葭本しづき

考えたことを放り出すところ。 考えることは雑多でそのときどきでマイブームがある。 哲学…

葭本しづき

考えたことを放り出すところ。 考えることは雑多でそのときどきでマイブームがある。 哲学や文化人類学などが好きだけど勉強はきらい。 興味が湧いたものを追いかけて、バラバラだったそれらが私のなかでつながってくる瞬間が面白い。 フイルムカメラで撮影した写真をあげることがある。

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同人『呼応』

はじめに榎本いずみ、葭本しづきの2人が始めた小さな同人。配信ペースはおおよそ隔月です(PDF形式)。 内容共通テーマ:本誌のメインコンテンツ。テーマに沿った文章を2人が書きます。約1,000文字。 呼応:第3号から始めたお題文章への相互の反応。約500文字 その他:エッセイ、プロット、小説など 既刊一覧第1回【一首評】 2021.12.24公開 5ページ 目次 ≪テーマ≫ 榎本いずみ「まだまっさらな倫理」 葭本しづき「鏡像と連鎖」 ≪エッセイ≫ 榎本いずみ「感情スク

    • 経歴1 幼少から中学まで

      私という精神が、どのように形成されたのか、整理したくてここにエピソードと、それのもつ意味とについて書いてみたい。 幼年期〜殻を形成する〜まね  大人のまねをする子供だった。幼い頃の断片的な記憶はいくつかある。  どこかからの帰り道、母の手を握って歩いていた。そのとき「自分は長男だから、家(土地)を継ぐ」のようなことを言ったエピソードである。当時の私に継ぐという感覚があったのではない。そういう知識だけがあっただけで、大人が言うようにそう言ったまでで、それが意味するところは

      • 変性的生⸺中澤ふくみ作品を巡る思念

         視線のない顕微鏡のなかで、繊毛を戦慄かすボルティセラにも似て、墨の縁取りの無為な運動体が、和紙のなかをうごいている。墨でドローイングされた輪郭をもつ虫体は一枚ごとに、器官を移動させる。⸺中澤ふくみの奇妙な人々は、自らのからだとの対話にいそしむ姿を、つかの間私たちに鑑賞される。文字通り「垣間見る」といった風で、鑑賞は短くおわるが、その対話的運動は彼らの生きるかぎり、前にも後ろにも営まれているだろう永続性があるのは、彼らが視線に晒されていないからだ。  視線とは何なのか。彼ら

        • 最果タヒ「死なない」の読解

           『現代詩手帖』2006.5号から最果タヒ「死なない」を再読した。なお同作品は詩集『グッドモーニング』にも収録している。  家族を虚構(期待され合う役割を成員が引き受けて幻想を共同している他者のない関係)と捉えると、雨は現実(虚構を共同しない外界)に相当する。すると「家族の虚構性と、虚構の根底を覆す現実との間をとりもつ存在」として傘という自覚が生じる。  雨を発言すると、窓の内側=家の「かぞく」は雨を受ける危機に立たされることになる。雨は「かぞく」の虚構性を暴き、期待され

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          現代詩手帖回想

          バックナンバーの 横並びの集積から幾冊かをぬき ひらいたりとじたりしてみる 記憶は自力ではひらかない 最果タヒの 「死なない」を読むたびともに 読解を開示しあったふるい恋人の声が聴こえ こんなふうな ことは詩にしてほしくないな と とてもみずからに溶かし込んだ人の 言葉がする よみかえしてみると また新しくそれもすんなりと 当時の私でないべつの景色が顕つ 自給自足の不毛な「かぞく」を雨降り に濡れる捨てられた傘として 家のそとから見ている主体の からだを濡らしているのはかぞく

          現代詩手帖回想

          私は私を語る機械

           書店はよい。  街区を切る通路を行き来していると、背表紙は語り始める。各々固有の厚みが内蔵する巨数の文字列よりも、その厚みのうえに印刷された書名は、私をよく語る。語る背表紙は縦へ横へ連続し、別の島の背表紙のことを回想する。頭には書名が螺旋を描いて渦動し、書名同士が私という触媒のうえで結合したりまた外れたりを繰り返している。書名はひとつの核をなす。私の恥ずかしい思念の明滅は周りをとび交う電子として、ふたつの、無数の書名を引き合せる。本を精確に理解するよりも、開かないほうがよか

          私は私を語る機械

          予祝⸺類似事象の隣接性で兆す

          メジハナ浦にメジハナという場所がある。小さな岬であり岩上の僅かな平地に神社が建っている。名をメジカ神社と称する。平家の姫が鹿にのり流れ着いたという貴種流離譚の由縁をもつ。キビラというその姫は、まもなく息を引き取るらしかった。腹に子を宿していた。地元の産婆によってとりあげられたその子はやがてすくすくとよく育ったという。以後、姫を子宝安産の神として祀ったのが当社のおこりと口碑は伝える。 この岬から望むパノラマは太平洋の海原がひらけ、長い水平線を引く。北上した黒潮が、日本で最初に

