memento mori その3 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
私の人生は幸せだったと言い切って他界されたというお話。
大人の絵本ブームの火付け役といわれるヨシタケシンスケさんの長編作品「メメンとモリ」との出会い。
その作品とラテン語の「いつか死が訪れることを忘れるな」という言葉の件が引っかかったというお話と、そもそもこのラテン語をnoteでの作品を通じて教えてくださったmemento Mori(モリ)さんのお話、おニ人の力強い生き方、個性に脱帽したというお話。
奇しくもその翌日に身近な人がコロナウイルスに感染して、既往症を悪化させて他界。しかも実は昨年末にも上述の既往症がコロナウイルスで悪化という全く同じパターンでのコロナ禍が身近で起こっていて、同じことが繰り返されていることを悔しく思ったというお話。
そして昨日他界された方は、そもそもの基礎疾患を抑制しつつ治療されていた時から周囲に、自らの余命を察してか、
私の人生は幸せだった
と言い切っていらしたと聞き及んてとても共感を覚えました。私自身プロフィールに記させて頂いているように、
色々経験させて頂いたけど、今この瞬間人生が終わったとしても「とても幸せだった」と言い切れる超前向きなおじさんです。地球環境に負荷を掛けてさせて頂き「色々経験」したことを次世代の方々の参考になるようなコンテンツとして残そうと思っています。知のReuse&Recycle、究極のエコ。
というスタンスですから方向性は同じということ
その方には、私達家族としてはできる限りのことはさせて頂いたと考えています。その意味では悔いはない。例えば…
時は1990年代初め。私が家族帯同で米国カリフォルニアのシリコンバレーに駐在していた時も
私の母と共に日本から遊びに来てくださいました。吾妹が駐在員妻として愛車のスーパーチャージャーが付いた5速のマニュアル車、気候の良いカリフォルニアには必須の(笑)サンルーフも付いたサンダーバードスーパークーペで
日帰りの範囲でのの観光やショッピングの案内をしました。勿論カーナビも携帯電話も無い時代に…
具体的には観光は、北はサンフランシスコやゴールデンゲートブリッジを超えてメンドチーノ、
南はハーフムーンベイ、モントレー程度までかなぁ
そしてショッピングではサンノゼ空港近くのコストコや当時流行りだしたアメリカのハイウェイの郊外のインターチェンジ出口に直結した広大なアウトレット、ギルロイ アウトレット (Gilroy Premium Outlets)と吾妹は子どものプレスクールの送り迎えをの合間を縫っての八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍。
コストコ サンタ・クララ倉庫店
https://www.costco.com/warehouse-locations/santa-clara-ca-129.html
駐在員妻の吾妹には感謝しか有りません。
サンクスギビングの連休にはヨセミテ国立公園まで私達家族と泊りがけで足を伸ばしました。
田舎町の宿泊地では宿の方が機転を利かせてくださり、付近の教会でサンクスギビングのお祝いをしているので参加するように案内して下さいました。地元の方々に混ざってお食事をさせて頂くという幸運も。しかもアメリカの田舎町らしい温かいおもてなしを味わい感謝、感激でした。
2週間たっぷり時間を共有しました。と言ってもそれは吾妹で私は仕事の無い時だけでしたが(Again.吾妹に感謝)…
そしてホテルでは味わえない米国の日常生活も私達の自宅に泊まることで垣間見て…
ですから、私達はその方の
私の人生は幸せだったと言い切っての他界
にお手伝い出来たかなぁと感じている次第です。
memento mori
「いつか死が訪れることを忘れるな」
これを当時から意識して2週間を共有させて頂いたと言うと信じて頂けないかも知れませんが…
この辺りの作品を読んで頂くとそもそもの死生観をご理解頂けるかと…
生前葬ってのも合理的…
蛇足
こんなのも如何でしょうか…
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