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#こんな学校あったらいいな

小学生が楽しく読める、学校を舞台にしたおはなし「#こんな学校あったらいいな」をコンテスト形式で募集します!

人気の記事一覧

理想の学校なんてない。子どもを真ん中にして、「つくる」プロセスを味わい続ける

軽井沢駅から15分ほど車を走らせると見えてくるのは、2.2万坪の広大な敷地に建てられた軽井沢風越学園(以下、風越学園)の校舎。2020年4月に、3歳から15歳までの子どもたちが過ごす私立の幼小中混在校として開校しました。 校長を務めるのは、22年間教員として公立小学校に勤め、教員養成にも携わってきた岩瀬直樹さん。開校から5年目を迎える今、スタッフや子どもたちとともに風越学園をつくり続ける岩瀬さんに、学校運営で大切にしていることやこれまでの変化について聞きました。 「本物」

毒親問題から回復、子育て✕自然からの愛✕AI。悩み解決への幸せプロセス②💖

先に私の考える結論を 書いておきますね😊 自然や身の回りからの 瞬間瞬間の愛を感じられたら、 それが自分の力になると思います🌷 大富豪達も、世界的作家さんも、そうやって力を得たのだと思います。 作家さんは、美しいものを見るという意識を持つ事で、その瞬間瞬間の美しさを感じることができるんだよとストーリーを通して伝えてくれているのだと思います。 私は、世界的作家や、大富豪達が実践している、美しいものを見る、という意識を常に持つことで自分自身の認知の変化を感じました。 自

娘の行き渋りからみえた、より良い教育への鍵。

我が家の行き渋りっ子ちゃんの最近。 行き渋りに向き合って4年目。 学年の最初はいつも調子が良く 4年生になってからも ゴールデンウィークが明けてからも 順調って見えていました。 その流れが変わったのがこの時。 この後は 何も言わずに行く時もあれば 体調不良でお休みする時もあって で、今朝は玄関で 「行きたくない〜」 ってなりました。 行きたくないけど、行ってるんだろうな とは思っていたけど 今朝は顕著だった。 聞いてみると 「校外学習がいやだ」 これまで

ルソーは教育学者ではない

本記事で扱う論文は以下のリンクから読むことができます。 画面右側にある「PDFをダウンロード」という赤い部分をクリックしてください。 さて、この企画も3回目になります。 原聡介、宮寺晃夫、と続きまして、今回は森田伸子論文を紹介します。 この森田論文もまたスリリングな内容なのです。それは、教育思想史研究とは「誤読」である、という命題に集約されます。この森田テーゼは以後、何回か言及されることになりますので、覚えておいてもいいかもしれません。 それと、森田氏が述べる「真の目的論」

低所得家庭の子どもを排除する教師たち

以下は、西田芳正著『排除する社会・排除に抗する学校』(大阪大学出版会 2012)の6章の内容を要約したものです。 本節では、教育社会学者である西田芳正による「排除する学校・教師」という視点を整理したいと思う。そこから導かれるのは、学校や教師がむしろ積極的に、「貧困・生活不安定層」を学校から排除するような構造である。学校教育においては、教師は生徒に比してより大きな権力を持たざるを得ず、そこを前提にしなければ教育関係を築いていくことは不可能であることは、前節までの諏訪の議論で確

先生が「休みづらい」ことを考える

学校の先生は休みづらいと言われている。 学校はカレンダー通りの勤務体系なので、土日祝は休みであるが、平日は基本的に毎日開いている。そして、朝は8時過ぎから子どもたちが登校してきて、(高学年であれば)午後4時過ぎまでは残っていることもある。これは教員の勤務時間のほとんどの時間に「子どもが学校にいる」という状態である。その中で、提出物の点検、会議、研修、保護者対応、事務仕事など諸々している先生は「有給休暇」を取得している暇がないのである。 あまり知られていないが、実は学校の先生

学校教育を崩壊させる方法

「学校教育を崩壊させる方法」なんてセンセーショナルなタイトルを付けてしまったから、ご期待の諸氏を満足させる内容を書かないといけなくなってしまった。こうやって自身でハードルを上げてしまうのは僕の生来の悪癖である。これがうまく機能することもあったが、同じくらい失敗したこともあったので、その判断はこれを読み終わった後の諸氏に任せることにしよう。 さて、学校教育を崩壊させることは容易い。 それは保護者が担任の先生について「あの先生は信用ならない」と子どもに言うだけである。本当にこれ

