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小説

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短編/中編小説をまとめました。。長くないのでサッと読めます。
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#夏

プール・サイド・ストーリー 3

プール・サイド・ストーリー 3

 起きがけの明瞭としない意識。乾燥した空気で喉が痛むために、少し小窓を開けようかとも思った。しかし、とある匂いがふと鼻をついたものだから、僕はそれをやめて、ふたたび布団のなかへと迷い込むことを決めたのだった。
 ──この部屋いっぱいに金木犀が薫る初秋、深々とした山系の落葉樹は、紅葉に至るまでの準備を終わらせてしまったに違いない。昔からこの空気感が嫌いであった僕は、さらに部屋中を侵すであろう秋の気配

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プール・サイド・ストーリー 2

プール・サイド・ストーリー 2

 その日、久しぶりに雨が降った。山の手から遠く見える夕焼けは、そんなことなど素知らぬ態度で、ただ積乱雲の成れの果てを茜色に染めているのだった。馴染みのプールからの帰り、タイミング良くバスに乗り込んだ僕は、冷えた身体をどうする訳でもなく、ただ呆然と窓傍の席に座っていた。
 バスが停車のために速度を落とす際、わずかに開いた窓から、大粒の雨が車内に入り込んできて僕の肩を濡らした。ただ、濡らしていた。

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プール・サイド・ストーリー  1

プール・サイド・ストーリー 1

 九月の上旬、例年であれば夏の延長戦が如く蝉の糾弾も収まることを知らず、太陽にしても残業代をせしめる強い日差しは健在のはずで、我々は夏期休暇の思い出でも語りながら、ただプールサイドのビニール椅子に寝転がってさえいれば、しきりに吐く溜息さえも様式美として昇華されるはずであった。
 
「流石に、この肌寒さでプールはないだろう」
 電話口の向こうで葛西君がそう言えば、僕等は決して美しくない溜息を吐いた。

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鉄塔がある街 (後編)

鉄塔がある街 (後編)

『関一雄 様

 あたしは今日、部活に出ません。
数年前に父を亡くし、母の手一本でここまで大きくなったあたしは、この街を出る事すら叶いません。そして、愛すべき貴方は、遥か遠くの東京等という都市に行こうとしてらっしゃる。その目を輝かせて、こちらに訴え掛けるさま。あまりに酷く、残酷な仕打ちだと思い......。
 もしどうしても旅立たれるというのなら、あたしにも考えがあります。あたしにも、意思というモ

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鉄塔がある街 (中編)

鉄塔がある街 (中編)

「一雄、ちょっと聞きたい事があるんやがな、その熱心に動かす右手を止めてくれんか」
 晩飯が終わり、居間にて漫画のページを捲る私の元へ、寝巻き姿の父が静かに寄って来た。多少大きくもある服から出た、細く長い四肢。年老いてもなお皺一つない手足は、確かに皆が言うところの『色白』であった。

「お前、高校出たらどうするつもりや。他の所みたいに畑も持っとらん、漁船を操る才能も、ウチの家系には誰も与えられとらん

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鉄塔がある街 (前編)

鉄塔がある街 (前編)

 決してこの街のシンボルとは成り得ぬ鉄塔。ベランダから眺める青々とした緑の巨魁に一つ佇む鉄塔は、それでも悠然とした姿で、私たちの生活や日々揺れ動く感情というものを捉え、今は夏の空に浮かぶ積乱雲に圧倒されながらもただ寂しく、ただ静かに、立っているばかり。

 昔からこの港街に住む漁師たちは、この鉄塔に『北方』という名をつけ、波が激しくうねる冬場漁に於ける街の目印として、皆大声でその愛称を叫んだ後、小

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夏の子ら

夏の子ら

「教鞭を取って三十幾年、私が想像もしない様な時代になったと、日々感じ入る次第ではありますが、まさかこんな事態となるとは......」

 八月も下旬に差し掛かろうとしていた。夏は年々その色を濃くするように、気温と時季を増長させ、各々のシャツを侵した染みが、暑さと連動して幅を広げて行った。
 喫茶店の冷房はぜいぜいと息切れた音を出すのみで、正面に座ったK先生を除けば、手を扇ぎ生温い風に頼る客がその大

