。

たぶん睡眠時間は平均4~5時間。
7~8時間の睡眠が必要な私には
少なかった。
代わりに日中眠気が襲ってくるけど
昼寝も上手くできなかった。
一日中眠気を引きずり、
やりたいことができずに終わった。
しかも毎晩ソファで寝ていたので
いつも身体のどこかが痛かった。

そして次第に、
蓄積した睡眠不足は
体に不調を及ぼすようになった。

思考能力が低下し、記憶力が悪くなった。
忘れ物が増え、よく物を落とすようになった。
視界は白っぽく薄くなり、
耳鳴りが悪化した。
覚醒の間にお菓子を食べるクセがついて
日に日に太っていった。

このままではいろいろとやばい。
どうにか改善しないと!
と思った。

なぜ中途覚醒してしまうのか。
原因を自分なりに洗い出しては、
半年をかけて
1つずつ改善策を試していった。
(ここは割愛します)

そしてやっと。
仕事を辞めて3年、
睡眠薬をやめて1年。
やっと近頃、睡眠状態が整い
まとめて眠れるようになった。

夜になると自然に眠たくなり、
起床時間に自然と目が覚める。
10年以上ぶりに
正常な睡眠を取り戻したのだ。

もちろん、
考え事をしたり体の調子が悪い時は
覚醒してしまうけど、
それは誰にだってあること。

でも、もう私に睡眠薬は必要ない。
予備で持っておきたいとも思わない。

私は睡眠薬の依存に勝ったのだ!

「睡眠薬を飲まないと寝れない」
と信じていた自分に勝ったのだ!

この一年、
寝れない日もあったけど、
勇気を出して睡眠薬断ちをして
本当によかったと思っている。

ありがとう、自分!

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そして。
睡眠薬をやめて私は
3つの大事なことに気づいた。

めちゃくちゃ長くなったけど、
今回の記事、
「睡眠薬やめる勇気、ありますか?」で
私が伝えたいことは
この3つだ。

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まず1つめ。
10年服用していた
睡眠薬をやめたことで
私は「本来の自分の状態」を
取り戻すことができた。

薬をやめて一番最初に感じたのは、
今までの自分は
本当の自分じゃなかったってこと。

多分、
睡眠薬を服用していた頃の私は
一日の半分、
薬の魔法にかかっていたんだと思う。

強制的にグッとくる眠気、
夢遊病のような症状、
起きてるか起きていないか
分からない状態、
フッと飛びそうになる意識、
無自覚な行動や発言、
コントロールできない感情、
どこか操作されているような感覚。

10年の年月は
これらの感覚や状態を
私のデフォルトにしていた。
だけど、薬を辞めて
これは本当の自分じゃないんだと
気づかされた。
私は睡眠薬に支配されていた。  

体の記憶から睡眠薬が抜けると、
今まで感じていた
コントロールされている感覚、
体の違和感がなくなったのだ。
私の体に
本来の自分が戻り始めたのだ。
素の状態がどんな感覚なのか
だんだん分かっていった。

朝起きると
シャキッとしていたり
ゆったりとしていたり、
活動的だったり
穏やかだったり。
日によって調子は違うけど
でもそれは、
何にも操作されていない
本当の自分。
睡眠薬を飲んでいた時と
あきらかに違う。
「これが私の素の感覚なんだ!」
と嬉しかった。

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気分が本当に変わる。
全身の空気が入れ替わったようだった。
体が軽い。
「本来の自分の状態」って
こんなにも楽なんだ!
人生が楽しくなった。

そして
「本来の自分の状態」を取り戻すと
安易に薬に頼ろうという気持ちも
なくなっていった。
冷静な判断ができるようになった。

たしかに薬は対処療法として
優れているし、
日常生活のサポートになる。
だけど決して依存になっては
いけないんだなと学んだ。

大事なのは根本から
見直すこと。 

「本来の自分の状態」で
生きていける範囲で
薬は使用したいと思う。

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そして2つめ。
正常な睡眠をとれるようになった今、
当たり前すぎるけど
めちゃくちゃ大事なことに気づいた。

それは
「睡眠ってとんでもなく大事」
ということだ。

なぜなら、
1年という時間はかかったが
安定した睡眠を機に、
私の健康状態はゴロッと
プラスに回りはじめたからだ。

今までのあらゆる不調は
なんだったのかと思うほど、
睡眠1つで
体の調子が良くなり始めた。

不眠だった頃は
夕方には疲れ果てて
夜ご飯も作れない時があったのに、
今では夜まで元気だ。
朝から寝るまで一日中
ポテンシャル高く過ごせるようになった。
ネガティブな感情が減り、
自然にポジティブ思考になった。
さらに悩みだった
思考の低下、記憶力の悪化、忘れ物。
視野の不明瞭さ、耳鳴りも改善した。

マジで睡眠って、とんでもなくすごいよ!

