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目的なき教育技術への警戒

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さて、本記事は「私自身のために」書かれた記事であることを始めにお断りしておかないといけない。これは、私の研究を深めるために書かれたものである。しかし、だからと言って読みにくいというわけではない(はずである)。

文章としてnoteなどで記事に出すと、それを読む人がいる。読んだ人は「勉強になった」と思うかもしれないが、当然、最も勉強になっているのは「書いている人」である。「読む人」はたくさんいるが「書く人」というのは少ない。それは「書く」というのが、かなりの認知的負荷を伴う活動だからである。だから、私は「書く」。書いて、自分の血肉にしたいのだ。


今回、まとめていくのは、教育思想史学会の創設当初に盛り上がった「教育目的論論争」である。これは、『近代教育フォーラム』というフォーラム(討議会)と、その内容をまとめた学会誌上で複数回取り上げられて大変盛り上がった論争である。

きっかけとなる論文が、上記で紹介した原聡介による論文である。原はこの学会の立ち上げのメンバーであり、その学会の方針を提出するという意味で論文を出したが、その内容がスリリングであり、現在の教育学の前提をひっくり返しかねないような内容であった。

以下で、その論文内容をまとめていくのだが、まずはその論文内容を、原と共に論争を繰り広げていくことになる宮寺晃夫がまとめているので、その要約を読んでみよう。

近代の教育思想および教育学は、教育の目的論(または必要論)を切り離して、教育の可能性を自己目的とする技術学として成立し、「無限発達」の名のもとで、ひたすら子どもの能力開発につくしてきたが、その開発から目的の問い直しを欠いている以上、開発が乱開発(つまり搾取)に転化するのを食い止めることができない。そうした構造的欠陥が、近代教育思想の初期の担い手から現代教育学の担い手まで(要するにわれわれ自身にまで)、受け継がれている

「近代教育学における「目的論」の位置 ー原氏提案に対する一つのコメントー」 宮寺晃夫著
『近代教育フォーラム』創刊号 1992 p25

とりあえず、この要約を読んでもらえれば、問題意識の共有はなされると思う。私自身は、ここにある「乱開発」という言葉が特に印象に残っている。

それは、私が常々、現代の学校教育を「「できる」至上主義」と感じていることと通底している。
例えば、「九九ができるようになる」というのは大切なことである。九九ができないままだと「かけ算の筆算」も「割り算」もできない。先生も、それをわかっているからこそ、あの手のこの手を使って、子どもたちを「できる」ようにする。ここまではいいのだが、それが子どもの様々な権利を奪うような形でなされていないかと危惧してしまう。
休み時間も強制的に九九を唱えさえるのは正当なのか。放課後に居残りをさせるのはどうか。宿題や課題を多めに出すのはどうだろうか。これらを「九九ができないままでは、その子自身が困るから」と安易に正当化してしまってもいいのか。

教師と子どもという教育関係においては、権力は非対称的である。つまり、教師は権力者であり、子どもは弱者である。だから、子ども側の拒否権は基本的に認められていない。そのことを織り込み済みで、子どもに学習活動を「強いる」のは、暴力的では無いだろうか。

もちろん、「できないままで良い」という、これまた安易な答えを用意しているわけでもない。「できないまま」も確かに困る。しかし、だからと言って「できるようにさせる」こと「のみ」が正解、というわけでもなかろう。
例えば、「努力したけどできなかったから、また今度がんばろう」というのがあっても良いとは思っているのだが、これに共感してもらえる教師や保護者は少ない。

原論文(原聡介氏の書いた論文)は、これを「教育可能性」として分析している。だから、よく「教育目的論論争」として引き合いに出される原論文ではあるが、そのタイトルには「教育目的」という言葉はない。「近代における教育可能性概念の展開を問う」である。

1 教育可能性という問題

では、まずは、原論文の冒頭の文章を引用してみよう。

今日の教育状況にあって、どうして教育をするのかという時に、必要だからというよりも、可能だから教育する、という考え方がかなり一般化してきているように思われる。何のためにやるのかはわからないけど、やればできるからやる。また、工夫すればもっとできるようにようなる。だから、子どもたちにわかる授業を提供するために、教育学もがんばろうではないか、あるいは教師たちもそのための教育方法を工夫しようではないか、ということになっている。

「近代における教育可能性概念の展開を問う ーロック、コンディヤックからヘルバルトへの系譜をたどりながら」 『近代教育フォーラム』創刊号 1992 p1

かなりセンセーショナルな書き出しであるし、この書き出しをもってこの論文は、将来「教育目的論」を語る上では欠かせない論文になったのだなと感じる。文章における書き出しほど大切なものはない。この書き出しだけで、筆者の滲み出る問題意識を感じることができるのだ。

