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自分の親が優しくて家族が温かい場所だと深く感じられたのは、海外留学を終えた後だった

海外Quoraの投稿から引用する、理想の家庭についての投稿

早速だが、この引用を見てほしい。


自分の両親が良い親たちだと知ったのはいつですか?

お金持ちの友人の家に行ったときでした。

当時、私は小学生でした。その子の家族は、巨大なお屋敷に住んでいたんです。壮大だった。輝いていた。その建物の隅々まで、権力、富、成功が滲み出ているようでした。正面玄関まで歩いていくと、その大きさに全く畏敬の念を覚えました......全てに。壮大なものでした。

そして、中に入ったのです。そしたら、そこは、空っぽでした。言葉通りの空っぽなのではなく、椅子やソファ、見たこともないような大きなテレビ、そしていくつかのランプがありました。しかし、その家には本がなかった。写真もほとんどありませんでした。そして、両親の姿も見当たらない。私が友達に「きみのお父さんはどこにいるの?」と聞くと、「仕事」という答えが返ってきました。彼はいつも仕事をしていたのです。彼の母親は「病気」で、頭痛がしてベッドにいた。私が5、6回訪れたとき、毎回、父親は仕事で不在、母親は頭痛で病気でした。今にして思えば、この女性がアルコール依存症だったことはほぼ間違いありません。男性はワーカホリック(仕事中毒)でした。私の友人は、ほとんど兄妹に育てられたようなものでした。

私たちの家は小さかったです。私たちの家族は深く関わっていました。生活は簡素で、でも充実していたのです。彼らの家は、外見は立派だが、空虚な感じがしました。あの奇妙な家を何度か訪れただけで、自分がどれだけ良い暮らしをしていたかを思い知らされたのです。

引用元


平凡な主婦が玉の輿婚をした。その隣で、それなりに幸せな暮らしをしていた友人がいた。というある本の話

ある本(小説)を読んでいたら、こんな描写があった。

ネタバレ防止のために、タイトルは言わないし、実際のストーリーもすこし変更してある。


平凡な主婦が、玉の輿婚をした。

裕福な男性と結婚することができた。

彼はなんでも奢ってくれ、ほしいものは全て買い与えられた。

海が見える高いマンション。学校も近いし、治安もいいし、なにより景色がすごくいい。そんな素敵な家を彼女と住むために買ってくれた。

婚約指輪は、何十万円もするような豪華なもの。

結婚指輪は、さりげないデザインでも、すごく高くておしゃれで機能性がいい、それでもおしゃれさを忘れていないようなもの。

それを見せびらかすためではないものの、結婚したら時間が無くなるだろうし、みんなで集まろう。そんな話になったから、結婚報告会として、おしゃれなレストランで食事会をした。そのときに大学時代の友人(ここではA子とする)と、その他の友人も一緒だった。

A子は、大卒後すぐに結婚して、働くことなくすぐに家庭に入った。

安い指輪しか買ってもらえなかったことをずっと気にしていて、すこしコンプレックスを感じていた。所詮私はこれくらいのたいしたことない男としか結婚できなかったんだ。私ってこんなたいしたことない人間だったっけ。

旦那は自分を愛してくれるし、私も旦那を愛している。それなりに幸せだった生活だった。でも、その主婦の結婚話を身近で目にして、嫌気がさしていた。離婚しようとまでは思わなかったが、せめて相手がもうすこし裕福だったらいいのになあと思うことが増えていった。こどももできたし、この子に貧しい思いはさせたくないなあ。このままだと家計はぎりぎりだし、余裕もないし、余裕がないからお金が増えない。

ただ、彼は結局彼女を殺そうとしていた。

高額な保険金をかけていたのだった。それに気づいた彼女は泣いて家を出て、A子のもとに駆け込んだ。いますぐ殺されようとしているというわけではないが、このままだとやばい。ねえ、この家、病んでるよね。怪しいよね。

A子は気づいた。

そういうことだったのか。

結局、婚約を破棄して、友人のその玉の輿婚は終わりを告げた。仕事人間だったし、結局お金と、お金に喜ぶ愚かな女しか見ていなかったんだね。そう言った友人の目は死んでいた。

A子は、あるとき、結婚指輪のデザインが質素なことについて、酔っぱらった勢いで文句を言った。そうすると、旦那はこう答えた。

「ずっと一緒にいたいし、指輪も毎日使ってほしいと思って、同僚のエピソードを聞いてこれにした。すぐに壊れちゃったり欠けちゃったりするようなものではなくて、ずっと大事にしてほしかった。そして、どんな服を着ても、似合う指輪がよかったし、しかも太っても痩せても、こういうシンプルなデザインだったら飽きが来ないしすぐにサイズ直しができるって同僚に言われた」

A子は、自分がちゃんと旦那に愛されていることを知った。

親に感謝でき、家族に幸せを感じられるのは恵まれている証拠

親を嫌う要因は、こどもの側にないことだってある。

  • 病気で寝込んでばかりで、構ってもらえない

  • 貧困

  • 虐待

  • 暴力 (ex. 性暴力)

  • 家父長制 (ex. いわゆる「九州男児」)

