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分析・考察

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記事一覧

予祝⸺類似事象の隣接性で兆す

予祝⸺類似事象の隣接性で兆す

メジハナ浦にメジハナという場所がある。小さな岬であり岩上の僅かな平地に神社が建っている。名をメジカ神社と称する。平家の姫が鹿にのり流れ着いたという貴種流離譚の由縁をもつ。キビラというその姫は、まもなく息を引き取るらしかった。腹に子を宿していた。地元の産婆によってとりあげられたその子はやがてすくすくとよく育ったという。以後、姫を子宝安産の神として祀ったのが当社のおこりと口碑は伝える。

この岬から望

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サイノカミ

 このへんのことは、すでにされている研究なんかのことを全く知らない状態で書くので、まったく当を得ていない話になるかもしれない。まあ、私が語るものというのは得てして私の妄想な部分が多分にあるから、そのへん気にするともう何も書けないということにもなるので、目をつぶって書く。

 さて、サイノカミというのは私にはあまり馴染みがないもので、昔話か何かで聞いた「賽の河原」で石を積むというイメージだけがあった

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民俗音楽随想

 民俗音楽が昔から好きで、ふと思い出して聴きたくなることがある。私が主に好きなのはモンゴルのホーミーやアルタイのカイであるが、今回、ザ・コネクションズコンサートなるライブを体験して色々感じたのでそれを書きつけておきたい。

 当コンサートでは日本、中国、ブルキナファソ、ペルーの四ヶ国のアーティストが共演した。

日本〜井上姉妹〜 日本からは井上姉妹による和太鼓と三味線、横笛。和太鼓の迫力はほかでは

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建築を聴く 海のギャラリー

建築を聴く 海のギャラリー

0.足の耳をそばだてる 高知県の西南端に位置する黒潮に洗われるまち土佐清水。
 ここに建築家林雅子の設計した浜辺の建築「海のギャラリー」(以下当館)が所在する。郷土の画家黒原和男によって収集された多くの貝殻や珊瑚を収蔵展示する当館
は、そのコンセプトに対応する佇まいで来館者を迎える。今回はその建築を歩いた足が聴いた建築の声を言葉にしてみたい。

1.シャコガイに包まれる 入場すると正面に衝立のよう

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観念と間取りの関係

観念と間取りの関係

「意識とは何かについての意識だ」というテーゼはフッサールによる提示。意識や思念、思考あるいは観念といったものの出来を考察していくと、心のなかではなく外にその原型が求められることにならざるをえない。

私たちの観念あるいはイメージの一端は住居に由来しているところがあるだろう。そう思うのは固定的で繰り返されるイメージは、定住者においては住居ほど強力なものはないと思うからだ。

間取りといっても、ここが

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フォークソングの歌詞に表れる「テレビ」の位置

フォークソングの歌詞に表れる「テレビ」の位置

1970年代に登場したフォークシンガーの歌詞に登場する「テレビ」という表象が、歌のなかでどんな装置として機能しているのか、今回はそれをかなりサンプルが少ないまま探ってみたい。

フォークソングまず最初にフォークソングにおける時代的変遷を私のイメージするままに書いておこう(つまり、かなり思い違いもあるだろう)。

'60年代 キャンパスフォーク

フォークソングは民衆運動と切り離せない時代的側面があ

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私釈『方丈記』

『方丈記』、鴨長明の著したこの短い随筆は、全編にわたって仏教的な無常観を漂わせている。有名な書き出しは次の時には残る者のないことを、川水に生滅する空気の泡に託して口をひらかれる。

ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし。

と。泡沫に象徴された無常の現れを、家並に見つけ、そし

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憶測で書かれたBURNへの解釈

憶測で書かれたBURNへの解釈

今回はTHE YELLOW MONKEYの1曲「BURN」について解釈してみたい。

※注意
人によっては以下の内容が徒に不快にする可能性があります。特に性被害の経験がある方には。
ご承知おきください。

「BURN」はTHE YELLOW MONKEYのボーカルをつとめる吉井和哉による歌謡作品。

wikipedhiaによると発売は1997年7月とのこと。なんかのドラマのために作られた楽曲らしい

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これまで触れたフイルムカメラを紹介その3 【KONICA SⅢ】

今回はKONICA SⅢの紹介です。
前回の記事はこちら↓

さて今回紹介するのは上の画像のとおり。今のところ趣味のカメラとして触ったなかで一眼レフ以外のカメラはこの一機のみ。方式からレンジファインダーカメラと呼ばれるそうです。発売された時期は1963年とのこと。

このカメラはどうやらレンズがボディと一体型のものらしい。f=47㎜のレンズがくっついていて、シャッター速度はB、1秒~1/500秒ま

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テレビゲームの身体

私は’85年生れで、ファミコンが登場してすでに2年が経過している。小学校に上がる前後にスーパーファミコンが登場し、その入手は少しあとになるもののテレビゲーム世代といってよく、小中高そして成人後もテレビゲームはいつも生活のそばにあった。

テレビゲーム(以下ゲーム)と身体ということを時々考える。このとき、身体とは肉体に限らない。また肉体は身体に含まれたり含まれなかったりする、そういうものを指している

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これまで触れたフイルムカメラを紹介その1 【OLYMPUS OM-1】

これまで触れたフイルムカメラを紹介その1 【OLYMPUS OM-1】

ということで、今回はこれまで使用したフイルムカメラについて(素人ながら)その操作性について比較紹介してみたい。ラインナップは4機種。順番は購入順となっている。今回はOLYMPUS OM-1について書いていく。

OLYMPUS OM-1まずはこの子から。

馴初め

OM-1は現在手元に3機あるが、いずれも父が購入したもの。固着が少なく比較的状態の良い上記画像の個体を使用している。小学生の頃から近

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言葉の表記について

言葉の表記について

「間違って書いてるね」
 墓を見ていたある日、こんな発言を聞いた。それはおそらく「すずき」さんの墓だったが、墓石には「鈴々木」と刻まれていたのだ。私はこの発言に反感を懐いたが何も言わなかった。

 言葉の表記において「正しさ」とは何だろう。私は一時期、地名について考えていた。
 名古屋にいた頃で、住んでいたあたりに「星崎」という地名があった。この地名はどういう由来があるだろうと思ってネット検索など

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夢はなんであんな無茶苦茶なのか

夢はなんであんな無茶苦茶なのか

はじめに ふしぎなもので、夢で見たことはたちまちに記憶から抜け落ちていく。意識的にそれを思い返したり、書き留めたり、他人に話すことをしないと覚醒から間もない時間のうちに、夢のなかのできごとを思い出せなくなる。この現象とは反対に、覚醒後しばらくは夢を見ていたこと自体忘れていたものが突如として夢を見たことを思い出すこともしばしば起こる。夢というのはふしぎな現象だとつくづく思う。
 この夢という現象はど

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今昔の身体

日本では戦後に入るまでは、いや戦後にあっても土地と人とのつながりは薄れていなかったように思う。高度成長期以後、道具は商品となって工場生産が手作りや作り合いに台頭していったことだろうと想像する。

身体の技法はそのときどきの物との関係のなかで形成される。

宮崎駿は若いアニメータに運動描写を教えようと餅つきをさせたそうだ。そこで宮崎は若い者が餅つきのひとつもできないことに愕然としたという。このエピソ

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