教育イベントedu.フェスのワークショップ練習会をしてきました!楽しかった✨20歳の学生さんも手伝ってくれて、いつもと違う視点をもらえた!みんなで教育について対話して、いろんな気づきや希望をもたらしたい。その先に、変化があると信じて。

とある教師の愚痴

学校には数多くのステークホルダーが存在します。ステークホルダーとは「利害関係者」と訳される言葉ですが、ここでは「学校関係者」という意味で使わせてもらいます。学校のステークホルダーは、文部科学省、教育学者、教育委員会、地域住民、保護者、そして、子どもなどが挙げられるでしょう。最近では、「教育評論家」も増えてきた印象ですね。彼らも学校の「おかしさ」を告発することで利益を得ているわけですから、立派なステークホルダーです。 つまり、学校の先生をやる以上、上記で挙げたステークホルダー

「教育目的論論争」から教育目的のあり方を考える −ポジティブ行動支援における「望ましさ」を通して−

1 はじめに本稿は、教育思想史学会の前身である教育思想史研究会の頃に学会誌『近代教育フォーラム』上で繰り広げられた「教育目的論論争」を中心に教育目的のあり方を考え、そこから「ポジティブ行動支援」に目を向け、そこで語られる「望ましさ」について考察する。  教育哲学者ガート・ビースタによれば、学校現場では「良い教育とは何か」について語られることが減っている[1]。 代わりに、教育を「学習の言語」で語る言説が増加していることを指摘する(これを筆者は「教育の学習化」と呼ぶ)。この

学校におけるホウレンソウについて

今回の記事を書くきっかけは以下のツイートです。 これには賛否両論、たくさんの意見をいただきました。ただTwitterでのツイートの宿命として様々な解釈があったみたいで、それについては僕も反論をしたいなと思ったので、こうやって筆を取ることにしました。 まず、大前提として僕自身がまったく「報告・連絡・相談(ホウレンソウ)」をしないということではありません。そして、ホウレンソウに意味がないとも思っていない。例えば、責任の所在を個人から組織に移すという意味でホウレンソウは自衛の手

学校の先生の転職事情

3月の残りわずかのこの時期、SNS上では「退職の報告」をする教員が出てくるのも春の風物詩となりつつあります。 一方は「心労」で退職を決断された先生たちがいます。 彼女・彼らは、その業務の負担から年度途中から心が折れてしまっていたにも関わらず「責任感」という最後の手綱だけで、3月まで戦い抜いた勇者たちです。年度途中で辞めてしまうことの意味をよくわかっているからこその勇姿に、私は本当に拍手を送りたい。 現在の学校現場には、この「責任感」だけで、何とか毎日学校に通えている先生がた

学校は自分と世界を幸せにするための学び場〜新渡戸文化中学校・高等学校〜

 そこはまるで夢のような学校でした──生徒が先生とともに、自由に考え、学び、活動している「新渡戸文化中学校・高等学校」(東京都中野区)。  3月2日から3日にかけて、生徒の1年間の学びの成果を発表する「スタディフェスタ」が開催され、生徒たちの「好き」を探究した多彩な展示やイベント、ワークショップなどが生徒たちの手によって行われました。  「少年写真ニュース」にて取材させていただき、その模様は、6月18日号にて掲載させていただきました。  自分だけではなく、誰かを、そして

行列のできないクラス

背の順。 これまた不合理なシステム。 だって、人間は日々成長している生き物なのだ。 ランキングのように、背の高さだって入れ替わる。 俺の身長だって伸びる。 たとえ1㍉単位だろうと、 後ろのやつを抜いたときもある。 それなのに背の順は一度決められたら半年はそのままで、 その間に抜いた奴にまた抜かれて、 結局俺は先頭のままということになる。 おまけに整列させられて集会やら遠足に行くときは、 目の前には先生がいるものだから、 後ろのやつらみたいに気楽におしゃべりもできないの

