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教育実践を学ぶことの危うさ

学校の先生の多くは勉強をしている時間がないほど忙しく働いているし、余暇に教育についての本を読んだり、持論をSNSへ発信したり、自分の時間とお金を使って研究会に参加したりしている先生は本当に少ない。

Twitter(新X)を見ていると、まるで先生のほとんどがSNSをしているかのような錯覚を覚えることがあるが、大多数の先生は「休みの日まで教育のことなんて考えたくない」というのが本音なのだろう。

実際、僕もリアル職場の同僚と飲みに行くことも、キャッチボールをすることも、フットサルをすることもあったけど、教育談義に花咲かせることはほとんど無い。教育について同僚とする会話の内容はどこまで行っても「実務的」なものである。
「次の授業、あと何時間で終わりそうですか」
「図画工作の授業の進め方は、どうされますか?」
「参観の教科はこれでいきましょう」

だから、「余暇に教育について学ぶ」というのは、実はそれだけで教員自身の「ステイタスが高まる」感覚というのがある。これは悪くないと思う。惰性で働いている先生がたくさんいる中で「私は教育と真摯に向き合えている」という自己肯定感は学ぶ動機としては悪くない。
受験シーズンよりも少し前、まだ周りがやる気になっておらず遊び呆けている段階なのに、自分だけは先を見越して勉強をし始めた時の感覚に近いだろうか。

教育学は奥が深い。大学などで学んだときには全く感じなかったけど、働いてから、改めて学び直してみると、その有用性に驚かされる。
学べば、目の前の出来事への解釈の幅がぐんと広がる。これは、受験勉強の比ではないだろう。今日学んだことが、明日の仕事にすぐに役立つこともたくさんある。上記のような自己肯定感を高める動機で学び始めたとしても、いずれ「もっと知りたい」となって、周りの先生はどうでもよくなるだろう。学ぶことが自己目的化してくるはずだ。

でも、残念ながら、これは良いことばかりではない。
「周りが知らないことを、私は知っている」という状態は、実は少し「危うい状態」なのである。端的に言えば、「私は真理を知っている」というのは、宗教的感覚に近いのである。

教育と宗教は近いものがある、というのはOECDなどでの勤務歴もあり、海外の教育文化にも精通している岡本薫氏の見解である。岡本氏は、他国の人に日本の教育事情を説明するときの常套句を以下のように記している。

教育に対する日本独特の考え方に初めて接し、困惑している外国人に対しては、これらをひっくるめて「日本では、教育というもの自体がひとつの『宗教』であって、日本人はイデオロギーの差異に関係なく、全員が『教育教』の信者なのです」と説明するのが、理解を得る上で効果的だ。

『日本を滅ぼす教育論議』 岡本薫著 講談社現代新書 2006

学校の先生という職業を「聖職」と表現する辺りにも、この日本人の「教育教」的信仰を読み取ることはできるだろう。岡本氏に言わせれば、海外は教育に対してはもっとフラットに関わるみたいで、例えば、学校教育は「知識・技能」を得るための「手段」と捉えている人もいるらしい。このようなクールな考え方は、近年、日本の学校教育にも広まりつつはあるが、やはりどこかで拒否反応を覚えてしまう人も多いだろう。
日本では、当たり前の「清掃活動」も、明治の学制当初は「予算不足」から始まったものであり、何ら教育的意義などは無かったはずであるが、今では「掃除を通して心を磨く」なんて考えている教員も多数いるはずである。ある活動に、いつの間にか「教育的要素」を見出すあたりも、教育教の特徴なのかもしれない。

話を戻すと、日本においては、教育と宗教は似ているということだ。
そして、それは宗教の注意すべき点さえも教育には孕んでいることを認識しなければいけないということにつながる。