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クリスタルの恋人たち

クリスタルの恋人たち

 少し冷え過ぎた店内。薄い上着を羽織る君の哀れみを孕んだ視線が、ワイングラスを通して半袖の僕まで届いた。冷房が効き過ぎている。目前の君が洒落込み過ぎている。テーブルに置かれたロウソクの火は、僕の心と共にゆらゆらと揺れ動いている。
 新たな客が入って来ては、彼らが連れて来た湿気は薄い霧となって壁伝いに上がって行く。そんな空気を掻き混ぜるファンは、乾いた音を立てずに回っていて──
思考が一回転した後、

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オールドタイマー(中編)

オールドタイマー(中編)

 講堂に集まった人々が、列を成して移動するのが見えた。先頭を走る麦藁帽を被った少年は、垂れた紐が顔に引っ付くのを嫌ったのか、ついには帽子を投げて遊び出してしまった。
誰もいなくなった講堂は、冷房が切られており、そんな猛暑の密閉された中でも、登り続ける線香の煙。古臭い、埃に塗れた臭いがする。

「都会ほど、暑くはないでしょう」
声がする方を向けば、先日家を訪ねて来た男が、部屋の隅に立っていた。棒立ち

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オールドタイマー(前編)

オールドタイマー(前編)

 全治一ヶ月、そう医者に告げられた私の心はなお穏やかのままで、都内の大学病院からの帰りに喫茶店へ入れば、一杯の珈琲を飲み干す間に、締切の迫った記事を書き終えてしまった。

 昨晩、私の限られた睡眠を大いに苦しめたのは単なる腰痛であり、医者が発した言葉通り、一ヶ月激しい運動さえしなければ、この痛みも自然と消えて無くなるらしい。
通院の必要もない、仕事も今まで通りで結構。
だが、私が安堵した本当の理由

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夏至の日

夏至の日

暑く、長い一日だった。
背中にかいた汗が、筋沿いに流れるのを認めた幼い頃の私は、それでも必死になりながら、黒く染みが出来た深緑のシャツを大いに揺らして坂を駆け下りて行った。
軽い足取りではない。決して上手くステップを踏んでいる訳でもなかった。背後から忍び寄る何かが、脚に絡み付く恐怖。がむしゃらにでも進まねば、私はそれに魅入られていただろう。

 四丁目の駄菓子屋と言えば、小学生の間では有名な溜まり

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道頓堀で君に告ぐ

道頓堀で君に告ぐ

昔から、この手の雰囲気は嫌いなんだ。
過去の悪夢が蘇ってくる。
皆隣をじろじろと見合って、すぐに人集りが出来たと思えば、最初から台詞運びが決められているかの様にまるで期待もない。
おまけに、あくまでも他人事という顔で......
まぁ確かに他人事には違いないが、野次馬は皆決まって澄ました表情をしていやがる。
その携帯を下げろ、見せ物じゃない。
本当に道化と間違えているんじゃないか?

––よし。お

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雨の日、父を想う

雨の日、父を想う

 あの無口な父が、病に侵されている事実を知ったのは、三年前の六月頃。今日と同様の生温い空気、降頻る雨が我が身を冷やす、この忌々しい梅雨がチラリと顔を覗かせた時期である。
仕事中に母から電話が掛かって来たと思えば、向こうからの会話は歯切れの悪い物ばかり。
「最近、元気でやってるの?」
「盆休みは取れそう?」
などという形式上の言葉が数回行き来した後、実はねぇ......という具合に、父が入院したとい

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京阪の君

京阪の君

 やはり今日に至っても葛西君の気は晴れないらしい。ビールを飲むのかワインにするか、以前のように女でも誘ってみるか、こちらからの提案に対して様々な表情をするものの、それらにはすべて否定的な趣があった。
折角の暑気払いで連れ出したというのに、その釈然としない態度には呆れるばかりである。梅田駅は今日も人混みで溢れていたし、適当にでもどこかの店へ入らなければ、シャツの染みはより一層酷くなるだろう。だがそん

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