「学力向上」に焦点化された学校教育で誰が得をするのか

学校教育は何を達成するための場所なのだろう。 こんな問いが私の頭には常に浮かんでいる。これは、最近の教育行政への違和感なのか。それとも、戦後復興から経済成長を経て「失われた◯十年」まで、実はずっと学校教育を支配してきた価値観だったのか。 「学校とは勉強をするところです」 小学生に聞いてみれば、ほとんどの子どもはこう答えるであろう。そして、これは子ども自身が考えた言説ではなく、その周囲にいる大人から「学校とは勉強をするところである」という価値観を植え付けられてきたからであろう

忙しい教師たちの授業のあり方

学校の先生は忙しい。 勤務時間前から子どもたちは登校し、勤務時間終了になっても研修や会議は終わらない。 子どもたちとの授業は楽しいが、純粋に授業のことばかりを考える時間は実はとても少ない。 では、教師は一体、何をしているのだろうか。 本校の教職員を眺めてみると、一番多いのは「ノートやプリントの点検」のように感じる。他には「保護者への連絡」や「校内会議の資料作成」や「学年打ち合わせ」などもあるだろう。おそらく、私が補足しきれていないような業務も数多くある。 学校には「校務

教育的関係における一考察〜内田樹の議論を参照しながら〜

はじめに 本稿の目的は、神戸女学院の名誉教授であり、現在は武道と哲学のための学塾・凱風館の館長である内田樹(1950-)の教育観を整理することで、その独自の教育哲学を考察することである。  内田の教育哲学は、自身が30年に渡り大学で教鞭を取ったことや、合気道の師範としての経験から精錬されていき、それは内田の数多くの著書の各所で展開されている。  その内容としては言語教育から宗教教育まで多岐にわたるが、今回の論考では主に内田による「教育の定義」と、「教育の好ましくない姿」とし

『完食指導』の問題点と副業で稼ぐマネタイズ方法を徹底解説

現代の教育現場で「完食指導」は、子どもたちの健全な食習慣を育むための重要な取り組みとして注目されています。しかし、最近ではその指導が行き過ぎた場合、子どもたちに深刻な心理的影響を与えることが問題視されています。この背景には、食べ残しを厳しく指導することで、子どもたちが食事そのものに対して恐怖や不安を抱くケースが増えているという現実があります。 一方で、この「完食指導」を副業としてマネタイズすることができるという新たな可能性が広がっています。教育や食育に興味を持つ個人が、この

教師は「子ども」を見ているか

「主体性が奪われた先生が主体的な子ども育てることは可能であろうか」 こんな命題が脳内に流れてきた。 もちろん「否!」と言いたいところであるが、文科省の教育政策を現場から眺めていると「それは可能であるし、できないのならば現場の能力が低いからだ(だから、より主体性を奪ってコントロールするしかない)」と考えているのでは無いかと疑いたくなってしまう。 学習指導要領というのがある。 教科書はこれを元にして作られており、授業時間数の規定や、学年ごとに指導するべき漢字なども載っている、

規範が欠如した教育の問題点

教育学には規範が欠如しているという話をしようと思う。 これは言い換えると「何のために教育をしているのか」という問いに対して、教育学は答えることができていない、という話である。 教育という営みは「方向づけ」である。それは、教師が子どもたちに「教える」という点からも明らかであろう。そして、教育が「方向づけ」である以上「どの方向に進んでいくのか」というのは死活的に重要な問題でもある。公教育という以上、みんなで揃って崖の方へ行ってしまうのは自滅への道である。 しかし、それができて

もしも自分が学校を創設したら:【校則】

また面白そうなお題を見つけてしまったw 【 #みらいの校則 】そうだなぁ…先ずは 《校風》 学校の全ての職員も生徒も挨拶の出来る人間になるよう指導 「ありがとう」「ごめんなさい」の気持ちを常に持つよう指導 男女共学 生徒の特性で登校時間を2種類から選択 8:15登校(朝強い生徒) 10:15登校(起立性調整障害、睡眠障害など朝弱い生徒) 自習室あり(8:30~18:00解放) 希望者は補講や補習可 掃除は学校全体で協力して行う 問題は話し合いでその日のう

目的なき教育技術への警戒

本記事で扱う論文は以下のリンクから読むことができます。 画面右側にある「PDFをダウンロード」という赤い部分をクリックしてください。 さて、本記事は「私自身のために」書かれた記事であることを始めにお断りしておかないといけない。これは、私の研究を深めるために書かれたものである。しかし、だからと言って読みにくいというわけではない(はずである)。 文章としてnoteなどで記事に出すと、それを読む人がいる。読んだ人は「勉強になった」と思うかもしれないが、当然、最も勉強になっている