さて、子どもたちはどうして学校で勉強をしているのだろうか。
この答えとして「将来の就職の選択肢を広げるため」という答えを用意している先生や保護者は多いと思う。この回答はとても実利的であり、(子どもでも)わかりやすい。
大人になるということは「お金を稼ぐことである」ということが、しっかりと内面化させられてしまっている現代人は、むしろ、これ以外の答えを持てないようにさせられているのかもしれない。
近年、キャリア教育が叫ばれているのも、学校に「キャリアパスポート」が導入されたことも、全ては「大人になったら働いて、納税者になり、経済を回せよ」という国からのメッセージである。

つまり、学校で勉強する「目的」は、「より高い学歴を獲得して、就職活動を有利に進めるため」ということになる。でも、果たして、これで良いのだろうか。何か虚しさを感じてしまうのは、私だけではないはずである。

以下、余談
(先日、テレビ番組で「刀鍛冶」に憧れる海外の人を特集した番組を見た。リクルートの会社説明会には「刀鍛冶」の会社は出てこないであろうが、そんな仕事だってあるのである。田舎では「お寺の住職」の後継者も不足しているらしい。ネットで何でもできる世の中である。田舎で住職というのも、悪くない就職先?だと思うが、そんな情報をリクルートは出してくれない)

一方、教育基本法にも「目的」は明記されている。以下に引用してみよう。

教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

教育基本法 第一章 教育の目的及び理念 (教育の目的) 第一条

うん、素晴らしい。
でも、素晴らしすぎて、ありがたすぎて、響いてこない。残らない。あまりに抽象度が高すぎる目的だと、それが意識されることはなくなってしまう。言い換えれば「何でもあり」ということになる。
先ほどの九九の事例で考えてみても、「九九ができないのは、基本法にある「必要な資質」を欠くことになるのだ」という考えも出てくるだろう。一方で、「九九を無理矢理やらせて、苦苦(くく)になっている。これでは「心身ともに健康な」という目的の部分が害されてしまう」という考えもある。つまり、目的には「意味がない」ということにならないだろうか。

原論文は、このように、「目的意識」が曖昧なままに、「教育可能性」概念が持ち込んでしまうことによって、「乱開発」が進むことを問題視している。

例えば、我々には以下のような意識が内面化されていないだろうか。
「子どもには無限の可能性がある」
「子どもの能力を様々に発展させていくことは素晴らしい」
「子どもの間は頭が柔らかいから何でもできるようになるのだ(だから、どんどんさせろ)」

どれも、子育て中の保護者には響いてしまいそうな謳い文句である。いわゆる早期教育である。これを推し進めると、生まれる前から教育をする「胎内教育」とか「胎児教育」に繋がる。「胎教に良いから」といって、妊娠中にクラシック音楽をかけるということくらいは多くのお母さんがしているのではないだろうか。

さて、このような意見に原は「何がしたいねん」と冷や水を浴びせる。

よく無限の可能性だとか、全面発達などの言葉で教育を捉え、説明するのだけれど、これらの言葉はとくに表れているように、教育のいくべき方向がはっきりしない。何に向って教育しようとするのかが不明である。つまり、目的的には、これらの言葉は何も規定していない。とにかく子どもには可能性があるのだから教育する、あるいは何事にせよ、その事の教育的意義は別として教えないよりは教えた方が良い、学ばないよりは学んだ方が良い、という理屈で、あらゆる事に教育意思が働き、それを称して全面発達などと言っているわけである。

同論文 p1

学校教育は「ポジティブリスト」になりがちである。それは、原の言葉を借りれば「学ばないよりは学んだ方が良い」という理屈である。すなわち、それは「やったほうが良いことリスト(ポジティブリスト)」に掲載され、そのリストは永遠に続くことになる。
「学校行事は作るのは簡単だけど、辞めることは難しい」とよく言われるが、これはまさに「ポジティブリスト」的発想である。「その行事には教育的価値があるのです!」と声高に叫ぶお馬鹿さんは、時間は有限であることを忘れている。
そもそも、この世界に「効果のない教育活動」なんて存在しない以上、ポジティブリストの信奉者たちは、有限である時間に無限の教育活動を詰め込み続けることになる。

二人の論者がいたとしよう。
一人は「子どもには無限の可能性がある」と言う。彼を「無限論者」と呼ぼう。
もう一人は「子どもの能力には限界がある」と言う。彼を「限界論者」と呼ぼう。
どちらが「良いこと」を言っていると感じるだろうか。

