フォークソングの歌詞に表れる「テレビ」の位置
1970年代に登場したフォークシンガーの歌詞に登場する「テレビ」という表象が、歌のなかでどんな装置として機能しているのか、今回はそれをかなりサンプルが少ないまま探ってみたい。
フォークソング
まず最初にフォークソングにおける時代的変遷を私のイメージするままに書いておこう(つまり、かなり思い違いもあるだろう)。
'60年代 キャンパスフォーク
フォークソングは民衆運動と切り離せない時代的側面がある。アメリカで勃興したフォークブームが日本にも上陸してやはり流行していく。その形態はアコースティックギター一本となんなら少ないコードでも作曲できるというもの。歌謡曲のようなプロフェッショナルな作品ではなくてもいい、そういう歌。フォークとは民衆のことで民俗(フォークロア)と同じ語源。民衆歌をもってフォークソングと言われる。それは共有され共に口ずさむ団結の歌になっていくのだが、その手前にキャンパスフォークというのがある、ということだけここでは言っておこう。マイク眞木の「バラが咲いた」なんかが有名どころである。
'60年代後半 プロテストフォーク
プロテストは「抵抗」。フォークソングの隆盛はこのプロテストフォークにまずある。時代は政治の季節ともいわれる団塊の世代が青年となる頃合い、左翼活動華やかなりし抵抗の時代。自治をめぐって大学は騒乱の中心地だった。学費の値上げ反対から、日米安保闘争、三里塚闘争(成田空港問題)ベトナム戦争反対、果ては世界同時革命……既存体制への多くの反対運動が展開した。
フォークソングもそうした時代のなかで一定の位置をとる。民衆の歌つまり権力が作ったのではない歌、自分たちの歌をギター一本あれば皆で合唱できる。歌謡曲がプロによって綺麗に仕立てられた歌ならフォークはアマチュアが自分たちの声をメロディにのせていく歌だった。
抵抗の歌、アイロニカルな歌、自分や同志を鼓舞する歌、そういったものが流行する。その代表格が高石ともやであり岡林信康だった。また高田渡や中川五郎といったシンガーも現われる。
高田渡については「自衛隊にはいろう」に代表されるプロテストフォークに類する作品を何曲も作ったのち、詩人の詩にメロディを載せた日常を歌ったものが多くなる。高田はあるときこう言っている。
彼が歌ったのは大正期に路上で抵抗や民衆のちからの歌を歌った演歌師添田唖蝉坊や、沖縄から上京して貧乏生活のなかで詩を書いた山之口貘といった人々の詩であった。
高田渡のこの日常を歌うことがのちのフォークソングの変遷を先取りしていたように思う。
'70年代 生活の歌としてのフォーク
やがて、政治の季節は'70年に入って後退していき、’72年のあさま山荘事件以後、決定的に大衆の意識は左翼運動から離れていく。
フォークソングもここから生活のほうへと主題が移行していく。社会から生活への移行は共有される問題より個人としての問題のほうへフォーカスしていくことを意味している。
フォークソングのなかの「テレビ」
さて、そういう社会状況とともにあったフォークソングのなかで、いつから「テレビ」が登場してくるのかについて語れるほど参照していないが、ひとつには岡林信康の「それで自由になったのかい」が挙げられるだろう。
岡林信康「それで自由になったのかい」(’70 シングル盤)
この歌はプロテストフォークのひとつ。一本のレールを敷かれた幸福像は豚箱のなかで飼われる幸福にすぎないと告発する。
社会通念としての幸福のレールとして、昇給と大衆的に羨ましがられるステータスとしての物をもつことが提示されるなかで、その大衆性の表示として「テレビ」が位置づけられている。一歩進んで捉えてみると、「テレビ」は大衆を「豚箱」のなかでの競争と満足を駆り立てる装置として機能していることになる。
遠藤賢司「カレーライス」(’72)
今作品を含めた以下の3曲は'72年発表になる。
「カレーライス」は家で彼女がカレーライスを作り、そのあいだにギターを弾いたりテレビを見ているというワンシーンを切り取って、カレーライス食べたいと思っているという歌。
