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紬(つむぎ)
2024年1月29日 22:23
(※上から読んでもいいし、下から読んでもいいよ。)思い出が追いかけてくる。思い出が染み付いて腫瘍になる。思い出に蓋をする。思い出が飛び出そうとする。思い出を封印する。思い出が呪いになる。思い出が逃げ出そうとする。思い出を追いかける。思い出を拘束する。思い出がこぼれ落ちる。思い出が転がる。思い出をそっと掬う。思い出がリニューアルされる。思い出が入れ違う。思い出が衝突す
2024年1月29日 21:50
言葉になる手前でSOSは消滅した。喉の奥で消滅した。頼りたかったあの人へそのSOSが届くことはもうない。SOSに対しての助け船が欲しかった。救ってほしいだなんて、そんな烏滸がましいことは言えなかった。でも、助け舟が欲しかった。何か言葉がほしいわけじゃなかった。どこかに連れ出してくれたりして、今この瞬間の感情から、自分から、逃げ出せればそれで良かった。でも、SOS
2024年1月29日 21:40
調律が狂ったピアノの音色が、正常のピアノの音色とは異なり、また別の良さを感じるように、わざと逸れた道を歩くことも悪くないのかもしれない。人は、何かの選択を迫られたときその選択肢は、基本的には二択であることがほとんどである。しかし、選択肢は二択以外の可能性もあるかもしれない。そもそも道が真っ直ぐであるという確固たる証拠(確信)などないはずなのに、何故、道は真っ直ぐであるという認
2024年1月25日 17:30
「わたしは女優」自分にそう言い聞かせた。そうすることで、少しだけ気持ちが楽になる気がしていた。「人は皆、多重人格である。」と、高校の時の生物学の先生が言っていた。この話を、別の記事で話した気がするが、再度持ち出すこととする。仕事とプライベートはまた別世界の話だった。仕事に私情を持ち出すことは許されなかった。というよりかは、自分が勝手に決めつけてしまっていたのかもしれない。
2024年1月25日 11:29
あの頃の感覚や感情をもう思い出せずにいる。それだけ時が流れてしまった、ということなのだろうか。それとも、それだけ自分も変化した、ということなのだろうか。”あの時” と呼ばれるモノは、いつも過去のことである。確実に残っているのは、その時の「記憶と記録」である。形として唯一残る方法なのかもしれないね。”記録” として残っている写真を遡っても、思い出せるのはその時の記憶だけだった。
2024年1月22日 16:27
「理想像の構築」期待が誤解を生み、損をする。人が無意識に創り上げてしまう、その人の勝手な理想像。この人はこうだろう。この人なら、こうしてくれる。そういった、無意識に創り上げられてしまったその期待は、ただの勝手な理想像に過ぎなかった。そのせいで、人は損をする。と思った。でも、期待をしてそれに応えてくれる人ももちろんいる。でも、押し付けてしまうことの方がほとんどのことのよ
2024年1月22日 01:08
「わたしが、わたしであり続けてもいいんだよ。」とそう言い聞かせるように、「あなたも、あなたであり続けていいのよ。」とそう、言葉を贈りたい。しかし、自分が自分自身であり続けることは、容易なことではなかった。例として、社会に出るということは、社会のルールに順応し、適応しなければならないということに等しかった。また、組織(会社)に属することを選択した場合、その会社の規則やルール
2024年1月22日 00:22
人の視界に映りたくないから下を向く。ひたすら下を向いた。そうして自分の視界を遮った。少し足早で、急ぐ別に急ぎの予定なんてないのに。人混みがより一層辛い時が、私にはあった。そういう時はいつもより下を向いた。人の視界に写りたくなかった。帽子があるなら深く被りたかった。メガネがあるならメガネをつけたかった。サングラスでも良かった。マスクがあるならマスクをつけたかった。できるだけ
2024年1月21日 01:45
「時間(とき)が流れただけ、気持ちも動いていく。」というより、移り変わっていく、という例えが正しいのだろうか。変わらないままでいるなんて不可能な話だ。約束、なんて存在しない。変わらないのは、当たり前じゃない。「そのまま」なんて存在しないんだよ。2人が同じ気持ちだなんて、飛んだ勘違いに過ぎないのかもしれない。同じ気持ちだ、なんて誰が言ったの?そんなのありえない話だよ。
2024年1月21日 01:44
無論、”アーティスト”であり続けるためには、作品を作り続けなければならない。そして、それが宿命である。世の中には、”アーティスト”という括りに属している人は、何人存在しているのだろうか。また、それを生業としている人は、何人いるのだろうか。私は、写真を撮る人間である。しかし、一生涯写真を撮り続けるつもりはないのだ。とはいうものの、写真から身を引くタイミングを伺っているのかもしれない
2024年1月21日 01:37
大切だった感情と、大切だった日常を。忘れないように。と、ここに書き起こすことにしました。でも、これはきっと誰かに話すことも、知られることも、きっとないだろうから、敢えて、有料記事として公開させていただきます。見ないでほしい、そう思う。__________________________________2023年10月22日最後に彼に会った日。これからココに綴る
2024年1月3日 20:33
空っぽになった心をどこかの誰かが手繰り寄せてはそっと口付けをした。誰かが云う、私への愛の言葉は、私にとってはあまりにも薄っぺらいものであった。「好き」という言葉は呪いだ。そのセリフを吐かれるたびに、私は複雑な気持ちを抱いていた。本当に、受け取り難い言葉だ、とつくづく思った。受け取ってしまったのならば、それに値する受け答えをしなければならなかった。だからこそ、受け取り難かった
2024年1月1日 22:10
本日をもって、2024年が開幕した。”元旦”と呼ばれる今日この日は、人々にとって重要な人も呼べるであろう。16:10ごろ、石川県能登半島地方で最大震度7の地震を観測した。ネットやニュース番組では、この話題で持ちきりだ。日本海側を中心に津波警報が発表されおり、実際に津波が到達した映像も流れていた。新年早々、不吉なニュースで気分は落ち込んだ。