宿題と向き合う

学校には宿題という文化がある。 ここで「文化」という言葉を使ったのは、宿題という言葉は、学習指導要領や文科省の文書などにはほぼ登場しない言葉であり、なんら制度的・法的根拠を持たない教育実践だからである。 宿題について各種研究を行っているという宮崎麻世も宿題について以下のように述べている。 宿題に類するものは学校にはいくつか存在していて、たとえば「通信簿(通知表、あゆみ)」などと呼ばれる、学期末に子どもたちへ配られる学業成績などを記述した用紙についても、これは法的に定められ

ジャイアンに好かれる先生、嫌われる先生

私は「真面目な児童」に好かれる傾向にあると思う。 この分析は大いに主観的であり、何も根拠はない。でも、そう感じる。 私はあまり子どもに嫌われることはないが、たまに「ジャイアン」に嫌われることがある。 今日はこのことを分析していきたいと思う。 ここでいう「ジャイアン」とは、ドラえもんに登場するジャイアンというよりは、「権力があり、自分の思うがままに振る舞うことができる児童」という想定で読んでもらいたい。ただ、たまに「ドラえもんのジャイアン」とも重ねるので、その辺の境目は曖昧

教育実践を学ぶことの危うさ

学校の先生の多くは勉強をしている時間がないほど忙しく働いているし、余暇に教育についての本を読んだり、持論をSNSへ発信したり、自分の時間とお金を使って研究会に参加したりしている先生は本当に少ない。 Twitter(新X)を見ていると、まるで先生のほとんどがSNSをしているかのような錯覚を覚えることがあるが、大多数の先生は「休みの日まで教育のことなんて考えたくない」というのが本音なのだろう。 実際、僕もリアル職場の同僚と飲みに行くことも、キャッチボールをすることも、フットサ

教育学における「規範欠如」問題に関する一考察

要旨 本論考では、まず教育学における「規範欠如」について論じる。日本における近代公教育が始まった約150年の間に、教育に対する社会のまなざしは変化してきた。それに伴い、学校教育に求められるものも変化してきたのである。 明治初期は近代国家における「国民」の育成が喫緊の課題であり、戦前までは国家主義イデオロギーを扶植するための装置にあり、昭和の中頃までは学歴社会を高く上昇していくための場所だったのだろう。もちろん、これらは時代ごとに明確に区分できるものではない。しかし、学校

教師と子どもは「対等」なのか

「教師が子どもと話すときは膝をついて目線を揃えましょう」 この手の言説は「教師の権威性」を否定し、子どもであっても「一人の人間である」ということを強調したものであろう。 教室における教師は長いこと「権力者」であった。教師は教室にいる「唯一の大人」であり、教室における立法・行政・司法の長であった。つまり簡単に言えば「独裁者」である。 しかし、それは「非教育的である」と社会から見なされた。それは「教師不信」と対をなしている。それまでは確かにあった「教師の権威性」が様々な出来

「ぼっち」はそんなに悪いのか

現在の学校は様々なことに怯えている。 それは、学校に物を申す「利害関係者(ステイクホルダー)」が多いことに起因する。 学力を上げろ、働き方改革をしろ、いじめを見過ごすな、子どもの主体性を認めろ、〇〇教育を推進しろ、などなど挙げ出したらキリがない。これらは、保護者、教育委員会、文部科学省、研究者、メディア、教育評論家の方々が学校に盛んに要求してくる言説である。 おかげで、学校はすっかり小動物のようになってしまった。 それはつまり「各方面から文句を言われないようにアリバイ作りを

「即興授業」のすすめ

実は私は大学生のときにストリートダンスをしていた経験がある。ジャンルはロックである。といっても、ロックンロールの「ROCK」ではなくて、鍵をかける「Lock」の方だ。ダンスの特徴的な動きの中に「鍵をガチャ」と閉めるような、「カチっ」という動きがあるからLockという名前になったらしい。 もう少しストリートダンスの話をさせてもらう。 ダンスには2種類の踊り方がある。 一つは「振り付け」が決まっているダンスである。複数人で踊るときには「振り」がある。だから、動きが揃う。 もう一

学力保障の闇

「学力保障」という考え方があります。 学校が子どもたちに身につけさせるべきものは「学力」であるという考え方ですね。 1981年、アメリカのレーガン大統領は「危機に立つ国家」という報告書を出していますが、その内容には、国民の識字率の低下への危機意識が叫ばれていました。 報告書には「アメリカの成人の2300万人は日常の読み書き理解テストができない」や「17歳の多数が高度な知的スキルを持っておらず、40%は文章題から推論ができず、説得力のある文章も書けない」などが述べられています

学校は変わらない?それとも変わる?

