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書こうとしても何も書けないならそれが現時点での自分の能力である。だから自分が「今」「現時点できること」を積み重ねるしかない。
例えば、「文章力をつけるために毎日noteを書こう」と目標を立てても、大抵はいつか何も思いつかない日がきて書けなくなる。これはやる気がないとかそういう問題ではなくてそもそも現時点での能力がそれってだけ。
あと「noteを毎日書く」といっても何文字書くのか?でも変わってくる。
例えば、「noteを毎日書く(800文字以上)」で書けないなら、それは現時点の自分にとって行動目標が高すぎるということ。
過去の恨みも未来の不安もいらん。「今自分がどうありたいか」を考え行動する。それだけである。
「ああなったらどうしよう」(頭の中の未来への不安)
「あの時のアイツ許さん」(頭の中の過去への恨み)
「声かけようかな?やめとこうかな?」(頭の中の未来への不安)
「嫌われてるかな?どう思われてるかな?」(頭の中の妄想)
日頃頭で考えてること。全部他人へのネガティブなことである。
そしてそれは全部実際に起きたことではなく頭の中で起きていることである。
過去はもう存在しない。(頭の中の妄想でし
人をジャッジして下に見ても自信はつかないし、その厳しいジャッジは自分に返ってくる。
相手が嫌な奴ならジャッジしてもいいかというとそうでもないみたいだ。
例えば知り合いや同僚に対して、「あいつは嘘ばかりつく」「あいつは幼稚」「あいつは自己中」「あいつは承認欲求強すぎ」
こういう批判をする。
誰かを批判をするということは、「それに比べて自分は大丈夫」という前提になる。だが本当にそうか?
人を批判した時点で、人として大丈夫というラインを勝手に自分で設定している。当然自分はそのラ
不機嫌な弱者に影響されて不機嫌になる自分もまた弱者。
職場にいつも不機嫌な人がいる。
その人を見て、「そんなことで怒るなんてなんて幼稚なんだ」「めんどくさいなあ、感情のコントロールができないのか」と思う。そして家でもその人のことを考えて恨む。
だが実はこう思ってる自分もまた、態度には出さないにせよ不機嫌になっているのに気がついた。そう、自分も感情のコントロールができていなかったのだ。
職場なんて自分と合わない人、いつも不機嫌な人がいるのは普通の
生きづらさの元凶の自己嫌悪は、他者がいなければ成り立たない。
自己嫌悪がほとんどの生きづらさの元凶だと思う。そして自己嫌悪というのは、他者がいなければ成り立たない。
「みんなに微妙な奴って思われたらどうしよう」
「みんなの反応が悪かったらどうしよう」
「何でこんなことしないといけないんだろう」(他人に比べて)
だから人の目を気にする人ほど自己嫌悪になりやすい。人をバカにすることで自分はマシだと合理化しようとするが、それらは全て自分に返ってくる。(自分もバ