- 運営しているクリエイター
#コラム
つまらないかも?読者はあなたではありません。
noteの連続投稿を始めて200日以上が過ぎた。
「さて、何を書こうか。」
noteを書いている人なら一度は、いや度々思うことだと思う。
私は日課のようにそう思っている。
200日中160日くらいはそう思っていたかもしれない。
そして誰もが思う「何を書こう」よりは頻度は低いかもしれないが、時々こんなことを思わないだろうか。
「この話、別に全然面白くないな。やめようか。」
何度”私は面白お
想いが救ってくれたりする
コンセプトもそれらしくて、数字も整ってて、分析もちゃんとされてるのになんだか気持ちが乗らない企画ってある。企画のための企画。
乗らないというか乗れないというか。そんなの何も考えずにやることが「正解」なのも知ってるんだけど。
何がそうさせるんだろう。いろいろ突き詰めていくと、ぶつかるのが「想い」の不在だ。想いとか言ってしまってるけど。
企画のアーキテクチャも成り立ってるし、マーケットの要因や各
ゆっくり堂々と渡ればいいんだよ #教養のエチュード賞
旅に出たからといって、そんなにドラマチックなことが起こるわけじゃなかった。
初めて行った海外はエジプト。
そこでも、決して何かドラマチックなことがあったわけじゃない。プロフィールをキャッチーにするために、想像の余地を残して書いているけれど、別にエジプト出身の夫と、そのとき出会ったわけでもなんでもない(普通に、日本でMeetUpで出会いました…笑)
それでも、エジプトで過ごしたほんの少しの時間は
信頼できる書き手は「声」を聴ける
苦しい文章と苦しくない文章がある。書いてても読んでてもね。
じゃあ、その文章はどこから生まれるのか。そんなの書き手の中からでしょと思うかもしれない。
たしかに文章生成的なAIを使ってなければ、書いてる人の中から生まれる。のだけど、そうやって生まれる文章にも息ができてるのと、息が上手くできてないのがあって。
息が上手くできてない文章は、なんていうか文章そのものの呼吸が浅い気がする。読むのもちょ
ちゃんとした孤独を持つこと
「ふみぐらさんも孤独をちゃんと持ってますね」
正確には覚えてないのだけど、この前そんな感じのことをある人に言ってもらえてうれしかった。
孤独がうれしいって変に思われるかもしれない。そうだよね。世の中的には「孤独」はネガティブに扱われがちだから。
だけど、なんだろう。この場合の「孤独を持ってる」は、なんていうかもっとフラットなものだと思う。孤独は個性みたいな無理のあるネガポジ変換じゃなく、良く
文章の「いい違和感」は捨てなくていい
きょうは「書くこと」についての短いメモ。最近、つらつらと考えている。違和感について。
体調とか人間関係とか、環境とかの「違和感」は結構センシティブな問題をはらんでたりするので、基本、違和感は解消すべきものとされてる。
文章もそうだ。ビジネスに近い文脈の文章、あるいは「情報」としての価値が大事になる文脈では、文章の違和感はあまりよろしくない。ときには書き手と読み手の双方に致命的なことにもなる。
書くことで疲弊しないために
100%の自分で書くことは本当に救いなのだろうか。
noteで書いていて矛盾するように思えるかもしれないけど。
ライターとして仕事で日々ものを書いているのは、変な言い方だけど半分の自分で書いている。自分が100%で書くのはほぼない。
もし、100%の自分で書き続けるとしたら、どこかで筆が止まるか倒れると思う。それぐらい書くことは自分を使うことだから。
こういうふうに書くと、半分しか自分を使
書くことで迷子になったひとへ
なぜ文章を書くのだろう、とたまに思う。
ずっと文章を書いている。純粋な仕事でも、その枠を超えて生き方としての仕事でも。
一応、プロとして名刺を持って文章を書くようになってまあまあ長い。いや、べつにいまの時代だから物理的な名刺はあってもなくてもいいし、それより「自分の見せ方とか見え方」のほうが大事って話もあるのだけど。
で、ライターの場合、書き続けてポジション的に「偉く」なることはごく一部の書