なつき日記【哲学】

心身共にタフになるための小さな習慣をコツコツやれば、確実に仕事や人間関係などによる生き…

なつき日記【哲学】

心身共にタフになるための小さな習慣をコツコツやれば、確実に仕事や人間関係などによる生きづらささが軽減されていくはずだ。そのために得た知識と試行錯誤をここに記す。

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過去の恨みも未来の不安もいらん。「今自分がどうありたいか」を考え行動する。それだけである。

「ああなったらどうしよう」(頭の中の未来への不安) 「あの時のアイツ許さん」(頭の中の過去への恨み) 「声かけようかな?やめとこうかな?」(頭の中の未来への不安) 「嫌われてるかな?どう思われてるかな?」(頭の中の妄想) 日頃頭で考えてること。全部他人へのネガティブなことである。 そしてそれは全部実際に起きたことではなく頭の中で起きていることである。 過去はもう存在しない。(頭の中の妄想でしかない)過去いた人物ももうここにはいない。もう会うことがないのなら自分にとっては

    • コミュ力がなぜ重要なのか。なぜコミュニケーションは難しいのか。(書き殴り)

      まず、何を話したらいいかわからん問題がある。 仲の良い人と話が弾むのは素の自分を出せるからというより、共通の話題が多いからだと思う。 自分は仲の良い友人とは共通の趣味のゲームや麻雀の話ばかりしていた。あはあ〜だとかこーだとか別の友人のこと。ずっとそういったコミュニケーションばかりしてきたので、それ以外のコミュニケーションのやり方が未熟なのだろう。 だから職場とかのあまりお互いを知らない同士だと、「この作業って〜だよね」とか「この作業ってどうやるんですか?」とかそういった

      • 職場で楽に働くにおいてどれだけコミュ力が大切かを見てきた。コミュ力が高い人はほとんど素の自分で働けている。人間関係に無駄なエネルギーを使わないのでミスも少なく判断も早い。そして疲れにくい。活力がある。そんなイメージだ。

        • 人をジャッジして下に見ても自信はつかないし、その厳しいジャッジは自分に返ってくる。

          相手が嫌な奴ならジャッジしてもいいかというとそうでもないみたいだ。 例えば知り合いや同僚に対して、「あいつは嘘ばかりつく」「あいつは幼稚」「あいつは自己中」「あいつは承認欲求強すぎ」 こういう批判をする。 誰かを批判をするということは、「それに比べて自分は大丈夫」という前提になる。だが本当にそうか? 人を批判した時点で、人として大丈夫というラインを勝手に自分で設定している。当然自分はそのラインを下回ってはいけない。そしてそれが他人の目を気にする原因になる。 「自分は

        過去の恨みも未来の不安もいらん。「今自分がどうありたいか」を考え行動する。それだけである。

        • コミュ力がなぜ重要なのか。なぜコミュニケーションは難しいのか。(書き殴り)

        • 職場で楽に働くにおいてどれだけコミュ力が大切かを見てきた。コミュ力が高い人はほとんど素の自分で働けている。人間関係に無駄なエネルギーを使わないのでミスも少なく判断も早い。そして疲れにくい。活力がある。そんなイメージだ。

        • 人をジャッジして下に見ても自信はつかないし、その厳しいジャッジは自分に返ってくる。

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        • 没頭して書いた記事
          1本
        • 不安症を改善する方法まとめ
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        • 仕事が楽になる方法まとめ
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        • 毎朝を充実させる方法
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        • 目指したいキャラクターメモ
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        • 禁酒のコツまとめ
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        記事

          不機嫌な弱者に影響されて不機嫌になる自分もまた弱者。

          職場にいつも不機嫌な人がいる。 その人を見て、「そんなことで怒るなんてなんて幼稚なんだ」「めんどくさいなあ、感情のコントロールができないのか」と思う。そして家でもその人のことを考えて恨む。 だが実はこう思ってる自分もまた、態度には出さないにせよ不機嫌になっているのに気がついた。そう、自分も感情のコントロールができていなかったのだ。 職場なんて自分と合わない人、いつも不機嫌な人がいるのは普通のことだ。その人達ににいちいち影響を受けて怒ったりメンヘラになってどうする。「みん

