見出し画像

学校は変わらない?それとも変わる?

先日、ある方とお会いしてお話をしたんですが、
学校教育に関して熱くなってしまいました。

どちらかというと、反発したい気持ちが出てきて、
だから余計に、私はやはり教育に携わっていく人間なのだなと
改めて自分の思いを強くしました。


その方との出会いは、お仕事の依頼を受けて、という形だったのですが、
教育・子育てにお互いに熱い想いがあるのを知っていたので、
それを語り合ったんです。


その方は、お子さんの不登校がきっかけで、
ご自身の子育てを考え直してこられ、
そして母親教育をしていきたいと思われている方。

私も、子育てには悩んできたので、すごく共感します。

母親の在り方に正解なんてなくて、
自分でつくっていかなくてはならない。

でもそれを一緒に見つめたり考えたりする仲間や機会があれば、
なんて心強いんだろうと思う。


そんなお話の中で、
私がつい反応してしまったことがあったんです。

それは、


社会に出たら、思うようにいかないことはたくさんある。
学校はその練習の場だと思っていればいい。

学校は動かしようもないから、
それよりも、家庭で子どもを支える力をつけておくのがいい。


家庭の支え、母親の支え、それはとても大事なこと。

でもお話を聞いていると、つまるところ、


学校は苦しい場所だ

理不尽さを経験する場所だ

学校はそれ以上でもそれ以下でもない


そう言われてしまったような気がして、

それに対して私の心はものすごく反応していました。


違うのに!! って。


でも、もしかしたらそれが一般的な見方なのかもしれない?

私の夫ですら、この話をしたら、
「そう思ってるところ、あるよ」と言っていた。



でもね、そこは教員を経験している私だからなのか、

そんなんでいいはずがない!
学校の存在意義はそんなんじゃない!

どうしてもそこに力が入ってしまいます。


学校、諦められてるよ。
そんな存在になり下がってるよ。

そんなんでいいの???



私は知っています。

学校の先生たちも、一人ひとり人間で、いろんなもの抱えてて、
だから、できないことも見えないこともある。

これは、先生に限った話ではなく、人間だれしも、そう。


だからって、学校や先生の肩を持ちたいわけじゃない。

あくまでも、


学校・教育は、

20年後、30年後の、想像もつかない未来を
生きていく、生き抜いていく子どもたちのためにある。


だから、甘えたまんまじゃいけない。
一生懸命やってるから、それでいいでしょ、じゃあいけない。


そう思っている。


でも、

やりたくてもやれない、変わりたくても変われない
実情も、知ってしまっている・・・


言い訳と言われたらそうなんです。

やってる人はやってるし。


公教育に違和感を覚えて、辞めて、
外で教育を展開している元先生もたくさんいる。

学校の中にいながら、
学校単位で少しずつ改革をしたり
新しい教育を模索・実践している先生もたくさんいる。

だけど、大きい勢力に勝てない、なんてことも多々。。。


そんなふうに行動していなくても、
教育に携わっている方は、みなさん
「子どもたちのために」と考えて一生懸命やってる。


でも、外から見たら、


もう変わるはずがない
学校に期待は持てない


そう見えてしまうんです。
悲しいかな、それが現実。


ただ、やっぱり、

「子どもたちのために」って

思っていればいいわけではない


そのやり方が本当に子どもたちのためなのか?
今の時代に合ってるのか?
30年後の子どもたちの生きる力になっているのか?

本当に現状のままでいいのか???


過去のやり方に縛られずに、
今や未来を見て、
教育を考えているのか。

アップデートしているのか。


そこが問われているのです。


だって、不登校がこんなに増えてるんですよ。

不登校は親の責任なんて話題もありますが、

学校がもっともっと魅力的だったら、
家にいるより、スマホみるより、
行きたい!って思える学校だったら、
こんな状態になっていないと思うんです。


1年生の息子は、最初こそ、
学校に拘束されてる感を覚えて、行かない日がありましたが、

今は友達と遊ぶことが彼にとっての「魅力」で
授業はやりたくないけど我慢して、
遊ぶことを目的に行くようになりました。

(字を書いたり計算したり、何もできなかった息子が、いろいろできるようになり、かなり伸ばしてもらってるのも感じています。先生に感謝です。)

今、学校に行っている子の多くも、
休み時間が何よりも楽しみだという声も聞きます。

それもいいと思う。

人によって、魅力を感じるもの、心が欲してるものは違うから。


だけど、

学校は「学ぶ場」であるから、
「学び」に関してもっともっと心をわしづかみにするようであってほしい。


それが学校の真価なんだと思います。


学びといっても、教科学習だけでなく、
自他についての人間理解を深めたり、
コミュニケーション力や交渉力など人間関係力を磨いたり
大きくなれば仕事観や人生観について考えたり、
世界と自分との関りとか、

昔とは違って、
今の時代に合った必要な学びがたくさんあります。


それは、やはり家庭だけではできないこと。

学校だから、できること。


でも、同時に、家庭での基盤づくりも大事で。

自分をしっかり見てもらえる環境で
自分は大切にされている、愛されているっていう
自己肯定感、自尊心、
その土台をつくれるのは家庭。

これは家庭の存在意義だと思う。


学校でいろんなチャレンジをする。失敗も経験する。

そんなとき、もちろん学校もフォローをするだろうけど、
家庭の支えが一番安心できるもの。


だから、

それぞれの役割があるんだと思う。


私は、上層部の方は知らないですけど、
現場にいる先生たちの力があれば、
できないことはないと思っています。

あくまでも私の見解ですが。

そこを信じているから
学校への希望を捨てずに活動しているんですね。



どっちがいいとか悪いとか、
誰が悪いとか、

そういうことではない。


私はたまたま学校の内実を知っていて
こんなふうに考えているし、

この方は、家庭の基盤を強めていくこと、
ご経験からそれが大事なんだと考えている。


どちらも真実。

どちらも大事。


そう思ったら、

私は学校にアプローチしていくけど、
家庭教育も基盤を固めようをやってくれている人がいれば、

こっち側ばかりがんばらなくてもいいじゃん。

ちょっとくらい穴があってもいいじゃん。

その方が楽にやれそうじゃん。


そんなふうに思えて、
最終的には、


両輪で行きましょーー!!!


ってかなり盛り上がりました!!笑



どっちが正しいとか
どっちが悪いとか

そういう視点で考えてしまうと、
やっぱりどこかネガティブな空気をまとってしまうけど、


自分ができること、
自分がより大切に思うこと、
自分の力がより発揮できることにフォーカスして

やっていけばいいんだな。

そうやっていくしかないな。


そんなふうに、ふっと肩の力が抜けた感じがしました。



教育も、家庭も、

子どもの育ち というところでは一致しています。


その環境が、子どもたちの生きる力を育めるものであるよう
これからも活動がんばっていきます!



みなさんは、学校は変わると思いますか?
それとも変わらないと思っていますか?

ぜひコメント欄でお考えを聞かせてもらえたら嬉しいです!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?