前者の概念は、まさに「近代教育学」における「発明」である。近代公教育が始まって、すべての子どもたちを強制的に学校教育へ編入した以上、近代以前のように「特権階級の師弟のみ」を教育すれば良いという状況ではなくなってしまった。

だから「無限論」というのは、そういう状況に都合が良いとも言える。生まれの良いものは学習能力が高くて、生まれの悪いものは学習能力が低いなんていう「限界論」は、悪しき時代の古い価値観なのである。

では「無限論」万歳、ということでいいのだろうか。それを警戒しているのが原論文なのである。そうやって、とりあえず進めてきた近代教育ではあるけれども、それでいいのですか、と問いかけてくるのだ。

原は「good hands」という言葉を持ち出して考えを促す。これは「すべてを知り、それを操作するもの」というくらいの解釈でいいだろう。
中世の「good hands」は神のものであった。それが18世紀のフランスになると、ルソーは立法者としての「絶対的な道徳存在」を想定し、啓蒙思想家エルヴェシウスは「啓蒙君主」の手に委ねようと言い、ルソーの「一般意志」を否定したコンドルセは「理性」を持った文人に信頼を寄せた。
さて、現代の教育における「good hands」は誰なのであろうか。GIGAを導入した、総務省や経産省か。それとも、道徳の教科化を果たした保守系の政治家か。

2 ふたつの子どもの発見

原は、ここでルソーとコンディヤックの「子ども観」を比較する。

ルソーは「子どもを発見」した人、ということになっている。原の議論によれば、ルソーは「子どもの固有性」を発見したのだ。ルソーの議論は大まかに言えば、人には「感性的な年齢段階」と「理性的な年齢段階」があり、子どもは感性的な段階の時期なのである。これが、ルソー以前は否定的な文脈で言われていたが、ルソーはそんな子どもを肯定し、承認する。

一方、コンディヤックは、ルソーの「子ども観」とは逆のものを提出する。
ルソーは子どもの感性的な段階は15歳まで続くと述べて、それまでは理性的な教育は控えよというが、コンディヤックに言わせれば、理性も感性も同時に使って理解していくと考えており、そういう意味では、知的教育を遅らせることは、それだけ子どもの学習を不当に遅らせることを意味する。
なお、コンディヤックは、「一般的な人」と「ニュートンなどの科学者」との間でさえ学習能力の上では原理的な違いはないとする。これはまさに「啓蒙思想」を基礎づける考え方そのものではないか。
つまり、「誰にでも教育可能性はある!」ということである。これは、現代人にとってはわかりにくいかもしれないが、かなり画期的な発明なのである。例えば、中世の貴族は、「貴族である自分と農民が同じ学習能力である」なんて信じられなかっただろう。
「誰でも教えれば、学習能力を伸ばすことができる」というのは、「誰もが教育を受ける」という近代公教育制度と相性が良い考え方なのである。

そういう意味では、ルソーと同じくコンディヤックも「子どもを発見」した、もう一人の人と言うこともできる。

3 Bildsamkeitの転換

さて、この後、原論文ではヘルバルト教育学の首位概念である「Bildsamkeit(陶冶可能性)」とフィヒテの主観的観念論との話題になるのだが、ここは筆者の知識不足のため、その高度な内容はまとめきれないが、その要点は以下に引用しておこう。

BildsamkeitとはBild(目的像)へ向かって進み得る可能性ということであるのだけれど、Bildがないままに非決定性から固定性への単なる移行を可能にする可塑性だけが残るという事態に道を開くことが、論理的にここに準備されるとも言えるからである。つまり、目的の外在化によってBildの操作性が発生し、そこでBildsamkeitはもっぱら操作可能性に成り下がる歯止めを失うことになるからである。

同論文 p6

私自身のわずかなる教育学の知識によれば、ヘルバルトというのは近代教育学の創始者の位置にある人である。彼が、子どもの認識という視点から、段階別教授法を編み出し、それをヘルバルトの弟子であるラインとチラーが「五段階教授法」として昇華させた。これは、現在の授業の組み立ての基礎となる発明である。
例えば、「復習→目当ての提示→問題→考察→まとめ→応用」みたいな流れは、そのままヘルバルトなどの知見を土台にしている。大正時代の学校の先生の間では、「五段五段と汗水流し、今日もお腹がヘルバルト(七五調)」というのが合言葉であったらしい。

4 教授可能性の系譜

このあと、原は、ロック、コンディヤック、ヘルバルトという流れを考察しながら「教授可能性」に論を移す。しかし、ここもまた難解であるので、そのエッセンスだけ抽出させてもらう。