          不機嫌な弱者に影響されて不機嫌になる自分もまた弱者。

          オドオドしていると、強いふりした弱い奴に狙われる。

          オドオドしているとなぜ性格の悪いなヤツが寄ってくるのか? それは、弱いものイジメが好きな人は、誰かをいじめることで自分の劣等感を誤魔化せるからである。 いい意味でも悪い意味でも弱者同士は引かれ合う。 今思えば、私が引っ込み思案でビクビク、オドオドしていた頃、必ずと言っていいほど性格の悪いヤツが寄ってきたりターゲットにされた。 ・成績の悪い不良。私も成績悪いのを確認して喜んでいた。 ・私と同じでオドオドしたヤツ。愚痴や悪口が多かった。 ・小学校時代の後輩。会うたびに私を

          オドオドしていると、強いふりした弱い奴に狙われる。

          私はなぜ卑屈な生き方をしてきたのか?コミュニティーで足でまといだと、卑屈になりやすくなる。

          私はなぜ卑屈な生き方をしてきたのか? それは私が、コミュニティーごとに必要な能力が低かったからだと思う。 学生生活での能力 <コミュニケーション能力が低い> 母子家庭の一人っ子で育ってきたので引っ込み思案で他人が怖く、人との接し方が分からなかった。加えて、HSP気質で神経過敏なので集団の中にいるだけで消耗していた。ずっとオドオドしていたので不良っぽいヤツにいつもよく虐められていた。下級生の性格が悪いヤツにも舐められていたのを今でも覚えている。中学生時代は引きこもっていた

          私はなぜ卑屈な生き方をしてきたのか?コミュニティーで足でまといだと、卑屈になりやすくなる。

          幼少期にインストールされたメンヘラになる価値観を更新する。

          メンヘラはなぜメンヘラなのか? 性格は50%近くは遺伝らしいのでそれは仕方がないとして、それ以外は環境で構築されたということだ。 例えば ・親からの影響 ・周りの人間関係 ・学校教育 いい意味でも悪い意味でも親からの影響が最も大きいと思う。これは当たり前で、生まれた瞬間から20年近く、親の考える価値観を徹底的に教育されるのだ。 悪い例でいうと ・自分を犠牲にしてでも人に迷惑をかけてはいけません。 ・あんたには無理よ。 ・あんたは頭が悪いんだから無理よ。 ・Aくんは

          幼少期にインストールされたメンヘラになる価値観を更新する。

          人と関わると自己嫌悪になる原因と改善方法を考察。

          前提として、ある程度空気を読む必要はある 一時期、「人にどう思われるかなんて気にするな」という風潮が流行ったが、もし全く気にしなかったらどうなるか? ・職場やプライベートで悪口や愚痴を言いまくる ・自分と違う意見の人がいたら「それはおかしい」とすぐに否定する ・うまくいかなかったら他人を責める ・太ってる女性に「デブだね」という これは極端に感情が幼く性格も悪いが、このように感情をストレートに相手にぶつければ良好な人間関係は難しいだろう。だから空気をある程度読むことは

          人と関わると自己嫌悪になる原因と改善方法を考察。

          部屋に引き篭もっていると高刺激なものでしか心を満たせなくなる。

          「休みだから部屋でダラダラしよう」が不幸の始まり。 なぜか? 部屋でいると当然ヒマになる。特にこれといった主務がない場合やることは とりあえず何を労せずとも超手軽に暇を潰せるYouTubeをダラダラ見る。 ↓ 疲れてきたら気分転換にSNSを見る。そこで映るものは「有名人のゴシップ」「他人の愚痴」「キラキラ投稿」「エロ広告」 ↓ 何か自分も面白いことをつぶやこうと30分ほど悩んで投稿。 ↓ 反応が気になり逐一「いいね」がないか確認。誰からもいいねされなくてメンヘラになる。

          部屋に引き篭もっていると高刺激なものでしか心を満たせなくなる。

          自分のメンタルが以前より強くなったかどうかすぐわかる方法。

          「メンタルが強くなりたい」 という目標がある。 だけど、何をもってメンタルが強くなったと言えるのだ?と思った。 収入とかフォロワー数とかなら具体的な数字がわかる。でもメンタルの強さは数値化できない。 それに、何をもってメンタルが強いというのかは人によって微妙に違ったりする。例えば「人に嫌われるのが怖い」「すぐ不安になってしまう」「人にちょっと指摘されるだけで自分はダメだと思ってしまう」など様々だ。 ではどうしたら「以前よりメンタルが強くなったな」と認識できるのか?