          予祝⸺類似事象の隣接性で兆す

          ポジ-ネガーバタイユ

          2019年にバタイユ著,酒井健訳『太陽肛門』景文館書店の朗読を吹き込んだ自分のツイキャスを聴きながら、ネガフイルムのスキャン作業をしている。 ピストンから円へと運動が転換する機関をイメージにとるこの著作は、あらゆるものを繫辞によって連動ながら、それらを猥雑な性愛的イメージへと収斂させつつ、既知者としての自己が(未知なる)忘却としての他者あるいは異性を渇望する様を諸存在に波及させる。彼はこれを「世界が純粋にパロディであることは明白だ」と形容し作品の冒頭に飾った。 走査は線的

          ポジ-ネガーバタイユ

          シーケンス制御愛

           昔していた排水処理の仕事の関係で愛着をもったもののなかにシーケンス制御がある。物理はあまり習っていないので電気も苦手分野ながら、現場の制御盤とシーケンス図を交互に睨むうちに自ずと文法を身につけることができた。むしろ、基礎からの学習では習得が難しかっただろう。  排水処理のフローが頭にある段階で、機械の起動/停止の感覚は体感としてももっているというアドバンテージによって、指令の発出契機が分かっているゆえに、逆算的にシーケンス図を読み解くことができるのだった。これができるように

          シーケンス制御愛

          彼も彼女も「彼」へと統合したい

           以前からすこし思っていること。性別が日常会話のなかで一話題となることへの違和感。  まず数年前に実家に帰ってきたときの話。そのとき再確認したのは、女性は男性また家庭に仕える精神がジェンダー規範として現在も根付いているということ。規範が内面化することによって、仕えることに喜びを感ずる側面があるらしいのは、彼らがそうした裏方としてだけ社会的に「しつけ」られて来たためだろうと思う。  強制によって、選択と意思決定の機会を奪われた単一的生き方は忌まわしい。奪われた主体性を生かされ

          彼も彼女も「彼」へと統合したい

          無限としての他者

          高校時、美術部に属していた。名ばかりでオタクの溜まり場のようなとこだったが、居心地は良かった。美術資料室で顧問が娘の塑像を捏ねている横で、所蔵画集をみた。なかでも気に入りはゴヤの中二病を触発する作品だった。本の背表紙は何度も引き出すうちに剥がれてしまった。美術部にも遠征というか研修というかそういうのがあって、県下高校美術部員が参加した倉敷旅行があった。ロダン作品を入口に構えた大原美術館その1点ずつの記憶はもう薄いものの、ロダンって手だなと思ったり、勝利を象徴する虹を描いた作品

          無限としての他者

          フィルムナンバー0183 露出不足への回帰

          林邸ア~ト2024 このごろの適正露出の呪縛から自由に不足するため、コールタールくらいべっとり黒い写真を心掛けた38枚から選出。この一週間くらいに撮影したもの。  林邸ア~ト2024での作品はどれも印象深いものだった。上に掲載した中澤ふくみ作品はすでに大月町小才角はCOSAにて鑑賞したものではあったが、薄暗い近代建築のなかで特に狭いスペースを陣取るによってまったく新しい作品として生じてきた。空間を読むと、私には漫画のコマ割りが参照される。視線の誘導とそこへ入る鑑賞者の肉体が奇

          フィルムナンバー0183 露出不足への回帰

          ’24.03.01~03の間6葉の写真

          ’24.03.01~03の間6葉の写真

          近況と写真

          COSA大月町の港のある小集落。地区の中央を流れる川を見下ろしながら遡上したところ、連坦する人家の終着に真新しく改装された木造校舎がある。当地区の小学校であったその建物は地域の文化教育交流拠点として昨年より始動した施設「COSA」である。 地域おこし協力隊が主体となって運営する当施設では、アート制作やものづくりを体験するワークショップが頻繁に開催される。上に掲載した写真もそうしたイベントのひとつ「奥宮誠次×COSA ポートレート撮影ワークショップ」でのひとコマだ。 私の

          近況と写真

          意味は自己と他者との形態、その接触によって生起する

          端的に意味を内包する存在はない。 諸存在は形態を有する。 形態は他の存在(以下「他者」)との繋がり方を既定する。 他者もまた形態を有する。 形態と形態の接触によって他者が成立し、自己が成立する。 他者が成立と自己の成立はほとんど同時に生じる。 おそらく自己に先行して他者がひと足早く成立し、他者によって自己が成立する。 成立するとはそれとして存在し始め、またこれが持続する状態をいう。 持続とは成立した状態が経時的に持ち越され、かつ成立した偶像へと還元し続ける運動をいう。 自己の

          意味は自己と他者との形態、その接触によって生起する

          トンネルの娘記

           今日は読書会のため大方あかつき館を訪ねた。こちらからゆくと丁度今回とりあげる「トンネルの娘」の舞台となる逢坂トンネルを抜けて黒潮町入りする。路肩のふくらみに車を停め、文学碑を1枚。トンネルのあたりを「ろいろい」していると駐車したふくらみに誰かひとり立っていた。地元のかたらしいその女性に話しかけてみようという気になってあいさつした。これからあかつき館へ、ここが舞台になった作品を読みにいくのだと伝えると、現在のトンネルが3代目であることを教えてくれた。小説に登場する煉瓦造のトン

          トンネルの娘記