先日、ある方とお会いしてお話をしたんですが、 学校教育に関して熱くなってしまいました。 どちらかというと、反発したい気持ちが出てきて、 だから余計に、私はやはり教育に携わっていく人間なのだなと 改めて自分の思いを強くしました。 その方との出会いは、お仕事の依頼を受けて、という形だったのですが、 教育・子育てにお互いに熱い想いがあるのを知っていたので、 それを語り合ったんです。 その方は、お子さんの不登校がきっかけで、 ご自身の子育てを考え直してこられ、 そして母親教育を

教育書文化に物申す

教育書という本のジャンルがある。私自身も過去に教育書を6冊ほど出している。 教育書というジャンルは「専門書」という分類になるので、いわゆる漫画や小説や啓発本のような「一般書」ではないため、置いていない書店も多い。 実際、私の地元の大型ショッピングモールにある書店にも、拙著は並んでいない。いつか「地元の書店で自分の本を買いたい」というのが夢でもある。 教育書のターゲットはもちろん「学校の先生」である。これはニッチな領域に感じるが、小学校・中学校・高等学校などを合わせて「学校の

師を持つ意味

教育については、日本人ならば、誰でも「一家言」を語ることができる。 このように言われるのが教育の特徴だとよく言われます。 僕もたかだか14年程度の経験しかないにも関わらず、Twitter(新X)では、偉そうに自身の教育論を語っています。それに対しては、「偉そうに語るお前は、一体、どれほどのもんじゃい」というクレームをいただいたことは、これまでも度々ありました。 確かに、僕は芦田恵之介(あしだ えのすけ 明治から昭和を生きた教育実践家 作文教育の礎を築いた)でもなければ、向

大谷翔平のグローブから見る平等主義

先月、本校にもメジャーリーガー大谷翔平からのグローブが届きました。各学級でも子どもたちが直接グローブを触れるようにと、6年生の教室から順次送っていき、本日、いよいよ我が2年2組の教室にもやって来ました。 すると、学年主任の先生から、いくつかの注意点を告げられました。 ・グローブを触る時間は一人30秒 ・右手用(大)、右手用(小)、左手用と3種類のグローブがあるが、どれを触れるかを子どもは選べない ・汚れた手で触らない どれも教師視点からは、よくわかります。 3つしかないグ

生徒の「やってみたい」から、夢の実現をサポートする。兵庫県明石市に開校した青楓館高等学院の挑戦

美しく変化する。 そんな花言葉がある「楓(かえで)」を校名に含む、青楓館高等学院。 「ここに来る生徒たちはまだ青い状態かもしれないけれど、これからそれぞれの色に変化していってほしい」 校名に込めた思いを、代表の岡内大晟さんはそう話します。青楓館高等学院は、2023年4月に兵庫県明石市に開校した通信制サポート校。現在は約40名の生徒が在籍し、学校外のさまざまな立場の大人と関わるプロジェクト型学習(以下、PBL:Project Based Learning)を柱としながら、

教育の「学習化」への懸念

今回の執筆の経緯 今日のテーマは、教育の「学習化」への懸念ということを書きたいと思っています。前半は僕が考える懸念で、後半に教育哲学者であるガート・ビースタの議論を参照しながら、その問題点を考察していきたいと思います。 これを書くキッカケになったのは、以下のツイートです。 これに対して、manabinomiraiさんが以下のお返事をくださったのが直接のキッカケです。 ちなみに、manabinomiraiさんは教育書籍の編集をされておられる方で、教育に関する豊富な知見

