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自分にとって人生とは「他者にどう思われるか?」を乗り越えていくこと。

僕はネトゲのコミュニティーの運営、主催をしている。とはいっても全く大それたものではなく、ただのネトゲサークルの幹事みたいなものだ。

ゲームを主催している時間は自分にとってとても楽しい時間だ。

鯖運営をやっていて特にいいなと思うことは、ルールをある程度決めれること。基本的に自分に気の合う人達が寄ってくること。自分主体で能動的に「今日はこういうルールで遊びましょう」とリーダーシップをとる経験が得られることだ。

ただ自分にとって大きな課題がある。

それは主催をやっていると、ゲーム中ずっと「他人にどう思われるか」を気にしてしまうことだ。

例えば、「このルールでみんな楽しんでくれてるだろうか?」「今日は集まり悪いな、みんな飽きたのかな?」「ミスってしまった、無能だと思われたかな?」など、こういった負の感情が心の片隅にいつもよぎり、どんどん消耗していく。

だから解散した後は必ずといっていいほど消耗しきってメンヘラになっている。楽しさとメンタルの等価交換だ。それと同時に、ゲームと多人数とのコミュニケーションで交感神経が高ぶっているのですぐに寝付けない。だから大抵酒で誤魔化す。次の朝は頭が痛い。こうやって毎回のように人と遊ぶたびにメンヘラになって酒で誤魔化していたらいつか身体を壊すだろう。

分かってはいる。「どう思われるか?」を過剰に気にするのは認知が歪んでいるということは。

認知の歪みの典型例は

・受験で失敗して、親や周りに嫌われるのが受け入れられなくて自殺する子供。

・ブラック企業で嫌で嫌でたまらないのに、辞めたら自分は他ではやっていけないと思って辞められない人。

これは極端な例だが、程度は違えど、自分もこれに近い考え方をしているだろう。でも実際のところは、他人はそこまで自分のことを気にしていないだろうし、仮にどう思われたところで大したことは起きない。

そして仮に、仮にだ、「このルールは面白くない」「飽きたからもう行かない」「その判断は無能だな」と思われたところでどうなのだろう?それで「自分はダメなやつ」になるのだろうか?いや、ならない。

例えば受験で落ちてもその子はダメな奴じゃない。もしかしたら親によってはダメな子と思うかもしれないが、絶対に生きる価値がないとまでは思わない。そうでなければ同じ受験で落ちた子は全員生きる価値がないことになる。

ブラック企業をすぐ辞めるのは根性のないダメな奴なのか?そんなことはない。まず前提としてブラック企業が悪い。それに辞めたら辞めたでどうとでもなる。

というか結局のところ価値というのは、誰かの主観にすぎない。

例えば性格の悪い小学生に「お前はバカ」と言われても「ああ、自分はバカなんだ」とは思わないだろう。ただ小学生の主観からしたら僕はバカに見えるのだ。でもそんなことクソどうでもいい。

ブラック企業の上司の主観からしたら、「すぐ辞めるようなヤツは根性も責任感もない無能」だろう。でも辞める人の主観からしたら「すぐにキレて周りに当たり散らかすその上司が無能」だ。

そう、人は自分の思いたいように思う。(その人の価値観フィルターによってバイアスがかかりまくる)だから基本的に他人には「思いたいように思ってくれ」くらいのスタンスでいればいい。

2:6:2の法則というのがある。

自分を好意的に見る人が2割
自分をなんとも思わない人が6割
自分を好きじゃない、苦手と思う人が2割

どのコミュニティーにいても大抵この割合になりやすいという法則だ。だから絶対に2割の人には好かれないのだ。大谷翔平や橋本環奈レベルでもアンチがいるように。

じゃあその2割の人に好かれるために自分を犠牲にして気を遣ったり譲ったりするとどうなるだろうか?もしかしたらのその人達に「気に食わないけど腰が低いからいいか」とでも思ってもらえるかもしれない。

でもそれは結局のところ自分のメンタルを犠牲にしているにすぎない。あの人にも気を遣って、あの人にも気を害さないように、あの人は大丈夫だろうか?これが日常がこうなる。いつも自分ではなく他人の感情優先。

例えば何か発言するたびに、Aさんは笑ってくれた、でもBさんは気を害したかもしれない、どうしよう。となってしまう。キリがない。何もできなくなる。

人は思いたいように思うのだ。自分も思いたいように思うように。

自分も苦手な人や嫌いな人がいる。でもその人を恨んだところで何にもならない。負の感情で気持ちが沈むだけだ。どうしても腹が立つなら言えばいいし、言わないならいくら恨んだり憎んだりしても無駄だ。

苦手ならできるだけ関わらなければいい。関わる必要があるなら社交辞令、建前100%で十分。攻撃する必要も意味もない。もし攻撃しようものなら、自分がそのコミュニティーの人達からやべー奴扱いされてしまう。(相手がやばすぎる場合は別だが)

そう、仮に一部の人に本気で嫌われても実害はほとんどないのだ。大抵は嫌った方が負の感情で勝手に傷つくだけで、自分が気にしなければ何も起きない。誰かに嫉妬したり、妬んだり、恨んだり、憎んだり、その時間は無駄だ。

自分からは誰も恨まないし、相手にどう思われるかも気にしない。

この信念を持てれば爽やかに、穏やかに生きられる気がする。まだまだその道の途中だが。


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