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雑感・随想

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記事一覧

私は私を語る機械

私は私を語る機械

 書店はよい。
 街区を切る通路を行き来していると、背表紙は語り始める。各々固有の厚みが内蔵する巨数の文字列よりも、その厚みのうえに印刷された書名は、私をよく語る。語る背表紙は縦へ横へ連続し、別の島の背表紙のことを回想する。頭には書名が螺旋を描いて渦動し、書名同士が私という触媒のうえで結合したりまた外れたりを繰り返している。書名はひとつの核をなす。私の恥ずかしい思念の明滅は周りをとび交う電子として

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シーケンス制御愛

 昔していた排水処理の仕事の関係で愛着をもったもののなかにシーケンス制御がある。物理はあまり習っていないので電気も苦手分野ながら、現場の制御盤とシーケンス図を交互に睨むうちに自ずと文法を身につけることができた。むしろ、基礎からの学習では習得が難しかっただろう。
 排水処理のフローが頭にある段階で、機械の起動/停止の感覚は体感としてももっているというアドバンテージによって、指令の発出契機が分かってい

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意味は自己と他者との形態、その接触によって生起する

意味は自己と他者との形態、その接触によって生起する

端的に意味を内包する存在はない。
諸存在は形態を有する。
形態は他の存在(以下「他者」)との繋がり方を既定する。
他者もまた形態を有する。
形態と形態の接触によって他者が成立し、自己が成立する。
他者が成立と自己の成立はほとんど同時に生じる。
おそらく自己に先行して他者がひと足早く成立し、他者によって自己が成立する。
成立するとはそれとして存在し始め、またこれが持続する状態をいう。
持続とは成立し

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トンネルの娘記

トンネルの娘記

 今日は読書会のため大方あかつき館を訪ねた。こちらからゆくと丁度今回とりあげる「トンネルの娘」の舞台となる逢坂トンネルを抜けて黒潮町入りする。路肩のふくらみに車を停め、文学碑を1枚。トンネルのあたりを「ろいろい」していると駐車したふくらみに誰かひとり立っていた。地元のかたらしいその女性に話しかけてみようという気になってあいさつした。これからあかつき館へ、ここが舞台になった作品を読みにいくのだと伝え

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安静記

……風邪? 週明けから風邪をひいている。鼻の奥の地平の砂漠化が進行し、熱砂をなめる呼吸は潤しはしない洟をとめどなく誘引する。ただ気だるさや発熱といった他の症状はなく、鼻のあたりだけの風邪である。
 翌日になっても症状は回復せず、むしろ喉まで痛みはじめた。腫れを感じさせる程のものではないが、念のため職場に休みを通知して、病院へ行ってみることにした。

分析化学の記憶が噴出 より生存するほうへ変異した

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四乃森蒼紫

 『るろうに剣心』新アニメシリーズをdアニメで追っている。その第12話にみる四乃森蒼紫が戦闘を求めているのは、戊辰戦争にあってその戦乱に参加することができないまま幕末を終え、御庭番衆の威厳を明かしもできず、明治の世にあって部下たちの技量を活かすことも叶わない屈辱のなかで、せめて幕末最強と謳われた人斬り抜刀斎との闘いに勝つことによって御庭番衆に「最強」という花を手向けることにあった。
 四乃森におけ

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試行「有ること、無いこと」

有ると無いは対立する

有るは「無くない」こと、無いとは「有らない」こと

無いものはない、有るものはある

現実空間には有るがある、無いはない

無いはないは「ここには無い」場合と、「どこにも無い」場合がある

しかし、「どこにも無い」は無い

どこにも無いものを「無い」と言い得るとすれば、その概念は有る

その概念が有るものは有る、無いものにはその概念も無い

そこで、一般的な「無い」は「ここ

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『憧憬』という小説について

 私には、小説投稿サイト「カクヨム」にて2017年から2018年にかけて書いた『詩集 憧憬』という作品がある。20歳前後に覚えた劣等感や郷愁や記憶、顔、子供、そして或る恋愛感情……といって悪ければ性愛、また忘却といった当時の私にとって重要な意味を持った観念を巡って得られた一人の思惟について、詩の形式を以て統合し総括しようと試みた作品である。正確には、統合と総括が果たされた事柄について、詩の形式で言

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托鉢私見

托鉢私見

托鉢に思いをめぐらしていると立ち上がってくる映像は、草上に身を投げ出して眠る明恵の姿だった。

あるとき「山犬にでも喰われて死のう」と思い立った明恵は、山犬の徘徊する野辺に仰向けになって山犬を待っていた。やがて山犬がやってくる。周囲の死体を嗅いでは食らいつきして廻りをめぐるうち、ついに明恵に近づき、鼻をひくひくさせ始めた。

が、山犬はそれきり明恵のそばを立ち去ってしまった。

明恵の伝記にある挿

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ここにこない晴れ間

ここにこない晴れ間

 雷鳴が連れてくる冷たい風が風通しの悪い部屋を透かして秋を告げる。山上の電線に鳶がぬれて、漁村のある海を見ている方向に、ここにはこない晴れ間がさしている。
 あの晴れ間のなかに本当に言いたいことがあって、私の比喩ではない海のおもてが眩しく発語していて、私にはなんのことだか分からない。降りこめる雨粒に体温を盗まれぬよう、せめて脇に力をこめて細くなっているあの鳶はきっとあそこへ行くつもりで飛んでいたの

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祭好き

祭好き

 田舎育ちの加減もあってか私は祭りというのがめっぽう好きで、帰省といったら盆と正月に帰省って盆踊りと獅子舞をすることと同義であった。逆にイベントのないGWにはさほど帰省する意義を見出さなかった。
 私にとって祭りとは型のなかで自由を得ることにほかならない。田舎というものは窮屈で、かの岡林信康も蜘蛛の巣に譬え「おせっかいのべたべた」と言っている。生活というもの至るところに型があり、これに嵌っているも

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行商から

行商から

 高知の民俗写真家田辺寿男に油売りをモデルにとった一葉がある。どこに油があるのか分からない。そもそも売っているのは油なのか、芸をブってるその行商人の様はむしろ漂泊芸能民とでもいえばいいようなものである。

 そこでネット検索から簡単な解説を求めてみると、化粧用(髪につける)あるいは灯火用の油を売っている者が油売りであったらしい。
 彼らは客に向け油を小分けにする時間を客との世間話に使った。油は粘性

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歴史への印象

私の歴史への印象を書く。

歴史は現在の枠組みを意味づける原則過去への志向であり、過去事象の編年的配列への志向である。

それは過去を明かすことよりも現在を位置づけることに本分がある。

歴史の前駆体に神話がある。神話は歴史性、制度性、世界の秩序化を有する。世界の秩序化は近代であれば科学によって担われ、歴史学においても科学的と客観性は説の妥当性を保証する。

歴史を語る主体は、自己の正当性の裏付け

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自己選択感

ひとに自由意志のありやなきやは必ずしも重要な問題ではなく、私がこれを選んだのだと信じれることが生存をつよくする。

ちかごろ、戦後開拓のことを折りにふれ調べるが、彼らはまったく時代の動乱に振り回された人々という気がする。満州開拓に始まり、なかには籤引で抽選された人々が入植したという。日本の躍進、西洋列強からの脅威への対抗として奮起したのもつかの間、終戦を迎えてある者は抑留され、ある者は路頭に迷いま

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