葭本しづき

考えたことを放り出すところ。 考えることは雑多でそのときどきでマイブームがある。 哲学…

葭本しづき

考えたことを放り出すところ。 考えることは雑多でそのときどきでマイブームがある。 哲学や文化人類学などが好きだけど勉強はきらい。 興味が湧いたものを追いかけて、バラバラだったそれらが私のなかでつながってくる瞬間が面白い。 フイルムカメラで撮影した写真をあげることがある。

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同人『呼応』

はじめに榎本いずみ、葭本しづきの2人が始めた小さな同人。配信ペースはおおよそ隔月です(PDF形式)。 内容共通テーマ:本誌のメインコンテンツ。テーマに沿った文章を2人が書きます。約1,000文字。 呼応:第3号から始めたお題文章への相互の反応。約500文字 その他:エッセイ、プロット、小説など 既刊一覧第1回【一首評】 2021.12.24公開 5ページ 目次 ≪テーマ≫ 榎本いずみ「まだまっさらな倫理」 葭本しづき「鏡像と連鎖」 ≪エッセイ≫ 榎本いずみ「感情スク

    • フィルムナンバー0183 露出不足への回帰

      林邸ア~ト2024 このごろの適正露出の呪縛から自由に不足するため、コールタールくらいべっとり黒い写真を心掛けた38枚から選出。この一週間くらいに撮影したもの。  林邸ア~ト2024での作品はどれも印象深いものだった。上に掲載した中澤ふくみ作品はすでに大月町小才角はCOSAにて鑑賞したものではあったが、薄暗い近代建築のなかで特に狭いスペースを陣取るによってまったく新しい作品として生じてきた。空間を読むと、私には漫画のコマ割りが参照される。視線の誘導とそこへ入る鑑賞者の肉体が奇

      • ’24.03.01~03の間6葉の写真

        • 近況と写真

          COSA大月町の港のある小集落。地区の中央を流れる川を見下ろしながら遡上したところ、連坦する人家の終着に真新しく改装された木造校舎がある。当地区の小学校であったその建物は地域の文化教育交流拠点として昨年より始動した施設「COSA」である。 地域おこし協力隊が主体となって運営する当施設では、アート制作やものづくりを体験するワークショップが頻繁に開催される。上に掲載した写真もそうしたイベントのひとつ「奥宮誠次×COSA ポートレート撮影ワークショップ」でのひとコマだ。 私の

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        同人『呼応』

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        • 作品の読解
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        • これまで触れたフイルムカメラを紹介
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        記事

          意味は自己と他者との形態、その接触によって生起する

          端的に意味を内包する存在はない。 諸存在は形態を有する。 形態は他の存在(以下「他者」)との繋がり方を既定する。 他者もまた形態を有する。 形態と形態の接触によって他者が成立し、自己が成立する。 他者が成立と自己の成立はほとんど同時に生じる。 おそらく自己に先行して他者がひと足早く成立し、他者によって自己が成立する。 成立するとはそれとして存在し始め、またこれが持続する状態をいう。 持続とは成立した状態が経時的に持ち越され、かつ成立した偶像へと還元し続ける運動をいう。 自己の

          意味は自己と他者との形態、その接触によって生起する

          トンネルの娘記

           今日は読書会のため大方あかつき館を訪ねた。こちらからゆくと丁度今回とりあげる「トンネルの娘」の舞台となる逢坂トンネルを抜けて黒潮町入りする。路肩のふくらみに車を停め、文学碑を1枚。トンネルのあたりを「ろいろい」していると駐車したふくらみに誰かひとり立っていた。地元のかたらしいその女性に話しかけてみようという気になってあいさつした。これからあかつき館へ、ここが舞台になった作品を読みにいくのだと伝えると、現在のトンネルが3代目であることを教えてくれた。小説に登場する煉瓦造のトン

          トンネルの娘記

          安静記

          ……風邪? 週明けから風邪をひいている。鼻の奥の地平の砂漠化が進行し、熱砂をなめる呼吸は潤しはしない洟をとめどなく誘引する。ただ気だるさや発熱といった他の症状はなく、鼻のあたりだけの風邪である。  翌日になっても症状は回復せず、むしろ喉まで痛みはじめた。腫れを感じさせる程のものではないが、念のため職場に休みを通知して、病院へ行ってみることにした。 分析化学の記憶が噴出 より生存するほうへ変異した新型コロナウイルスは、最後に風聞した記事によるなら、鼻の粘膜に増殖し鼻風邪様の症

          民俗音楽随想

           民俗音楽が昔から好きで、ふと思い出して聴きたくなることがある。私が主に好きなのはモンゴルのホーミーやアルタイのカイであるが、今回、ザ・コネクションズコンサートなるライブを体験して色々感じたのでそれを書きつけておきたい。  当コンサートでは日本、中国、ブルキナファソ、ペルーの四ヶ国のアーティストが共演した。 日本〜井上姉妹〜 日本からは井上姉妹による和太鼓と三味線、横笛。和太鼓の迫力はほかでは得られない柔らかい重量がある。  変転する気象は人の営みに過半のウェイトを占めて

