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生き方・思考法

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お金は何に使うべきか?

お金は何に使うべきか?

私は事業者という立場として従業員のように給料を貰っていない。いわゆる役員報酬というものが個人の収入源になる。

色々と端折るが、役員報酬は報酬なので経営状況によっては無収入になることもある。具体的に言えば、運営している介護施設において利用者の退所(主に死亡)が立て続けに起こると売上が一気に減る。

そのようなときでも従業員の給料も含めて会社が支払うべき経費は払うし、しばらく維持するためのキャッシュ

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理想や憧れはずっと同じままでなくてもいい。

時代や環境に合わせて変えてもいい。

知らず知らずに変わっていることもあれば、
自ら手放すこともある。

でも、その理想や憧れを抱いていた思い出は
決してなくならない。

自分が口出し手出ししたことがトラブったとき
それを自分で尻ぬぐいしようとするか?

その態度の有無が「責任感」だと思う。

自分のしたことの不始末を他人任せにするなら
最初から口も手も出さないほうがいい。

面倒でも急いでいても「ほんのちょっと」時間をかけてみる

面倒でも急いでいても「ほんのちょっと」時間をかけてみる

横断歩道のない道路を横断しようとしている人がいる。自動車の往来がなくなるタイミングで向こう側に渡ろうとしている。

それは危ない行為であるが、事故になっても自己責任でしかない。

しかし、そんなリスクよりも気になることがある。

それは、目と鼻の先に横断歩道と信号機が見えるにも関わらず、そこまで行かずにひたすら自動車の往来がなくなるのを待っていることだ。

ものの2~3分の時間をかければ確実に横断

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嫌われても、生きることはできる

嫌われても、生きることはできる

「嫌われること」は、誰もが避けたいことであると考える。
しかし、誰もが確実に誰かから嫌われたことがある。

どんなに嫌われることを避けようと努力しても、嫌われることは避けることができない。

人間というのは個々に考え方や価値観が異なることから、誰かから嫌われなくても、別な誰かから嫌われてしまう。

「あちら立てば、こちら立たず」という言葉もあるが、それはある種のバランスである。陰と陽の関係のような

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当時は苦難と思っていたけれど、振り返ってみると
どうでもいいと思えることは多々ある。

それは苦難を乗り越え成長した自分が今いるから。
あるいは、最初からどうでもいいことだったから。

前者が望ましいが、起こりうる出来事のほとんどは
後者だと思う。つまり、大抵はどうでもいいこと。

自分に向いていることを人生の選択基準にすることは
効率的かつ合理的な考え方と言える。

しかし、それが幸せにつながるとは限らない。

非効率で不器用でも、生き生きしている人はいる。
合理性に欠けても、自分の選んだ道を邁進する人もいる。

選択基準は何も、向き不向きだけではない。

なぜあの人は「動きがとろい」のか?

なぜあの人は「動きがとろい」のか?

仕事をしていると「動きがとろい」と言われる人がいる。

別の言い方では「遅い」「のろい」「にぶい」という表現もある。

”とろい” とは名古屋弁であるらしいが、それはそれとして、いずれにせよ良い印象を受ける言葉でないことは確かだ。

仕事において「動きがとろい」と言われてしまうのは、一言で言えばアクションが遅いということが挙げられる。周りから「あれやった?」と聞かれて「・・・あ、まだです」というよ

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苦難を前に「何で自分がこんな目に・・・」と嘆いても
残念ながら自分が納得できる答えは出ない。

振り返って「あの出来事には意味があったんだな」と
思える事もあるだろうが、年月が経っても分からない
ことばかり。

ならば、嘆きながらも目の前のことに没頭するしかない。

口うるさく言われていると「好きにやらせてほしい」と思う。

でも、口うるさく言われたことを素直にやっていると習慣になる。

後々、それは社会人として大切な振る舞いと気づく。

口うるさく言ってくれた人に感謝。

口うるさく言われても耐えた自分も頑張った、偉い。

浪費癖を直したいならば、買物を減らすことが1番の対策。

そのためには、お店に足を運ぶという行為を減らす必要がある。

私たちは何気なくお店に入り、買う必要もない物を買っている。

まずはコンビニに何となく入るのをやめよう。

そして、買物は3日に1回しかできないと制限しよう。

「苦」と「楽」のバランス

「苦」と「楽」のバランス

「苦」と「楽」をどちらを選ぶか? と問われれば、正直なところ誰もが「楽」をとるだろう。

しかし、「楽」ばかりもしていないのが現実。仏教にも「一切皆苦」という言葉があるように、生きてれば「苦」ばかりに遭遇する。

じゃあ、「苦」と「楽」どちらを選ぶかなんて質問は無意味なように思われるだろうが、実のところ日常においては頻繁に選択を迫られている。

例えば、運動や勉強をしたほうが良いのは分かっていても

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不安や苦難に陥ると盲目的になりやすくなる。

そこで「他人事」目線になってみる。

まるで寝起きでボーっとした頭のまま
ニュースから流れる事件を眺めるように
距離を置き、無責任になって観測する。

もちろん、根本的な問題解決にはならない。
でも、広い視野と心の安静は得られる。

 生きるために食べる。

 食べるために働く。

 働くために学ぶ。

 学ぶために人の話を聞く。

 人の話を聞くために他者と関わる。

 他者と関わるために自分という存在を認識する。

1つ1つは難しいけれど、生きることをタスクに
分解するとその構造は単純かもしれない。