原は「不安」という概念の意味の変遷に注目している。

ロックは「行動そのものを駆り立てる意志の形成要因」として「不安」を捉えていた。そして、コンディヤックは「観念形成に関わる認識行動の要因の意味」として「不安」の語を用いていた。
ロックとコンディヤックの、いずれにしても、「不安」を「人間の生存に直接関わる行動」や「認識行動を突き動かす積極的要因」としてポジティブに考えていた。

しかし、Bildsamkeit(陶冶可能性)を首位概念にしたヘルバルトになると、この「不安」の意味がネガティブなものに変わると指摘する。ヘルバルトは、「注意力を陶冶する方法」を論じるときに「不安」が注意力のコントロールにとって「邪魔」であると論じる。だから「不安」は取り除かれなければならない、と。

つまり、ロックやコンディヤックの頃は「不安」というのが「生きていくために必要」な「生の原理」であったのに対して、ヘルバルトは、「不安」を「消されるべき対象」として捉える。これはつまり、子どもの内面から生じるエネルギーを認めず、教師の操作可能性を押し出していくような「単なる技術の可能性」へと水路づけることになるのだ。

この後、原は「新教育」について触れる必要性について述べる。新教育を主導することになる「機能主義」は、「教育の過程を細分化してその任意の点における部分的機能に対応する技術体系を基礎づけ、そしてついには行動主義に転化していった経緯」こそ、「教育可能性概念」の必然の流れを見せてくれると論じる。

後にも論じるが、この部分は興味深い。
例えば、「社会性を身につけよう」というのは抽象的でわかりにくい。だから、それを細分化して方法化していくことになる。「朝は挨拶をしよう」とか「給食は静かに食べよう」とか。こうしていけば、「任意の点」においては指導がしやすくなるし、効果も検証しやすくなる。
アメリカでテイラーという人が「科学的経営」として、工場での手順を細分化して効率を上げたことと似ている。細分化して管理すれば、効率は上がる。

ここまで、方法概念として「教育可能性」を論じてきた。しかし、そこには「目的論分析」との組み合わせが抜けていた。しかし、方法概念として「教育可能性」は単なる方法概念はない、という視点も大切である。つまり、教育可能性概念のあり方には、それなりの課題生やあるいはイデオロギー性が含まれているはずだからである。

近代啓蒙思想的な立場に対して、コンディヤックは肯定的であったし、ルソーはそこにエゴイズム文化を見てとって否定的であった。

5 近代教育概念の論理的検討

(1)近代教育学の技術哲学的検討
原は近代教育における「技術」について論究する。それは、教育可能性が、方法主義的教育学の論理枠組みの中で、向かうべき方向を失っていわば物神化され、単なる技術概念へと転化している理由を探りたいからである。

そこで原はアリストテレスを引用する。アリストテレスは、科学と技術について以下のように考えていた。
科学=そうでしかあり得ないものを明らかにすること=法則性
技術=そうでなくても良いものの中で都合の良いものを選択していくこと=選択原理

もちろんこれは相互に影響を与え続けている。つまり、科学で明らかになったことは技術に転用されるというように。そして、これは教育技術も同様である。古来は、子どもに鞭を打って教育をしていたが、それよりも「競争」の方が効果があるとされれば、教育技術は進んでそれを取り入れていった。

しかし、それでも、なお技術は上記のように「価値選択性」を持っている。そして、教育とは特に価値選択的事象である(教師の価値判断が決定的に大切)。そうであるならば、近年盛んに言われている「教育技術の科学化」とか「エビデンス」という言葉には注意を払わなければならない。繰り返すが、科学は法則性を扱うが、技術に法則はない。その技術を選んだ人の「価値判断」が大いに影響している。
そういう意味で、原は、「教育における主観性のあり方」に注意を向ける。「子どもの内発的な自然の発達に寄り添って教育可能性を発展させていく」というような言明は、目的性や(教育者の)主観性を脇において、自然の原理がそうなっているとしているが、これはやはり「何も言っていない」。それどころか、ここには教育者の「戦略を隠して使う」こともできてしまう。それか、実は教育者側に、本当に目的や意志がなくても、使えてしまう。

アリストテレスが形相と質量で考えたように、目的なき教育可能性論というのは、「形相」は自然が持っており、そこにただ子どもという「質量」を流し込んでいくようなものである。しかし、実際は、「形相」である自然は何も考えていないのだ。

子どもは単なる質量、形相なき質量となり、教育可能性の前に裸のままでいるだけになる。本来、教育はどう言ったとしても、目的の外在性を前提にしなければならないのだろうけども、それを明確にできないまま、いやわれわれは内在的目的を大事にすると言いつつ、あるいはその振りをしながら、結局は何もしない。その結果、技術主義的に子どもの乱開発にひたすら従事するか、さもなければgood handsを誰か別のところ例えば政策担当者に委ねてしまい、その下請け仕事として教育学に甘んじることになる。これもまた、めでたい話しではないか。