Yononakaレポート㉕「学校」

対話型ワークショップ「Yononaka」 テーマに関する4つの問いかけ(お題)に対して、参加者は自分の意見を共有し合います。 その問いかけには正解がないので、それぞれが自分の視点から意見を共有していきます。多様な意見を聞くことで、参加者の視野は広がりますし、テーマに関する理解も深まるでしょう。 毎月1回、オンライン90分の時間で実施しており、今回は「学校」というテーマで行いました。 私たちは大阪の八尾市でロボットプログラミングスクールを運営しており、キャリア教育の一環でYo

フラットに情報シェア・対話・心からの声を。そんなオプチャを作りました。

対話やワークショップの場を作っているanalog dialogのナミと申します。【学校教育と不登校情報@山陰 オプチャ】を2024.1にOPEN。 鳥取県在住で、子どもは2人。子どもが学校に行けなくなった半年後の2021年2月から、オンライン不登校親の会・明るい不登校で、全国の情報を集めて発信をしてきました。そうしていると、山陰はまだまだ情報と繋がりが足りず、不登校の親子だけでなく先生も保護者対応や子どもへの声掛けなどで困っている状況が続いていると分かりこのオプチャを作りまし

「主体的」とは何か、を突っ込んで考える

「他者」という概念が哲学にはある。これは、「他者」の一般的な語法である「他人」以上の意味を持つ。それは「理解を絶した事柄」である。他者における「他」を、より強調しているのだ。 <他者>の人とも呼ばれるユダヤ人哲学者であるエマニュエル・レヴィナスは、「他者」の「他」性を極めた人だと言われている。レヴィナスの議論では、もはや「私」という主体は、「他者」からの呼びかけによって存在しているとまで述べる、という。これは一回聞いただけではどういうことかわからない。 生まれたばかりの赤

かがみの狐城から想起するサードプレイスの存在について

5年前の本屋大賞に選ばれた、辻村深月先生の渾身の小説「かがみの狐城」について。個人的に注目している小説家もあります。 本書の感想を過去にここで書いてました。当時はアニメ化はされておらず、昨年にアニメ化された時は、何となく予想通りという印象でした。 自分が記事を書いたのは2年前。今回はそのリライトでもあります。現在思うことを追加しながら、話をまとめることにします。 サードプレイスの存在について個人的に「かがみの狐城」を読んで想像したのが「サードプレイス」という言葉でした。

教職についてのキャリア論

そもそも私自身が教職を選んだ動機というのも、深い思考の末に辿り着いたようなものではない。6年生の時に作ったタイムカプセルを開けるという体験ができたので再確認できたが、私はその頃から教職を志していた(らしい)。 確かに「将来の夢は?(この質問は嫌いである)」と聞かれれば、「学校の先生!」と即答できた経験しかない。大学も教育大学へ進学し、周りもほとんどが教職を選んでいたので、それについて悩む機会が一切無いまま、こうして教職についている。 これについては、我が師、内田樹先生は以

【カンボジアの学校へ行こう!39】 #プロジェクト成功のカギ(2)#すべては学校長の決断次第#熱血先生応援プロジェクト(空回りしない)

◾️ 校長先生がプロジェクト成功のカギ 現在進行しているのは「州内のすべての中等学校」という大所帯を相手にした図書館と学校保健という2つのプロジェクトです。成功させる秘策。それは各学校の校長たちのモチベーションを如何に高めかるという事。 日本のシステムと違って、カンボジアの公立学校では、なんと基本的に教員たちの人事異動がありません(!)。すなわち学校における校長職は永続的で校内における影響力は絶対です。逆に言えば、校長さえ積極的になってさえくれれば、全てのプロジェクトは上

【カンボジアの学校へ行こう!37】 #全部の中学校に保健室!#コッコン州 #熱血先生応援プロジェクト(空回りしない)

◾️ プロジェクト・フェーズ2始動! 世界中でコロナを契機に保健教育の重要性が強調されてますが、それを担っていくのは「公衆衛生学」保健行政の専門家、日本で言うと厚生労働省が管轄する医療機関ですね。   実は子供の頃から「健康教育」を学習する「保健教科」のカリキュラムを国で扱っていて専門の保健教員(養護教員)がいる国ってどこの国にもあるわけではないのです。😳   その盲点を、日本財団と一緒に2020年からコロナ蔓延を予知して(ウソ)、学校保健教育を牽引する東京学芸大学の指導の