宗教はこれまでの歴史において「争いの中心」になり続けてきた。いや、パレスチナ問題をはじめ世界情勢を見る限り、それは現在進行形なのだろう。どうして宗教は争いの中心になるかといえば、それは「一神教」が強い勢力を持っているからである。
自分の世界には「唯一神」しかいないのだ、と信じる宗教が二つあれば、それはもう争いのきっかけとしては十分である。隣の宗教は別の神を信じるわけで、これは自分の宗教の否定だからである。
多神教ならば、こうはならないはずである。世界には神がたくさんいるという日本の古来の八百万信仰はなんと穏当なことか。

一神教は排他的なのである。他の信仰を認めることができない点で、争うしかないのである。そして、これはそのまま「私は真理を知っている」という「少し危うい状態の先生」にも当てはまってしまうのだ。

教育実践にはどこまでも「不確実性」が伴う。
あちらでうまくいった実践が、こちらではうまくいかないなんてことは当たり前のことなのである。
教育は「複雑系」だ。関連する要素が複雑に入り組んでいるため、自然科学的な実験はできない。
ジャガイモの葉にデンプンができているかを実験するには、2枚の葉を選んで実験すれば良い。ジャガイモの葉には個体差が少なく、それぞれの葉の状態はほとんど同じである。
でも、ある教育実践の成果を計ることは困難である。その子たちが「学校の外側」で何をしているかまでは統制できないし、その子たちの「生育歴」を統制するというのはもはや狂気の沙汰である。

もちろん、アメリカではこの手の実験は盛んに行われている。
ある学校を選び、そのクラスの一方には特定の実践を行い(実験群)、もう一方にはその実践を行わない(統制群)ようにする。それ以外の条件を揃えて、一定期間を置いてから、効果測定をする。
もちろん、この実験に効果が見られれば、統制群のクラスにも後日同じような実践をするなどの配慮はあるみたいだが、それでも、この手の「教育実験」を認める風土は今の日本にはないだろう。

しかし、この手のアメリカの実験の成果で得られたものには「エビデンスがある」というラベルを貼られて日本に輸入されてくる。そして、それを学んだ先生はまさに「開眼する」ことになる。

「そうか、この手法には『エビデンスがある』のか!」

これは、不確実性が伴う教育実践の中で「困惑している先生」には「真理」として映ることだろう。

・言うことを聞かない児童
・教えても身につかない児童
・協調性のない学級
・争いが絶えない学級

このような悩みを抱えている先生が、ふと手に取った本に書かれていた「真理」。これが悪いことかどうかを私は判断ができない。しかし、状態的に言えば「危うい」と言うのは分かる。

実際、上記のような悩みで「ギリギリの先生」と言うのは現場にはたくさんいる。特に2学期の後半にもなれば、その手の学級は山のようにある。ここまで半年くらいかけて、徐々に崩れていった学級である。それを立て直す即効薬はない。同じくらいの時間をかけて治していくしかない。でも、学級は一年で終わる。だから、一度傾いて仕舞えば、あとは最後まで何とか「崩壊しないように粘る」しか無くなるのだ。

そこで、手に入れた「真理」である「エビデンスのある教育実践」。何やら「子どもの行動がみるみる変容していく」らしい。読むと「多数の成功事例」もあり、日本中で実践されているらしい。
「これで一発逆転よ」と言う先生の気持ちがわからなくもないが、それは恐らく叶わない。なぜなら、この先生は、もう「目の前の現実」を見ることができなくなっているからだ。この先生が見ているのは、「エビデンスがある」と「多数の成功事例」だけである。「クラスの子どもたち」を直視できない結果、たどり着いた「真理」なのだから、これはもう当然である。

日本の教育には、これまで様々な教育実践が生まれてきた。そしてその多くは「現場の先生」から生まれたものである。これは本当に驚くべきことである。日本の教育書文化の特徴として「執筆者が現場の先生」というのがある。諸外国では執筆者は「研究者」らしい。