          民俗音楽随想

          建築を聴く 海のギャラリー

          0.足の耳をそばだてる 高知県の西南端に位置する黒潮に洗われるまち土佐清水。  ここに建築家林雅子の設計した浜辺の建築「海のギャラリー」(以下当館)が所在する。郷土の画家黒原和男によって収集された多くの貝殻や珊瑚を収蔵展示する当館 は、そのコンセプトに対応する佇まいで来館者を迎える。今回はその建築を歩いた足が聴いた建築の声を言葉にしてみたい。 1.シャコガイに包まれる 入場すると正面に衝立のような珊瑚のショーケースに出迎えられる。チケットを購入しそれをかわして入ると、薄暗い

          建築を聴く 海のギャラリー

          歩く足に乗車してゆく先々で

          足は私の誰よりも場所を刺青する。 景色は私の共同製作者として、光を編んでくれる。私はそれを切り取る。 10月からイベントが喧しく、市町村を足しげく跨いでいる。イベント自体は自治体立施設が開催するものが多いが、距離を移動するにはガソリンがいる。控えなくてはいけないと思いつつ、徒に走ってしまう。 行きなれた国道から枝道へ、近くて知らない場所を探して、大月町を走った。 途中、大きな鳥居が傍にある鄙びた三叉路に行き当たる。掲示板とゴミ集積所があり、区長場らしき建物のあるところ。

          歩く足に乗車してゆく先々で

          他者との遭遇

          映画 攻殻機動隊(押井守)を行動哲学から解説した動画をYouTubeに見つけ、視聴するうちに自分がどのように「他者」を設定したかを少し思い出した。 おおよそ高校時代のことだ。私の出身地は辺境的田舎で、そのため人口は自然的/社会的ともに減少している。このことは血縁的、地縁的関係が強化する環境を形成している。初対面の相手もある程度血縁と地縁を辿ることで「知人の関係」へと落とし込むことができる。共通の知人と見做される人を評することで、本来見知らぬ相手であるはずの初対面のあなたを、

          他者との遭遇

          四乃森蒼紫

           『るろうに剣心』新アニメシリーズをdアニメで追っている。その第12話にみる四乃森蒼紫が戦闘を求めているのは、戊辰戦争にあってその戦乱に参加することができないまま幕末を終え、御庭番衆の威厳を明かしもできず、明治の世にあって部下たちの技量を活かすことも叶わない屈辱のなかで、せめて幕末最強と謳われた人斬り抜刀斎との闘いに勝つことによって御庭番衆に「最強」という花を手向けることにあった。  四乃森における幕末から明治への転換期に抱いた心理は、軍国少年としての吉本隆明の戦後や学生運動

          沈黙と多弁の日常

          ファインダーは祝福を印して1/250の瞼を閉じよ。 存在は沈黙と多弁を両立している。 赤色呼応。 蚕繭 アナキズムのために咲く。 不作為の風道の奥行き。 在るということ。 波頭または炎上。 船出の差し止め

          沈黙と多弁の日常

          詩集『ウイルスちゃん』への雑駁な想念

           暁方ミセイの第一詩集『ウイルスちゃん』(思潮社2011)から数編を読み返していた。頭はまとまっていない。といって、まとめるちからがいまの私にはないから、そのままいくつか書きつけておく。以下引用は特に断らない限りすべて同詩集から。  この詩人が詩で瞼をひらき世界を眼差すとき、眼奥に死のイメージが定位する。「呼応が丘」に噴いている蒸気は主体の血液と同期して世界へと発散していく。 「死のイメージ」は死の安寧のようでもあり、そこはかとなく見られる存在である属性への嫌悪のようにも

          詩集『ウイルスちゃん』への雑駁な想念

          試行「有ること、無いこと」

          有ると無いは対立する 有るは「無くない」こと、無いとは「有らない」こと 無いものはない、有るものはある 現実空間には有るがある、無いはない 無いはないは「ここには無い」場合と、「どこにも無い」場合がある しかし、「どこにも無い」は無い どこにも無いものを「無い」と言い得るとすれば、その概念は有る その概念が有るものは有る、無いものにはその概念も無い そこで、一般的な「無い」は「ここには無い」に集約する すなわち、どこかしらにどのようにかは有る 徹底的な無い

          試行「有ること、無いこと」

          詩の読み方について

           教えを垂れるほど読み方をしらない。先日、萩原朔太郎賞を受賞した杉本真維子の詩集を注文して、それとはべつの『裾花』を、とってしばらく読んでみていると、詩がわたしに及ぼす影響を思い出していた。  この詩人の作品の言葉遣いはよくなれた詩の印象にちかい。もっと分かりやすく書くこともおそらくできないわけではない。ただ、それだと取りこぼしてしまう速度がある。このことば運びが実際のそのとき生じた思念の速度に一致するのだ。  往々に説明なくはじまるのが詩なので、冒頭はたいてい不可解にこと

          詩の読み方について