学級運営の2つのタイプ

3学期に荒れてくる学級が多い。 知り合いの学校は残念ながら、学校中のクラスが3学期になって荒れ始めているそうだから気の毒である。 これには訳がある。 それは、荒れるクラスの多くは3学期に「秩序貯金」を使い果たしてしまうからだ。4月に「始まりはキッチリと」という考えで徹底してしまった「管理秩序」という名の「教師の権威」は、子どもたちの「成熟」と「慣れ」によって、その多くが消費されてしまい、3学期にはもう残っていないのである。 このような学級運営を「管理秩序型」と呼ぶことにし

【カンボジアの学校へ行こう!35】 #保健教科=性教育!?#熱血先生応援プロジェクト(空回りしない)

◾️ 現代のコロナ。過去のエイズ。 最近、コロナウイルスという自然の脅威に晒された現代の私たち。しかし昭和世代の脳裏には、忘れかけていた記憶が甦えった瞬間でもあった。80年代末から90年代という時代を震撼させたHIVウイルスによるエイズ感染の猛威である。 当時は今以上に現代科学万能を疑わなかった世代だったし、バブルに浮かれた世相もあってか、あまり身近に感じることはなかったが、今思えば、性や同性愛といった、通常陽に当たることのなかったキーワードが身近に感じるようになったもの

質問をつくってみよう『たった一つを変えるだけ』ダン・ロススタイン、ルース・サンタナ共著

 こんにちは! 「noteの本屋さん」を目指している、おすすめの本を紹介しまくる人です!  皆さんは、より良い選択をしたり、より良い意思決定をするために必要なものは何だと思いますか?  一つは情報ですよね!  情報を得るの必要なのは、なんでしょうか?  それは「質問づくり」。  すべての悩みを解決する鍵は、実は「質問」にあります。質問の仕方を変えるだけで、すべてが解決するのです。  そんな一冊を今日は紹介しますが、この本、必読書です!  というのも、本の中で印象

教育評価と教育測定

教育評価について考えている。 一般的に、学校教育における評価という言葉は「テスト」とか「通知表」などと結びつけられがちである。しかし、本当はもっと広い文脈で語られなければならない。 教育評価の語源は「エバリュエーション」であり、この言葉には「評価は授業改善に活かされるべき」という意味合いが含まれている。つまり、仮にテストをしたとして、児童の点数が芳しくない場合は、児童の出来が悪いわけでは決してなくて、悪いのは「教師の教え方」や「教材の質」、「単元の配列」などであり、それらは

学校をつくりたい→ゆきみんスタイリング提案1_やりたいコトと連動するイメージ

/ さ: わかわか_そのままの姿 が ❝自由に生きたいのに _がまんしてる❞ そういう想いをかかててる そのひとたちの 勇気になる \ と, 起業アカデミーGrowup代表 崎本正俊さっきーさん(*さ:)に 言われ,  一夜明けた やってみたいッ と,合宿2日目朝_宣言する □◆◇■□◆◇■ Quiz1 さて, なにから ❝自由に生きる❞ って そもそも どういうこと〜 じぶんが実践してきたのは なりたいイメージの色 【静か•やさ

お仕事③

「お給料って、お金がもらえるんですか」 「もちろん」 ええーっ。どよめく、みんな。 「クラスの中で使えるお金ね」 「なんだ、ニセモノか」 「ニセモノじゃないよ、ちゃんと使えます」 何に? 「それは、君たちで考えてもいいことなんだけど、  とりあえず僕からは2つ商品を出したいと思います」 先生が商品を出すの? 「ひとつめは、おかわり優先券。  給食のおかわりのとき、  その券がある人が無条件に一番におかわりできます。  ジャンケンするときも、自動的にその人はも

「子ども」と「大人」の違い

「子ども」と「大人」の違いというは、かなり面白いテーマだと思う。最近だと、渡辺道治さんが書かれた『授業を研ぐ』でも、そのテーマで授業をした様子が描かれていた。 上記の問いを考えたときに、真っ先に浮かぶのは「私は大人なのだろうか」という問いである。そして、この問いに自信を持って答えられないあたり、僕自身の中でも「大人になりたくない」部分があるのかもしれない。 子どもというのは「いいなぁ」と素直に思う。 無限の可能性に満ち溢れている。 学級の子どもたちにいつも話すのは、「君た