同論文 p11

(2)近代教育概念の発生根拠の検討

次に原は、これまでにしてきた可能性概念に主導される教育状況をあえて反転させて、必要性の視点から再構成することを試みる。

その例として、原は「恩寵から教育へ」という流れを検討する。
つまり、それまでは救われるものを神が独断で決めていたのだけれど、それが、一人一人の自己保存責任の能力が問われる近代になると、その救いは普遍的にならないといけなくなる。そうして、「選ばれたものだけの神の恩寵」から「全員が受けられる教育」へと転換がなされたとする。
しかし、原はここで急いで付け足すのだが、この「恩寵から教育」という流れはよくわかっていないと言う。そこで原は、その間をつなぐものとしてルソーによる「教え込まない」と言う意味の「消極教育」に注目する。つまり、学習段階が始まる前段階として、学習能力を純化させておくという意味で消極教育があったのだと述べる。恩寵の場合には、それを受けるための「洗礼」があったように、教育にはルソーによる「消極教育」があったのだと。

最後に、原は「完成可能性の概念」について触れる。
この概念は「完成を目指す」という意味ではなく、「絶えず改善される可能性」としての意味として使われてきたとする。
ここでの「完成」というのは、おそらく「神の似姿」としての人間なのであろうが、これは18世紀的な視点である。その後、19世紀20世紀となると、そのような「(人間という)種の生存」という考えから「個の生存」へと思想的課題が写っていき、まさしく「種を捨てて、個に走った新教育運動」へと結実することになる。この移行が、教育可能性概念の進展に拍車をかけて、上記で見てきた動機づけの理論や技術の展開に刺激を与えることになった。
このことは最終的には、個体の細分化さえも意味する。そして、最後の印象的な結びの文章へと続く。

絶対者から人類へ、その種から個へ、さらにその細分化へと下降してきた道筋を、もう一度遡っていく方途はもはやないのである。それは、必ずしも絶対的世界への不毛な回帰のためのものではない。種としての本質を離れた人間存在が技術論的に細分化されることへの抵抗の方途のことである。

同論文 p13

討論における若干の補説

(Bild喪失についての内在説と外在説の関係について)

ここで、原は「助成概念」を取り上げる。議論自体はこれまでと似ているが、つまり、子どもの可能性を「助けて支援するのだ」というのは何も言ってないということを、ここでも反論する。助成概念は植物類推で語られがちである。そこから以下のように述べる。

しかしながら、可能性主導の教育状況にあって、この植物類推の欠陥が問題になるように思う。植物の場合には、たしかにチューリップはチューリップになるわけであり、目標の先在が予定されているが、人の場合にそう言えるのか。

同論文 p14

では、外在的目的の方がいいのか。たしかに、そう見えてしまう。しかし、内在的目的から切り離すことで、目標を操作可能なものにしているから、結局、目標の提示が困難な状況になってくると、結果的に「自然に従え!」のように、無目標の内在論的目的になっていくのではないだろうか。
つまり、BildなきBildsamkeitは一時期は外在論に支えられたかもしれないが、結局、内在論に立ち返ることになり、そういう意味で、相互補完的であったと原は、指摘している。

(教育関係論的問題としての教育可能性概念の分析について)

教育可能性は、「対象の属性(子ども側)」なのか「教育行為の属性(教師側)」なのかがはっきりしないという話をする。
仮にこれを子ども側の属性にすれば、教育の専横を防ぐ役割はあるが、一方、これまでの論じてきたように無目的に陥る。
そうなるとやはり、外在的目的があるならあるではっきりさせておいて、そのものの是非を論じながら、Bildsamkeitが位置付けられる方が良いということになる。
しかし、やはり、教育可能性の属性がどちらにあるかは、はっきりしない。

(近代教育学的思考方法の再検討の意義について)

ここまでの議論は「あがき」である、と原は認める。もう「どうにもならないのだ」と自覚すべきなのかもしれない。
それでもあがいてみたいのは、これまでの歴史で善玉とされてきた「子ども中心」とか「無限の可能性」とか「全面発達」とか「助成概念」などがその「なれの果て」なのだと言わなければならないからである。これらを引き続き「善玉」として扱ってもいいものか。

善玉悪玉の二項対立はやめて、内在であれ外在であれ「何を目指しているのか」を論じようではないか、と原は呼びかけて、この論文は終わる。