  • DV

  • 親ばかりいい生活をして、こどもにそれを還元しない

  • 規則ばかり厳しくて、自由がない

  • 教育虐待

  • 機能不全家族

  • 冷淡で愛されない家庭

  • 親の非行

  • 叱られてばかり

  • ワーカホリック

  • 依存症

  • 共依存

  • 束縛が強い

  • 片親で、かつ前の配偶者といろいろな問題がある

ほかにもいろいろあるかもしれないが、家庭内に問題は絶えない。

そのいくらかはこどものせいでもあるし、社会のせいでもあるが、親のせいである場合もある。

私の親は、ここに書いたような問題が一切ないし、私もある程度の年齢までは「家族っていいなあ」と思っていた。

ただ、世の中で虐待とかDVとかそういう悲しい話を聞くたびに、私は思った。

自分の家は恵まれていて、だから自分はそれなりに幸せに暮らせたということを。

しかし、私がそれに気づけたのは留学生活を終えた後だった。

イタリア留学で見た、いろいろな家族のかたち

まず私がイタリアに着いて気づいたのは、圧倒的なホームレスの方の多さだ。

ホームレス

私は郵便局が好きなので、よく郵便局に行く。

ある郵便局(Piazza della Repubblica, 16, 47841 Cattolica RN)の前は、アーケードになっていて、上に屋根がある。

そこで何色の服かもわからないような汚れた服を着て、何色の毛布かもわからないほど汚れた毛布をかけているひとたちがいた。

一目でホームレスだとわかるような格好のひとたちを見て、私はかなり衝撃を受けた。

彼らをよく見ると、肌が白いひとはさほど多くなくて、移民の方がホームレスになる現状があることがわかった。

3階建ての家で暮らす家族

1階は倉庫兼アトリエ兼両親の家、2階は自分たちの家、3階は共用の部屋として学生に貸していて、空いたスペースにこどもたちを住まわせているといった家族があった。私は3階の一部屋を使っていた。

階段を下りればすぐホストファミリーがいたので安心だったし、そのホストファミリーにはいろいろと良くしてもらった。

イタリア(の私が留学していた地域)は家が安い。

1000万円もあれば、家が買える。住民が出ていくから、土地も余っている。

だから、ワンルームなんて小さな家はなくて、こういったシステムも割と多い。

シェアハウスとして、1部屋を200ユーロくらい(光熱費込み)で学生に貸して、キッチンと風呂場は共用。

私の留学したところは、外国人がほとんどいなかったから、すごく歓迎された。こんな辺鄙なところに来てくれてありがとうとよく言われた。ディープなイタリアを知れた。

近所もみんな自分の家みたいなもの

私はなぜか、最初の1か月で4回も家を替えなければいけなかったので、いろいろな家を見た。

近所のバルコニーから、誰かが挨拶している。

どうやらお友達のようだ。

私も挨拶する。

そのひとは私のことを知っていて(私は新聞に載ったことがある)、歓迎してくれた。

またすこし歩くと、またバルコニーに誰かがいる。

今度は親戚のようだ。

私も挨拶する。

そのひとも私のことを知っていた。

またちょっと歩く。

今度も友人に会う。

私も挨拶する。

私の名前と顔は知られていた。

帰国して、自分の家族を見たら、案外すごくいい場所だった。

留学するということは、自立するということ。

家から距離を置いて、自分の足で立って、生きていくということだ。

ビザ申請も滞在許可書も家探しも通学も食事も全部自分でやる。

それまでは反抗期で、まあ悪くもないけど特段気にいってもなかったような家だったが、一度家に帰ってみると、家族はイタリアで私がそうされたように、優しく迎えてくれた。

大きな問題もないし、ストレスフルな環境にいるときにはたまには飲みに連れて行ってくれる。

成人してしまえば、だいぶ楽になる

未成年のうちは、いろんな問題が家族内で起きても、そこから逃げられない。

毒親という言葉があるが、猛毒でも微毒でも毒には変わりない。しんどい思いをするのも変わりない。

ただ、成人してしまえば、お酒も飲めるし、家を出ていけるし、携帯も家も自分で契約できるし、働けるし、だいぶ楽になるところが多い。

虐待や家庭内不和などでつらい思いをしているひとたちに言いたいことがある。

そのしんどさは、成人したらだいぶ楽になるよ。

私もいろいろ、家庭環境だけではないけれど、悩んでいたことがあって、それも成人したら楽になれた。

留学して、この家の良さが余計にわかった。

私の家では、繰り返すが、なにか大きな問題があったわけでも、生きづらかったわけでもない。

ただ、ほかの家を見るという機会が圧倒的になかった。

近所付き合いも一切なく、他人の家に遊びに行くことはなかった。いつも私の家にお友達を呼ぶ側だった。

だから、なんとなく閉塞感を覚えても、抜け出し方がなかった。

しかも、高校でも転校を繰り返し、なかなか友人ができなかったので、すべてを打ち明けられたり打ち明けたりするといったこともなかった。

だから、この家とこの学校とこの学習塾だけが、私の世界だった。

留学して、広い世界を知った。

私は自炊もろくにできなかったのに、シェアハウスしたお友達に一から教えてもらって、いまでは簡単なイタリア料理ならできるようになった。

だから、繰り返すが、虐待などでは一切ない。

それでも、「ほかの例」がなかったから、家庭内あるいは私の世界の中で問題が起きてもどう立ち直ればいいかわからなかった。

留学して、私より恵まれているひとも、恵まれなかったひとも、ちゃんと見てきた。

そうして、友人ができて、広い世界を知ったことで、自分の家がさほど悪い場所でなどなく、むしろすごく居心地のいい場所だったとわかった。

私の家は、ここにもある。

自分で自立して、いつか私も家庭を持ったり、家を借りたりすることがあるだろう。

ただ、この家も割といい場所だなあと、留学して、気づいた。

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