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ktate
2024年10月10日 20:14
「苦」と「楽」をどちらを選ぶか? と問われれば、正直なところ誰もが「楽」をとるだろう。しかし、「楽」ばかりもしていないのが現実。仏教にも「一切皆苦」という言葉があるように、生きてれば「苦」ばかりに遭遇する。じゃあ、「苦」と「楽」どちらを選ぶかなんて質問は無意味なように思われるだろうが、実のところ日常においては頻繁に選択を迫られている。例えば、運動や勉強をしたほうが良いのは分かっていても
2024年9月23日 13:03
不安や苦難に陥ると盲目的になりやすくなる。そこで「他人事」目線になってみる。まるで寝起きでボーっとした頭のままニュースから流れる事件を眺めるように距離を置き、無責任になって観測する。もちろん、根本的な問題解決にはならない。でも、広い視野と心の安静は得られる。
2024年9月9日 13:24
生きるために食べる。 食べるために働く。 働くために学ぶ。 学ぶために人の話を聞く。 人の話を聞くために他者と関わる。 他者と関わるために自分という存在を認識する。1つ1つは難しいけれど、生きることをタスクに分解するとその構造は単純かもしれない。
2024年9月10日 18:11
「持続可能な社会」を目指すことも大切だけれどその前に1人1人が「持続可能な生き方」ができるようちゃんと寝て、食べて、運動して、学んで、働いて、そして遊ぶほうが優先だと思う。
2024年9月4日 18:01
タイミングが合わずにチャンスを逃すことはある。そのときは後悔するかもしれない。しかし、月日が経ってから振り返ってみれば、チャンスを逃したことで得られた結果に気づくこともある。その時が訪れるのかは分からないけれども、逃したチャンスは早々に忘れたほうが吉。
2024年9月2日 17:45
他人を頼るのが苦手でもいい。自分で何とかしようと頑張ってもいい。何とかしようとすることでしか得られない経験や成長もある。頑張り過ぎて潰れたり失敗したとしても、そこで得られる教訓だってある。そうして気づけば、他人を頼れる自分になっているかもしれない。
2024年8月21日 19:16
人手不足と言われる中でも、介護現場で働こうとする人はそれなりにいる。これは非常にありがたい話である。しかし、面接などでお話を聞いている段階でお断りすることがある。実際に働いてもみないうちに不採用とするくらいだから、余程の人だろうと思われるだろうが、そうではない。むしろ、常識はそこそこあるし挨拶もできる。介護で働こうとする動機も本人なりに明確になって応募している。それなのに、なぜ働く前に
2024年8月26日 20:40
「やりたいことがない」「好きなことがない」と言う人がいるが、細かく聞いていけば結構見つかる。「やりたいこと」は、別に社会的に意義のあることでなくていい。極端なことを言えば、「毎週ジャンプを読む」「ローソンの新発売のスイーツを食べる」だって「やりたいこと」だ。「好きなこと」は、何も他人に賞賛されるテーマでなくてもいい。そもそも「好き」とは誰か見せる前提のものではなく、むしろ人知れずにやる
2024年8月28日 14:28
「この苦しい人生を何とかして楽にしよう!」と躍起になるより「そもそも生きるって大変なことだな」と認めてしまったほうが気持ちは多少楽になることに、最近気付いた。
2024年8月14日 18:23
コスパを気にする人ほど、結果的に浪費している。それは目に「見えるコスト」である価格だけ見て、そこに至る自身の時間配分や動き方・ちょっとした消耗品・周囲からの配慮などの「見えないコスト」に無頓着だからだと思う。
2024年8月17日 12:44
人生を有意義に過ごすことは大切。しかし、何を持って有意義なのかは人それぞれ。また、不完全燃焼でモヤモヤする日だってある。そこで自分にとっての有意義な生き方を考えたり、有意義でない日の捉え方を考えることも有意義なだと思う。まぁ、無理して有意義にする必要もないが。
2024年6月18日 17:18
他人にマウントをとりたくなったら自分がつまらない人間になってる。そう思って、他人なんか気にせずに今日の自分を1%でも前進させることに没頭する。
2024年6月19日 19:19
介護サービスは「サービス業」という仕事である。介助やコミュニケーションを通じて、高齢者の心身および生活の維持・向上を図ることを生業としている。1人1人異なる課題や要望に応じて介護計画を立案し、専門知識と技術を有した介護スタッフが介護サービスを行う。提供したサービス内容や回数、あるいは介護度に応じた包括的な金額を介護報酬および自己負担額として請求し、事業所はサービスの対価として金銭を受け
2024年6月23日 19:48
「社会のために✕✕すべきだ」と声を荒げ、それがときには殺傷をともなう事件に至ることがある。そして、このような事件に共感を抱いたり、影響を受ける人たちもいる。特にこの手の話はメディアも取り上げやすいため、ワイドショーのでもコメンテータたちが煽るように自論を述べる。SNSでも色々な意見が飛び回り、当初の問題からズレて言ったり、新たなトラブルを生んでしまうこともある。なぜ、このような事件