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予祝⸺類似事象の隣接性で兆す

メジハナ

浦にメジハナという場所がある。小さな岬であり岩上の僅かな平地に神社が建っている。名をメジカ神社と称する。平家の姫が鹿にのり流れ着いたという貴種流離譚の由縁をもつ。キビラというその姫は、まもなく息を引き取るらしかった。腹に子を宿していた。地元の産婆によってとりあげられたその子はやがてすくすくとよく育ったという。以後、姫を子宝安産の神として祀ったのが当社のおこりと口碑は伝える。

この岬から望むパノラマは太平洋の海原がひらけ、長い水平線を引く。北上した黒潮が、日本で最初に接岸するという条件は、当地を漁村として成立発達させた。

メジカ神社もこうした立地と無関係ではない。旧暦3月、月の満ちる第15日を社の祭日としている。その日は断崖上の境内に集まって祝いのご馳走を食べるということだ。

供食

……日本における供食は呪術的な文脈があるらしい。田の神は山の神が人界なる低地に招かれたとき呼ばれる別名である。農民はこの神を屋敷に招くと飲食をともにするナオライをおこなう。食べることは血肉をつくることであり、同じものを食べることによって、ふたつの身体は結びついたものとして観念される。日本人は何かと打ち上げをしたがるが、祭りのあとなどの打ち上げがそうであるのは当然として、事業が決着したあとのそれも、この供食による共同意識を強くする儀式といえるのだろう。

女性と黒潮

この社の祭神が子宝安産の神であることは、黒潮が豊かな生態系をもたらすことと連関している。海は産出するものとして女性と観念的に結びつき。この浦の海が多産であるちからを肖って利益を生じたと推測できる。

浦の一角をなす別の海岸ウスバエには、竜神を祀った祠がある。竜神は黒潮をさすだろう。男が出漁すると、家の女はここへ来て海に向けて裾をたくし上げる豊漁祈願がなされる。巷間言われる説明では、竜神は男神であるため女性を好むとされており、そのため性をちらつかせつつすべてを見せないうちに裾を直し、豊漁をよこせばすべて見せると願えばこれを叶えるということらしい。

しかし、先述した神社から女性と海との結びつきを考えると、そこには「あるものが別の類似的な事物、事象を引き寄せる」という原始の思考があるのではないかと思えてくる。

産に関わるものとして女性の生殖機能と黒潮のもつ豊かな生態系その生産性とが結びつけられて、これが近づくとき一方のちからが他方へとのりうつるという観念があるのではなかろうか。最初に紹介した神社では黒潮から女性へ、竜神宮においては女性から黒潮へと、このふたつを接近させることで一方が他方のちからを借りるという現象がおきていると解釈できる。

同居と隣接

以前の記事に、おなじ能力をもつふたつのものが同居することへの禁忌、ドッペルゲンガー的不気味について書いたものがあり、今回の推測と矛盾するようにみえるかもしれない。

しかし、今回の儀式の場合を「同居」ではなく「隣接」と捉えた場合、厄災をもたらすのは同時存在であって、相互にあるべき時空を踏み越えず、あくまで各々の領分に留まっている限りはちからの分け合いが生じるのだと解釈することができるのではないか。このことは女性が漁船にあがることを禁忌とする俗信も思い合わせると説得力をもつかと思われる。このとき岬は地上の終わりと海上の始まりに位置する結節点の役割を担うのである。

似たものが隣りあうことによるちからの分配は、春先にされる供食、民俗学でアソビと呼ばれる予祝儀礼についても言えるかと思われる。

アソビ

古代におけるアソビ(遊び)は現在いわれるような遊戯を意味しない。それは多分に儀式的で宗教的な色彩を帯びている。田遊び、野遊び、山遊び、また花見など、あるいは国家的には国見という行事をいうのであって、春、農業集落において自分たちが起こす田地を見下ろせる高地に宴をひらく行事である。単に春の訪れを祝うという側面もあるだろうが、ここには稲の実りを模した事柄を祝い、祝うことで願うものだという。その中には婚外の異性と交わることも含まれ、遊びを解説した著作の冒頭には、よく万葉集の次の歌が引かれる。

鷲の住む筑波の山の裳羽服津のその津の上に率ひて娘子壮士の行き集ひかがふ嬥歌に人妻に我も交はらむ我が妻に人も言問へこの山をうしはく神の昔より禁めぬ行事ぞ今日のみはめぐしもな見そ事も咎むな

すべては隣接性によって他方を引き寄せる行為であると解することができる。

桜もまたたわわな稲穂のメタファなのだ。現代においてはピクニックや花見となって継承されるが、そうなったのは近代以後のことであろう。以前、翻訳をテーマとしたシンポジウムをZoom視聴したとき、夏目漱石の(なんという小説だったか)高野山かなにかに登るふたりの青年のシーンが紹介されたのを記憶している。講義では、時代背景として信仰としての登山がやがてレジャーに変わっていったことを青年の会話に示されていると説明されていた。アソビと併せて考えるとこのことは得心が行くのだった。

さて、このアソビは本記事が主対象とするメジロ神社の行事と似ているらしく思われる。ところは漁村に移り、山は岬となって田は海原となったと解すれば、その様式は山遊びに一致する。ここにおいては、稲穂の実りに変わって黒潮の蛇行が、当漁村に接岸する=豊漁を迎えることを祝い=願う。祝いと願いは時間的に異なりながらも双生児として一致し、隣接するのである。

「予祝」という名称について

さっき「メタファ」と言ったが、やや不本意であることを最後に付言してこの文章をとじたい。

比喩といったとき、そこには、表わされる対象と表す別の対象があるように印象される。が、この捉え方は古代人の意識を読み間違える可能性があると私は考えている。一方が主で他方が従であるのではなく、両者はある潜性する(抽象的な)観念のふたつの表現形(具体形)として、そこに優劣も主従もない。そこで古代人はよくよく原因が結果を招くように、結果もまた原因をつくると考えているらしく思われる。いや、原因/結果という言い方もよろしくなく、ただ事象Aと事象Bは連関しているため、一方があるとき自ずと他方がやってくるという感覚だ。祝儀は割り切れない数字にするといったり、縁起でもないことは言うと本当になるというのもそうした因果の逆転にみえるものには、このような影響関係の可逆的思考によって成立する。これは民話や民謡を渉猟してみると感ずるものと信じている。

詩においてもそうだ。比喩とよばれたものは眼差しを向けた対象を言い当てたり、飾ったりするためのレトリックではない。レトリックでもない。

錯覚というものがあるが、そうと気づかなければそれは錯覚と思われないのである。反対にいえば、すべては錯覚である。われわれが現象間を結びつけた仮の星座に過ぎない。その輪郭はいつでも解け、また編みなおすことのできる可変的なものである。

比喩とはまさにそれをそのように捉えたという点で主観的で生きられた現実として提示されており、そこには本来雅びやかに文章を仕立てようという意識は介在しないのであって、介在させては効力を失うはずの「生きられ」なのだ。

ゆえに比喩は、多分に現象への精確さとして現れる。

そんなわけで「予祝」という呼称へも、同様のあやしさを私は抱いている。つまり、それは本当に「あらかじめ」という観念をもつのか、という疑念だ。

古代人には主従や先後といった一方向的な思考は(ないとは言わないまでも)希薄であったように感じられる。その重要であると思う部分が「予祝」は(近代的価値観による臆見のために)捉え損なった呼称ではないだろうか。

類似と隣接、直線的ではない時間意識、ものの輪郭……これらは直結、融和して構成していて、部分のない全体があるのではないか。


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