道を辿る
早朝の市街地にはまだ人通りがほとんどなく閑散としていた。とり残されて、商店街の東口に立っていた。この鄙びた街も、かつては有数の港であった時期があり、街区の構成にはその名残りをみせ、いまでもほそぼそとした呑み屋街の残光もあった。
商店街の東口は、目の前に深い入江の最奥部がひらいている。海の底からジャガイモを割ったような巨石が盛り上がっている一角がある。よくよくみると断面のひと隅に半円筒の溝の刻まれているのが見える。それはこの巨石が人為的に割られてここに沈んでいることを表していた。経緯を知っている者がいるだろうか、あるいはかつて塩浜だったというその塘の残骸なのか、あるいは都市計画の折に切り取られた山にあったものをここに捨てたのか。とにかく、その巨石がここに沈んでいることは争われず、思わずその石の声に耳を聞きたくなる。海面には暗渠からの水が注ぎ、巨石のあたりにはこまかな魚がちらちらしている。
そこを立ちあがり振り返ってみると、三色の装飾レンガを敷いた商店街が奥へと続いている。それを挟んで向かい合わせる店が一様にシャッターを下ろしているのは早朝だからという理由ばかりではない。緩いカーブを描くレンガs敷きを歩いていくと、やはり車がぽつぽつと止まって、一台はいましがたエンジンをかけて立ち去っていった。
大き目の交差点を一つ過ぎるところ、商店街の西口が前方に見えてくる。訳もなくそこを見据えてまっすぐ歩いた。西口は十字路になっているのが分かる。商店街であるこちらは車が充分すれ違える幅員を擁しているが、交差点のむこうは車1台にひと2人も立てばいっぱいになるような道になっている。商店街を抜けふたたびアスファルトを踏む。交差している道路は2車線道路だった。それを横切って奥へと進む。左手に大きい自転車屋がある。翳に入ると半袖の腕を組んだ。
すぐにやっているかどうか定かでない古めかしい歯医者があって、ふと立ち止まり、来た道を振り返ってみた。今いる道は商店街より古い道なのに違いない。古くはあの商店街のあたり一帯は、塩浜のなれの果ての沼地だったという。それを港町としての可能性を見た異郷者が埋め立てて現在の市街地東面の原型を形成した。そのことが道を見ると頷ける。交差している2車線道路はさらにその後、都市計画によって形成されたのだろう。しかし、それにも原型となる道があったのに違いない。
この通りに入って、建物はいっそう古くなったようで、タイル貼りのものが多くなった。そのどれも、ガラス戸を2~4枚並べた広い土間を屋内に持っているらしかった。土間には鉢植えの植物や置物が覗き、なかには車が入っているところもある。少し行くと小さな電器屋の看板が頭上にかかっている店がある。その隣りには寂しいショーウィンドウの奥に暗闇をたっぷり抱えた時計店跡がある。たぶん、このどの家もどの家も、在りし日はなにかしらの商店を営み、時代の変遷とともに建物はそのままに空間の意味を変容させていったのだろう。そして解体されて四角い空間がぽっかり口を開けた更地にも出くわすのだ。そこに敷かれたコンクリも緑の繁栄と老朽に割れ始めている。
さらに歩を進めていくうちに、道がもうひとつ狭くなったことに気づいたのは、1台の車が道をぎゅうぎゅうに追い越していったときだった。水平方向に歩いていながら、しだいに地層を1枚、2枚とめくっていくようにその歩は過去へと踏み込んでいくらしい。謎に広げられた三角ゾーンがある。道を広げるつもりがとん挫したのだろうか。このあたりは昭和期に二次に渡ってされた都市計画によって南北にあった山が切り取られた地点だろう。今ではわずかな勾配にその名残をみるだけのかつての尾根は、いま立っている道に向って両側から平地を狭窄させていたことは、古い航空写真からも分かることだった。さっきの商店跡地もそうした道の過去に従って建ったのかと思う。
気になって、次の交差点でひとつ南側にある道を覗きにいった。昭和の二次の都市計画は第一次は北面の山を削りとり、今はメインストリートの国道が走っている。南の山を削ったのは第二次である。メインストリートがすでにできており、そこにさらに広い道は必要なかったが、今通ってきた道よりは広いはずである。予想は当り、多少広い道路が平行していた。現在は市街地らしく碁盤の目状に条が切られている。
もとの道に戻る。するとこの道はやはり最も古い道として、宅地整理による変更を受けながらも現在まで当時を静かに囁いているのだ。土の匂いはもうここにはなかったが、たしかに足や耳には古い土がつきはじめていた。戻ってみると、交差点のむこうは右に緩やかカーブを描き、その奥を隠している。
道はいつの時代も可能な限りまっすぐ作りたいものだろう。しかし、時代を遡るごとに地形上の、あるいは通行上の制約を受けやすいものになるだろう。街道ならいざ知らず、ここはそういうところでもない。
いま後ろにしている交差点のあたりからはもう西の浜に面した隣の集落に入っているだろう。その証拠であるように、またタイル貼りの商店跡建築が現れる。すぐに地区自治体の控えめなサイズの役場がある。道は右向きの緩やかに撓んだあと、取り戻すように今度は左に湾曲していた。鍼灸院や電気工事業など、こんな細い道路にひっそりと看板を立てている。
カーブを抜けると前方がひらける。まっすぐに延長した先は少し道幅が膨らんでいるのが、左右の側溝に縁取られてよく見えた。西の端は再び海が広がっている。ここは昔砂浜だった。私が生まれるより以前のことだが。先の都市計画によって干拓、埋め立てられ、現在は立派な港になっている。
唐突に道が膨らむあたり、Y字の三叉路になっている。つまり、この膨らみはそれより先が砂浜となっていたことを教えている。正面を見やると家並の雰囲気がやや新しくなっているように思わなくもない。計画ではおそらく、この膨らんだくらいの道幅を商店街までまっすぐ通したかったのかもしれない。それが住民との間で折り合わず、やむなくアスファルトを敷いた程度に留めた、そういう経緯の現れであるかに見える。
Y字路はその鋭角の股を三角形の公園に沿わせている。せっかくだから古い道を使おう。砂浜を遠く地下にしてゆく正面の道に別れを告げて、北西に向く道へ入る。錆の色は争えないが、それでもやはり建築様式は新しく思われた。道の先に信号機が見える。国道が横たわっているのだ。「下」の字の縦線が突き貫けたといった交差点である。髭のような斜線から交差点に進入し、まだ目覚めていない横断歩道を渡り北に行く。
もうここまでくると自家用車が普及する頃にできた道となり、陽光もいつのまにか早朝の気配を過ぎていた。一つ目玉の信号機の交差点を過ぎると正面に北の山が随分近くなった。右手のほうも山の裾のであるらしい勾配を成している。左方はもとすぐ砂浜へと続いたはずである。それにくらべればはるかに左方までアスファルトが延長して、住宅地を形成しているが。正面の山を避けるように道は左に曲がる。この山の裾に沿って行けば市街地の終点となる。
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