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そして一番嬉しいことは、
好きなことが好きなだけ
できるようになったこと。

ほんの1ヶ月前まで、
私は大好きだった「文章を書くこと」が
上手くできなくなっていた。
昔のようなバイタリティーや
執筆意欲もなくなっていて、
年齢には勝てない…
いつの間にか夢を叶える体力すら
なくなってしまったんだな…
と落ち込んでいた。

それが、睡眠が改善してから
スラスラ書けるようになったのだ。

まさか、
睡眠がこんなに関係していたなんて。
今では立派に頭が回転する。
まさに今、18000字の文章を
スラスラ書いている。

もう一度夢を目指せる。
そう思った。
私は今、夢に向かって
再び歩き出したところだ。

他にも日常生活の
行動がスピーディーになったり
意欲的に活動できるようになった。

何度も言う。
ホントにホントにほんとーにっ、
睡眠ってすごい!

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もちろん、
睡眠だけが好転の理由じゃない。

「睡眠状態が改善したから
体の調子が良くなった」
のは事実だけど、
もともとは
悩みだった中途覚醒を防ぐために
日常生活全体を見直したからこそ、
今がある。
どんな生活が今の自分に合うか
この半年、いろいろ試して
改善した結果でもある。

つまり、
総合的なプラスの作用で
睡眠状態が改善し、
体が健康に向かったのだ。
(もちろん、旦那さんのドラゴンボール級の
明るいサポートも力になった)

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声を大にして言う。
何度も言う。

『睡眠は健康のバロメーターだ。』

自分にとって
ちょうど良い睡眠がとれている時は
本当に体の調子が良い。
気持ちも明るくポジティブでいられる。
失敗してもまた頑張ろう!
と前を向けるし、
心配ごとや悩みも減る。
体が軽くなるし、よく動く。

また、逆も然り。
ストレスなく平穏に過ごせていると、
ぐっすり寝れて、
充分な睡眠がとれる。
寝つきはいいし、中途覚醒もほぼない。
睡眠の質があがる。

反対に、睡眠時間が少ないと
著明に不調が起きる。
一日中頭がボーッとして働かない。
元気がでないし、ネガティブ思考になる。
思考や意欲も低下し、
動く気力もなくなる。 
特に私の場合は、
耳鳴りがひどくなる。
なので「耳鳴り」を健康の指標としている。

また逆も然り。
ストレスや我慢が続く生活をしていると、
睡眠に支障がでてくる。
寝つきも悪くなり、中途覚醒が起きる。

体は本当によくできているなと思う。

最後に、もう一度言う。

睡眠ってめちゃくちゃ、めちゃくちゃ大事!!

私みたいな人生を送ってきた人、
睡眠不足かつ
謎の不調が続いている人、
まず睡眠を本気で見直してみて!

人生変わるよ。

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そして3つめ。
睡眠薬を辞めて気づいたことは、
「長い目で見ること」。

仕事を辞めて3年。
睡眠薬を辞めて1年。

やっと今、
私は正常な睡眠を取り戻しはじめた。
「本来の自分の状態」を取り戻し始めた。
健康な体に一歩近づいた。

10年続いた睡眠障害を改善するのに
3年かかった。
仕事をしない状態で、だ。 

何を言いたいかというと、
失った健康を取り戻すには
想像以上に時間がかかるということ。

もし今も仕事をしていたら、
まだ睡眠薬を飲んでいたかもしれない。
「本来の自分の状態」を
忙しさと薬でかき消し、
心身を疲労させながら
過ごしていたかもしれない。
もう少し頑張れば楽になれるかな…
とさらに
自分を見失っていたかもしれない。

仕事を辞める時は
いろんな感情になったけど
辞めてよかった。
仕事を手放して本当によかった。
特別な肩書も地位もないし
お金を稼ぐわけでもない。

だけど、
何にも変えられない、
かけがえのない健康を
手に入れることができた。

本当に今、心も身体も
とっても楽です。

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死を身近に感じて
私が心底痛感したのは、
健康じゃなければ
どんなことも意味がない
ということ。

だけど、
「健康第一」と分かっていながらも、
人は健康を害してまでも
何者かになろうとするもの。
一番大事なことを忘れて。

水に黒い絵の具を一滴たらすだけで
黒い海に染まるように、
健康を害すのは簡単。
だけど透明に戻すには…。

戻し方も分からないし、
試行錯誤しても
100%透明にするのは難しい。
健康を取り戻すって
簡単じゃない。

そのことを知っていて欲しい。

あなたは今、
引き戻すチャンスがあります。
決して健康を粗末にしないで。

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本当に健康になりたいのなら
大きな覚悟が必要です。

「健康を第一優先にして、
あとは手放す」

そう自分に決めて、
悪循環になっている
根本原因から抜け出すことが
まずは何より必要。  

そのためには
執着している「原因」を
手放す勇気を持たなければならない。

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あなたは
やめる勇気、ありますか?