ここでテレビを擦過していくのは’70年の自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込んだ盾の会率いる三島由紀夫の割腹事件である。が、視聴している男は「とっても痛いだろうに」と感想を漏らしたきり、またカレーライスのことを考えている。ここにテレビの位置づけが娯楽や暇つぶしとして機能しているのがわかる。
井上陽水「傘がない」(’72)
今回紹介するなかではもっとも有名な1曲。
テレビの位置づけは先に紹介した「カレーライス」とほぼ同じである。傘がないという注目は、彼女に会いにいかないといけないけど雨が降っているという事態によっている。ここでもテレビは規模の大きな事態を語っているのだが、より個人的で現在進行的な事態のほうに主体の意識は向いている。
問題を共同する政治の季節が過ぎ去って、より個人的な問題のほうへと意識が遷移しているのが現われているとみることができる。
「カレーライス」と「傘がない」は四畳半フォークと呼ばれる一連の楽曲に近づきつつ、政治的メッセージソングとしてのフォークとの狭間に位置しているように思う。そこでテレビという装置は、社会と個人の断絶として現われている。社会現象を映し、有識者の言葉が流れるテレビはあくまで生活の一断片として、ことさら注目的には語られない。無関心の対象としてあるのだ。
友部正人「乾杯」(’72)
友部正人のこの曲は上の2曲とは毛色が違っている。どちらかというとプロテストフォークに寄りの作品である。歌詞に連合赤軍が起こしたあさま山荘事件があらわれる。が、それ自体というより、電車にのるための500円も持ってない放浪者、孤としての主体に現われたテレビに集まる群衆がテーマとして映し出される。
あさま山荘事件の密着報道は高視聴率を記録し、機動隊に支給された日清カップヌードルは大衆に広く認知されたという逸話を残している。当時の人々に大きなインパクトをもった「イベント」だった。
友部の視線はこの事態にやや辟易している。誰もが正義の表明の道具としてこの事件を扱い、卑近な「労務者」を振り返ることなく、テレビの向こうの大事件に巻き込まれた「泰子さん」の境遇への憐憫と、赤軍兵士への罵詈雑言とをモニターに浴びせる。それは状況になにも影響力を持たない地点で自らの立場を表明しているだけに過ぎない。友部はここに大衆のいやらしさを覚えている。
ここでは友部だけが遠藤賢司や井上陽水らの歌と共通する個人としている。そして、テレビに集まる群集は「注文も取りに来ない」ほど劇場の中に没入している。彼らは個のないのっぺらぼうであり、それを扇動しているのはテレビに代表されるメディアなのだ。商業主義的メディアに政治信条があるわけではなく、いかに売れるかと「もっとでっかい活字はないものか」とネタを探しているのである。
「カレーライス」「傘がない」においてはもう個人としての生活のほうに振り切れているが、「乾杯」のほうでは孤独感がのこる、時代的瀬戸際の観がある。
フォークソングの歌詞に表れる「テレビ」の位置
テレビの存在はそののちになってくると姿を消していくように思う。それは’70年的、過渡的な装置だったように思われる。大衆に普通の幸せを提示してそこへと閉じ込めるテレビ、人々から顔をそぎ落としていくテレビ、そしてそこから離れていく個人の問題のほうへと注目していく。大衆は世界を伝えるテレビへと同化していくが、個人はテレビから断絶したところにあり、個人の現実はテレビが映しとることのない個人の目に現われるものを歌う。
今回はフォークソングにみるテレビについての雑感を書いた。このやり方でほかのモチーフの変遷、あるいは歌詞に登場する限りで共通する表象なのかを探ることができるだろう。もうひとつ私が思っているところでは「洗濯物」がある。チューリップの「サボテンの花」、友部正人の「もう春だね」たまの「ふたつの天気」あたりを見ると、そこに恋人の存在と、彼女との時空的心理的隔たりを表示するアイテムとして登場している、など。
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