          自分のメンタルが以前より強くなったかどうかすぐわかる方法。

          自分にとって人生とは「他者にどう思われるか?」を乗り越えていくこと。

          僕はネトゲのコミュニティーの運営、主催をしている。とはいっても全く大それたものではなく、ただのネトゲサークルの幹事みたいなものだ。 ゲームを主催している時間は自分にとってとても楽しい時間だ。 鯖運営をやっていて特にいいなと思うことは、ルールをある程度決めれること。基本的に自分に気の合う人達が寄ってくること。自分主体で能動的に「今日はこういうルールで遊びましょう」とリーダーシップをとる経験が得られることだ。 ただ自分にとって大きな課題がある。 それは主催をやっていると、

          自分にとって人生とは「他者にどう思われるか?」を乗り越えていくこと。

          生きづらさの元凶の自己嫌悪は、他者がいなければ成り立たない。

          自己嫌悪がほとんどの生きづらさの元凶だと思う。そして自己嫌悪というのは、他者がいなければ成り立たない。 「みんなに微妙な奴って思われたらどうしよう」 「みんなの反応が悪かったらどうしよう」 「何でこんなことしないといけないんだろう」(他人に比べて) だから人の目を気にする人ほど自己嫌悪になりやすい。人をバカにすることで自分はマシだと合理化しようとするが、それらは全て自分に返ってくる。(自分もバカにされてるんじゃないかという形で) 人は社会的な生き物だ。他者との関わりなし

          生きづらさの元凶の自己嫌悪は、他者がいなければ成り立たない。

          承認欲求に呑まれて時間もメンタルも失った。

          YouTubeで2時間くらいかけて動画を作った。 身内にはすごくウケた。承認欲求をすごく満たせたわけだ。その夜は興奮してなかなか寝付けなかった。翌日は睡眠不足。 そして暇さえあればその動画を何度も見た。「我ながら面白いの作れたな〜」と悦に浸る。ただ、その快楽は一過性のものに過ぎない。 お菓子を食べて「おいし〜!」と食べてる瞬間だけ快楽があるのと同じような感覚だ。 承認欲求は瞬間の「ヒャッホー!」だ。つまり瞬間の快楽。熱が冷めたら虚しいだけ。むしろ何もしてない状態より気

          承認欲求に呑まれて時間もメンタルも失った。

          人の悪口を言ったら幸せになれますか?

          職場のおじさんはいつも誰かの悪口を言っている。 今までも悪口や不満が多い人はいたが、総じて「嫌なやつだな」と思った。延々と続く悪口は聞いていてつまらないし、共感したら自分も悪者になるから適当に流すしかできない。会話しててマジでつまらん。「これだけ人の悪口を言ってるんだからきっと自分のことも悪く思ってるだろう」となる。 だが、これで終わってはいけないのだ。 自分も心の中で、嫌なやつの悪口を言っていないだろうか? わざわざ過去にあった嫌なやつの態度を思い出してイライラして

          人の悪口を言ったら幸せになれますか?

          人のフリ見なくても我がフリ直せ。

          私たちは他人の悪い行いを見ては一丸となって怒るのが好きだ。 そしてその文化を作っているのはテレビやSNSだと思う。 毎朝のニュースでは必ず犯罪者や芸能人のゴシップが報道される。SNSでも全く同じことをやっている。そりゃあ他人のネガティブな情報は数字が取れるからね。 そしてそういった他人のゴシップを見ては、「最低なヤツだな」と怒る。しかしその感情の裏には、他人の落ちる様を見て、「私たちはこいつよりマシだ」と安心する心理がある。 私たちは集団で1人の悪者を懲らしめて村八分

          人のフリ見なくても我がフリ直せ。