もしかしたら周りから
何か言われるかもしれない。
でも「私はそうと決めた」という
強い意志があれば大丈夫だから。

ちなみに
人の評価を気にしていた
生きてきた私は今、
「働かないで何をしてるの?
少しでも働いたら?」
と言われても平気です。

だって、私の人生だから。

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強い覚悟が持てたら、
健康になるまでの道のりを
「長い目」で見届けてほしい。

決して焦らなくていい。
焦っていいことはない。
(うん、なかった!)
何で上手くいかないんだろう?
大丈夫。それでいい。
流れはやってくるから。
波がやってきた時は
その流れにのろう。

上手くいかない日があっても
落ち込まなくていいよ。
人生のたった1日。
明日がある。
これから変えていける。

「長い目で見ること」が
大切だから。

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私の場合は
「ある厄介な病気」をきっかけに
病気になった”自分全体”を治したい、
と強く己を奮い立たせることができた。

生き方を見直したい、
人生を変えたい、と。

そして
10年の社会人生活で積み上げた
不健康な体、間違った価値観、
睡眠障害を治すために
「健康になる」ために
仕事を辞めた。

"私全体"を「健康」にしたかったから
リラックスできる環境へ移住した。
「健康になる」ことを何より優先にして
旦那さんと暮らした。

あえて
大好きな友達や家族とは離れた。 
それは「甘え」という
不健康な心からも卒業したかったから。

それに
自分にとって大事なものは、
手放しても
必要なタイミングで
戻ってくると思う。
旦那さんがそうだったから。
(もしかしたら、来年は
ひょいと働いているかもしれない。
今は想像できないけど)

だから、今あなたが
手放したほうがいいなと
思っているモノ、コト、気持ちに
素直になっていいと思う。

暗い海のどん底に落ちて
そこで大事なことに気づいて、
あらゆることを手放したおかげで
私は今、健康という宝物を
拾い上げています。

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とはいっても、
私の健康の旅は始まったばかり。
相変わらず
「ある厄介な病気」とは
共に生きている。
過大なストレスにさらされ
頑張っきた自分自身を治すには、
同じくらいの月日が
かかるのかもしれない。

でももう焦らない。
自分の心に耳を傾けて
自分に素直に正直に生きていく。
体と心は繋がっている。

自分らしく生きること
ストレスをつくらない生き方が
病気の改善につながると
信じている。

人によってペースは違う。
遅い早いはない。
自分らしく生きることが
人生だ。

これからも想像していないことが
起きるかもしれない。
だけど、
「長い目で見ること」ができれば
どんなことが起きても
冷静になれる。

大丈夫。
ゆっくりでも大丈夫。
ちゃんと変わっているから。

一年の8割、体調が悪かった私は
一年の8割、体調が良くなった。
気づけば
「体調が良い私」がデフォルトになった。

たしかに
この3年で体重は増えたし、
OL時代のようにスレンダーでも
美肌でもおしゃれでもない。
顔もずいぶん丸くなった。
オシャレなカフェやランチとも
縁遠くなった。
でも、
体調がとても良い。
坂道も力強く歩けるし、
自転車だって
びゅんびゅん立ちこぎできる。
真冬だって毎日、
散歩にでかけている。
大好きな文章がスラスラ書けている。

私、今の私が好き。

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心も身体も自由になった。
生きているのが楽になった。

最高じゃないか。
幸せじゃないか。

まずは
睡眠の壁、クリアで~~~~す!
(有吉の壁風)

かるっ。

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そして最後に。

睡眠薬を辞めるために
この一年頑張った自分自身に
今日は盛大な拍手を送りたいと思う。
(あ、旦那さんにも。)

「私、頑張ってくれてありがとう!」
パチパチパチパチ~!
(旦那さん、愛してるよ)


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end


P.S.
もしこの記事を
読んでくださっている方で
正常な睡眠を取り戻したい、
健康になりたいと思っている方。

私のように過労や長年の何かで
睡眠障害を抱えてしまった方、
治らないと言われる
病気を抱えてしまった方。

もしかして今、
とっても辛い状況にいっらっしゃる方も
いるかもしれません。

でも、諦めないでほしいのです。
どんな病気になったとしても
目の前が真っ暗でも、
自分次第で
自分に勝つことはできる。

私はそう思っています。
実は病気になって
何度も命を諦めようとしました。
だけど、諦めなくてよかったと
心から思っています。
こんなに楽しい人生が
待っていました。

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健康を取り戻すには
睡眠障害や不調になった環境、
根本原因から自分を断つこと。
長い目で見ること。
自分を信じること。

時に試練があると思うますが、
その先に
本当の自分が待っています。

諦めない人だけが見れる
景色が待っています。

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応援しています。

私も「厄介な病気」を治すために
これからも自分に勝ちます。

本当は
勝ち負けの世界は好きじゃないのですが、
人生に
勝ちも負けもないと思っているのですが、
一度きりの人生
いっぱい笑っていたから。

私は私に勝って、
病気になった自分自身を治します。

一緒に頑張りましょう。

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あさのはな

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