しかし、方法や技法が先行してしまうと、教育実践は「危うく」なる。私はそれを体感している。その事例を述べさせてもらおう。

A先生は、非常に勉強熱心であり、学校外の教育実践勉強会にもよく参加していた。実践内容は周りとはもちろん異なる。その独自の指導スタイルは目を引くものばかりであった。
一例を示せば、
・体育の授業でもスーツを着て指導する
・授業のテンポが早く、児童と先生の「掛け合い」が超高速
・規則の徹底がすごい「筆算の線は定規!」など、いくつもスローガンが掲示
・学級通信を毎日発行 子どもの頑張りを写真付きで報告

初年度は問題が表面化することはなかった。むしろ、一部の保護者には「熱烈なファン」もいたそうである。外から見ていると「学級の一体感」がすごかった。体育の授業の終わりにすれ違った際には「逆上がりが全員できたね!A先生の教えた通りにやったらできたね!すごいね!」と大人しい女の子が鼻息荒く語っていた。

しかし、次年度から問題が表面化し出した。
まず、「理科専科」の授業が荒れ出した。後日談ではあるが、これは前年度から荒れていたらしいが、その専科の先生が何とか食い止めていたらしい。
専科というのは、その教科だけを教える先生である。高学年になると、理科や音楽科は「専科教員」が教えることになる。
理科の授業が成立しなくなってきたので、専科の先生が、学級担任であるA先生に助けを求めると「それは、あなたの指導力が足りないからでしょう。私には仕事があるので、関与しません」と断られたらしい。

そこで様々な先生が、その理科の授業に入り込むも、火消しをすることはできなかった。結果的に、この複数の先生の入り込みにより「事態の異常さ」が校内に知れ渡ることになった。火を使わせればノートを燃やしたり、薬品をクラスメイトにかけてみたりと、もうそれは悲惨な状態だったらしい。そして、それを誰も止めることはできずに、次の先生が続々呼ばれるようになったのである。

そうして、当時、別の学年の算数科を担当していた私も呼ばれることになった。結局、私以降は新しく先生が呼ばれることはなかったのではあるが、もうここからが大変であった。
その大変さを端的に言えば、学級の児童の中に「王様」がいたのである。この王様は「A先生のお墨付き」をもらっているのである。だから、好き勝手に振る舞うことができる。何かあれば、A先生が助けてくれるという安心感があったのだろう。実際、A先生は病気休暇で倒れるまで王様である児童を擁護し続けた。さらに、王様には「家来」が3人いて、主にこの「4人組」が中心となって荒らしていたのだ。

どうやら、A先生の授業も至る所で崩壊していたらしい。周りの先生も、「それは良くないから辞めたら?」と提案するも、A先生はそのアドバイスを聞くことができず、あくまで「自分の実践」にこだわっていた。
そして、王様と家来たちには、言うことを聞いてもらうために、「特権」が与えられていて、それで何とか表面化せずにいた、ということらしい。実際、学級の授業にも入り込むようになると、教室側方には机を積み重ねた「バラック小屋」ができていて、中で王様たちはオヤツを食べていたこともあった。その小屋を壊そうとすると、王様と家来たちは狂ったように暴れるのであった。

結局、A先生は、熱狂的な支持者である数名の保護者とSNSで繋がっており「学校の先生たちが結託して、私を辞めさせようとしています。助けてください」などと訴えたりしたが、別の児童に対するいじめ問題も発覚するなど、もうどうしようもなくなった2学期後半に病気休職を取ることになった。そうして、私がそのクラスを引き継ぐことになったのだが、この話はまた別の機会に。


A先生は本当に勉強熱心ではあったが、同時に「妄信」してしまった。何に妄信していたのか、今となってはわからないままではあるが、私は「教育実践そのもの」に妄信してしまったのではないかと分析している。
確かに、「全員がうまく自画像を描けるようになる指導法」などはある。たくさんある。しかし、それがうまくいかなかったときに、その責任はどこにあるのだろうか。実践自体の効果が検証されているとされている場合、それを正しく実践した先生は免罪される。つまり、残ったのは「正しい実践に対して、正しく反応できない子どもたちが悪い」とはならないだろうか。そして、その末路が良いことにならないことは、また自明なのである。

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