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トンネルの娘記

 今日は読書会のため大方あかつき館を訪ねた。こちらからゆくと丁度今回とりあげる「トンネルの娘」の舞台となる逢坂トンネルを抜けて黒潮町入りする。路肩のふくらみに車を停め、文学碑を1枚。トンネルのあたりを「ろいろい」していると駐車したふくらみに誰かひとり立っていた。地元のかたらしいその女性に話しかけてみようという気になってあいさつした。これからあかつき館へ、ここが舞台になった作品を読みにいくのだと伝えると、現在のトンネルが3代目であることを教えてくれた。小説に登場する煉瓦造のトンネルへ続く道のだろう、草をまとったガードレールが擁壁の上からふたりを見下ろしていた。今も行けるのかと問うと、トンネルも通れるとのことだった。でも、さびしい道ですよと付け加え。
 やがて彼女が待っているというデイサービスのバスがきて、礼を言って別れた。時間も丁度よく、文学館へと車をころがした。館付近の「テイクアウト承ります」の貼り紙のある喫茶店「からっと」をみつけ、生姜焼き弁当を昼のために予約し、あかつき館へ入った。
 あかつき館へは4度目くらいになるだろうか、町民大学で行ったのが最初である。そのときは浜のほうから松林をぬけて集落に入ったのだった。昔からの景観が保存されているらしい美しい(なんでもないといえばなんでもない)街並みを通りながら、本当にこの先に施設があるのだろうかと、やや不安を覚えながらの旅程であった。
 読書会はまず朗読にはじまり、その後感想を述べる時間が設けられた。小説はこのときはじめて知ったが、トンネルの娘不二子の内面が語られるのはわずかに2ヶ所ほどに留められ、景観描写にほとんどが割かれていて、そのために一層彼女の生きた風景が見えるような気になるのだった。
 感想の段になると逢坂トンネルの思い出を語る方がふたりいて、子供のころ家の仕事の手伝いでトンネルの向こうの隣町へ馬を引いて行ったエピソードや、やはり隣町の高校へ行ったときの空襲のエピソードをもったかた、結婚後雑貨屋を夫妻でしていたころの不二子さんを知るかたのエピソードなどを聴き、小説の内容とそれらが多重露光されていくごとに深い色合いをしてくるのを楽しんだ。
 私もついでのように感想を述べさせてもらった。私には逢坂トンネルの思い出はなかったが、母から聴いた別の峠の祖父の話をしてみた。峠にさしかかると不気味な人物が立っていて、どうやら口のさけた女性であった。祖父は駆け抜けようとしたが袖をつかまれたという。よくよく見ると赤い箸をくわえていた。月明かりのもとではそれが口が裂けて見えたということである。彼女の話すには峠を越えずば帰られないが恐ろしくてならないと、出る家の人に吐露すると「恐ろしいものがあるときは自分がそれになれば恐ろしいものは寄ってはこない」とのことでそんな赤いものをくわえていた、ということらしかった。
 それは別の峠のことではあるが、歩いて辿った道には、現代の自家用車でそれに適した道を通過するのではない通行人のエピソードが道を湿らす露とともにじっとりと染み付いている。朝は旧トンネルを見ようと道を辿りかけたが、草いきれに阻まれて今回は断念した。草は忘却のかたちをしている。それもまた現代だと思いしながら引き返したことだった。

Instagramより転載

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